第二章 103

文字数 2,834文字

 わたしはそのリストを知っていた。ほかでもない、わたしがジョンの家の金庫から取り出したあの標的リストだったからだ。
 唯一の違いといえば、ハニーボールと老弁護士、それから幹部候補たちのことが削られていることぐらいだったが、大したことではないだろう。リストから消されたうちのひとりはすでに死んでおり、残りはすでに逮捕されているからだ。

「管内中に出回ってるみたいだぜ」マイクの口調は得意げで、まるでこの事態が自分の手柄であるかのようだ。「誰からの贈り物かは知らないが、おれたち警察にとっては季節はずれのクリスマスプレゼントってことろだ。なにせ、アルベローニ・ファミリー壊滅はニューオーウェル市警の悲願だからな」
「こんな……」

 これがクリスマスプレゼントなどではないことを知っているのはおそらくこの署内で……いやニューオーウェル市警関係者でおそらくわたしだけだろう。
 これは手紙爆弾だ。誰かが意図的に情報をばらまいたのだ。
 その人物の狙いどおりか、分署内では熱にうかされたような空気が蔓延している。ニューオーウェル市警はこの機を逃さずファミリーの壊滅に乗り出すだろう。

 だがそれは手放しで喜べることではない。不用意に相手を刺激すれば、それが新たな報復の火種を呼び起こしかねないからだ。
 そしてその火種が大きければ大きいほど、犠牲もまた増していく。

「知ってるか? ただでさえこの忙しさだってのに、ちまたじゃあちこちでトラブルが起きてるんだ」

 マイクはさらにそう続けた。その目にはどこかぎらついた光が宿っている。
 その視線を避けるように、わたしは思わずリッチーに目を移した。少なくとも、彼だけは普段どおりに見えたからだ。だが、はたしてそれもただの勘違いにすぎなかった。リッチーもまた、冷静さの裏に密かな興奮を隠しているようだった。
 彼らは熱にうかされていた。狂った狩人か、決闘をこよなく愛する古代ローマの剣闘士のように。
 マイクは続けた。

「刑務所に向かう移送車が立て続けに二件事故を起こしてな。乗ってた囚人が全員死んじまったんだとさ。おまけにその連中がみんなアルベローニ・ファミリーの関係者っていうんだから。これぞ神のご意思ってやつさ」
「偶然だろ」リッチーが、まだとりとめていた冷静さでもって言う。

 これが偶然でも、ましてや神の意思でもないということを知っているのは、やはりわたしだけだった。

「まったく、マートン殺しに進展があったかと思ったらこれだ」マイクは頭をばりばりと掻きながら言った。「勘弁してもらいたいよ。おまけにうちの署長まで行方をくらましちまった」
「マグブレイン署長が? それに進展って、なにかわかったの?」
「ああ。事件当夜、あのあたりを飛んでたヘリコプターをもう一度洗い直してみたんだがな。その中のチャーター会社のバックにアルベローニ・ファミリーがついてることがわかったんだ。ファミリーが出資元なのか、それともなにか弱みを握られてるのか。まあその両方だろうが、裏どりする価値は――」
「マイク!」その言葉を遮ったのはリッチーだった。

 リッチーの鋭い語気を受けて、マイクはすごすごと身を引いていった。

 その様子に、わたしはまたリッチーに対する疑念を抱いていた。
 思い返してみると、彼はマートン殺害の一件からこちら、わたしと事件とを遠ざけたがっているような節が見えた。
 わたしを捜査からはずし、事あるごとに釘をさしてくるのも、その心情のあらわれなのではないか。

 だがそんなリッチーの態度よりも、わたしはようやく繋がり始めた線を手繰ることに関心を抱いていた。

「やっぱり……」わたしは口の中で呟いた。

 これでほぼ決まりだ。リッチーたちが洗い出したそのヘリコプターにサム・ワンが乗っていたとすれば、やつはまだファミリーに雇われていることになる。

「ところで……ずいぶん古いデータを引っ張り出したもんだな」マートン殺しから話題を逸らすためだろう、リッチーが訊いてくる。
「なにが?」データベースからプリントアウトした資料を覗きこんでいるリッチーに、わたしは訊ね返した。
「こいつら、全員アルベローニ・ファミリーの裏切り者だろ。いっとき話題になったもんだ。おまえさんが刑事になる前のことだがな」
「裏切り者って、いったいどういうこと?」
「ああ、それはな……あれ、マイクのやつどこに行きやがった」

 焦れるわたしをよそに、リッチーはホールを見渡した。
 いつの間に移動したのか、マイクはホールのカウンターのそばにある机に向かっているところだった。

 そこは差し入れや宅配された食べ物が集められている場所で、内勤の署員はそれぞれのタイミングで食事をとれるようになっていた。有志のケータリングとでも言うべきか、別名「十九分署のうまうまダイナー」はこの日もエントランスの一角を占拠していた。
 多忙な警察署員たちは、ホールに食べ物のにおいが充満するという内外から発せられる苦情に都合よく耳をふさいで、この悪習を長々と続けている。

「あいつ、朝飯を食ってないって言ってたな。こんなときに食い意地はりやがって」

 リッチーの返事を待つわたしも、一緒になってマイクの姿を目で追った。彼はつまみ食いする料理を物色中だった。
 ドーナツ、ハンバーガー、中華料理のデリバリーからピザまで。私有共有を問わず、そのバラエティは豊富だ。
 マイクがうろつく先には、署を訪れた市民の群がる受付カウンターが横たわっている。あちらもこの混乱によって対応する署員が不足しているせいで、普段以上の人々がごったがえしていた。

 市民のひとりに目が止まったのは、それこそ偶然としか言いようがない。
 その人物はひしめきあう群衆の合間を縫うようにして、受付カウンターに沿うように進んでいた。落とし物や観光スポットの住所を訊ねるのとは違う、もっと別の目的を持っているかのようだ。
 春先にもかかわらず、黒い厚手のモッズコートを着込んでいるのも妙だった。ファスナーが一番上まで上げられ、目深にかぶった毛皮つきのフードのせいで人相はわからない。いつしかわたしの視線は、マイクからその人物へと移っていた。

「やっと決まったみたいだな」

 リッチーの言葉に、わたしは視界の端で食べ物を抱え持つマイクの姿をとらえた。だが焦点は不審な人物にしぼられたままだった。

 モッズコートの人物が人垣の中に隠れたかと思うと、すぐに姿をあらわした。
 それまでポケットに突っ込んでいた手が片方だけ出されている。

 相手が握っているものに不安を感じ、わたしは注意を呼びかけようと息を吸いこんだ。

 だが、誰に? その疑問に一瞬の躊躇が生まれたことを、いまでも後悔している。
 わたしの行動がもう少し早ければ、ここでの結果は変わっていたかもしれなかったからだ。

 いずれにせよ、それよりも先に事態は起きた。
 突如鋭い破裂音がしたかと思うと、閃光が瞬き、マイクが無数の料理とともに空中に吹き飛んだのだ。
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