第二章 74
文字数 1,670文字
ジョンは無心で男を殴り続けた。
レオとの訓練でサンドバッグを相手にしたことは何度もあったが、実際に人を殴るのははじめてだった。
それでもジョンは訓練を通じて技術をものにしていた。肉を打つたびに衝撃が響いたが、それ以上に打撃が相手の骨の芯まで届いている手ごたえを強く感じていたからだ。
どれだけ拳を振り続けただろう。ジョンは肩で息をきらし、握った両手は小刻みに震えていた。男も途中から抵抗することをやめ、ぱんぱんに腫れた顔で弱々しい呼吸を繰り返していた。
「やめてくれ……」破裂寸前の風船のような唇を動かして男が言う。「おれが悪かった。勘弁してくれ」
今度はうなじではなく、心が逆立った気分だった。もう一発くれてやろうとしたが、思い直す。
拳はまるで、溶接されたかのようにがっちりと固まったままだった。力ずくで開こうにも、この両手ではどうにもできない。
ジョンは苛立ちながら、右手の指と指のあいだに噛みついた。突き立てた歯で指を一本ずつほどいていく。気が狂いそうなほどじれったい作業だった。
物をつかめる形に戻る頃には、手のあちこちに歯形ができていた。
ジョンはそれから、手の甲を大腿に叩きつけた。緊張が解け、手が激しく震えていたからだ。震えをどうにかおさえると、彼はけして自由になったとは言えないその手を上着に差し入れた。
熱を帯びた指先に、銃のひんやりとした感触が鮮烈に届く。
殺してやる、ジョンは思った。
この男はシシーをここまで追いつめておきながら、自分だけは助かろうと命乞いをしている。それがなにより許せなかった。
男の処遇を自分が決めるべきではないことはわかっていた。裁くべきはアルベローニその人であり、下部組織の、さらにその下っ端であるジョンがすべきことは、この男をレオのところまで確実に連れていくことだった。
だが渦巻くジョンの胸中で、殺意はなにものにも勝った。
引き抜いた銃を構えた腕は激しく震えていた。
まるでおんぼろエンジンの上で狙いを定めているようだ。それどころか、いまやジョン自身が荒々しく呼吸するおんぼろエンジンそのものになっていた。
震えた腕のまま、ジョンは引き金を引いた。
一発目は男の脳天から大きく逸れて浴室の壁にめりこんだ。
二発目、三発目はタイルの一部を削ってどこかへ飛び去ってしまった。四発目は床の上を跳ね、トイレの貯水タンクに直撃した。
レオに銃を手渡されてから、ジョンは射撃の訓練もはじめていた。
もともと筋がよかったのか、狙いをはずすことはほとんどなかった。射撃場にかよって数週間もするころには、目を閉じても命中させられる自信すらついていた。
だがその弾丸はひとつも男をとらえなかった。
的との距離は射撃場のそれよりもはるかに近かったし、命中させる意志はさらに強かった。にも関わらず、弾丸はすべて男を避けていった。まるで男が悪魔に守られているかのようだった。
〝おれの銃でおまえが手を汚すことは許さん〟
それとも、レオが拳銃にあらかじめ魔法をかけていたのか。
「やめて……」
その声にジョンはバスタブのほうを振り返った。
はずみで引き金がしぼられ、狙ったつもりもない弾丸が男の命を奪う、ということにもならなかった。そうなればひどいお笑い種だが、ジョンは訓練で叩きこまれた習慣から引き金からすでに指を離していた。
最初にシシーと目が合った。いまの彼女には、先ほどまでの朦朧とした様子はなかった。まだ夢見心地でいるようではあったが、少なくとも目は虚空を眺めてはいなかった。
次にシシーの握る拳銃が目に飛び込んできた。
ジョンたちが乱闘している最中もあの努力を続けていたのだろう。途方もない努力の甲斐もあってか、彼女は拳銃を、香港映画さながらに横向きに構えていた。
筋力は衰え、意識もはっきりしないままに定めた狙いはおぼつかなかったが、それでもジョンはそんなシシーのほうが自分よりもずっとうまく弾を命中させられるだろうと思った。
そこでジョンはようやく、銃口が男ではなく自分に向けられていることに気づいた。
レオとの訓練でサンドバッグを相手にしたことは何度もあったが、実際に人を殴るのははじめてだった。
それでもジョンは訓練を通じて技術をものにしていた。肉を打つたびに衝撃が響いたが、それ以上に打撃が相手の骨の芯まで届いている手ごたえを強く感じていたからだ。
どれだけ拳を振り続けただろう。ジョンは肩で息をきらし、握った両手は小刻みに震えていた。男も途中から抵抗することをやめ、ぱんぱんに腫れた顔で弱々しい呼吸を繰り返していた。
「やめてくれ……」破裂寸前の風船のような唇を動かして男が言う。「おれが悪かった。勘弁してくれ」
今度はうなじではなく、心が逆立った気分だった。もう一発くれてやろうとしたが、思い直す。
拳はまるで、溶接されたかのようにがっちりと固まったままだった。力ずくで開こうにも、この両手ではどうにもできない。
ジョンは苛立ちながら、右手の指と指のあいだに噛みついた。突き立てた歯で指を一本ずつほどいていく。気が狂いそうなほどじれったい作業だった。
物をつかめる形に戻る頃には、手のあちこちに歯形ができていた。
ジョンはそれから、手の甲を大腿に叩きつけた。緊張が解け、手が激しく震えていたからだ。震えをどうにかおさえると、彼はけして自由になったとは言えないその手を上着に差し入れた。
熱を帯びた指先に、銃のひんやりとした感触が鮮烈に届く。
殺してやる、ジョンは思った。
この男はシシーをここまで追いつめておきながら、自分だけは助かろうと命乞いをしている。それがなにより許せなかった。
男の処遇を自分が決めるべきではないことはわかっていた。裁くべきはアルベローニその人であり、下部組織の、さらにその下っ端であるジョンがすべきことは、この男をレオのところまで確実に連れていくことだった。
だが渦巻くジョンの胸中で、殺意はなにものにも勝った。
引き抜いた銃を構えた腕は激しく震えていた。
まるでおんぼろエンジンの上で狙いを定めているようだ。それどころか、いまやジョン自身が荒々しく呼吸するおんぼろエンジンそのものになっていた。
震えた腕のまま、ジョンは引き金を引いた。
一発目は男の脳天から大きく逸れて浴室の壁にめりこんだ。
二発目、三発目はタイルの一部を削ってどこかへ飛び去ってしまった。四発目は床の上を跳ね、トイレの貯水タンクに直撃した。
レオに銃を手渡されてから、ジョンは射撃の訓練もはじめていた。
もともと筋がよかったのか、狙いをはずすことはほとんどなかった。射撃場にかよって数週間もするころには、目を閉じても命中させられる自信すらついていた。
だがその弾丸はひとつも男をとらえなかった。
的との距離は射撃場のそれよりもはるかに近かったし、命中させる意志はさらに強かった。にも関わらず、弾丸はすべて男を避けていった。まるで男が悪魔に守られているかのようだった。
〝おれの銃でおまえが手を汚すことは許さん〟
それとも、レオが拳銃にあらかじめ魔法をかけていたのか。
「やめて……」
その声にジョンはバスタブのほうを振り返った。
はずみで引き金がしぼられ、狙ったつもりもない弾丸が男の命を奪う、ということにもならなかった。そうなればひどいお笑い種だが、ジョンは訓練で叩きこまれた習慣から引き金からすでに指を離していた。
最初にシシーと目が合った。いまの彼女には、先ほどまでの朦朧とした様子はなかった。まだ夢見心地でいるようではあったが、少なくとも目は虚空を眺めてはいなかった。
次にシシーの握る拳銃が目に飛び込んできた。
ジョンたちが乱闘している最中もあの努力を続けていたのだろう。途方もない努力の甲斐もあってか、彼女は拳銃を、香港映画さながらに横向きに構えていた。
筋力は衰え、意識もはっきりしないままに定めた狙いはおぼつかなかったが、それでもジョンはそんなシシーのほうが自分よりもずっとうまく弾を命中させられるだろうと思った。
そこでジョンはようやく、銃口が男ではなく自分に向けられていることに気づいた。