第三章 14
文字数 1,265文字
これはリッチーにあとから訊いた、彼とジョンとの会話だ。
「わたしを逮捕するか?」去り際にジョンはリッチーにそう言ったという。
「そうすべきなんだろうな。だが、おれはいまへとへとでな。こいつが終わったらたっぷり休暇が欲しい気分だ。あんたはどうだ?」
「同感だね」
リッチーは新しい煙草を銜えると、「消えな。相棒に免じて一日だけ時間をくれてやる。この街からさっさと失せろ」
「ありがとう」
「礼を言われる筋合いはないさ。おまえだってあのじゃじゃ馬を助けてくれたわけだし、お互い様さ。それにおれたちのことも……署で暴れたあのいかれ野郎を撃ったのはあんただったんだろ?」
ジョンは肩をすくめた。
「リサを頼む。殺し屋のわたしが言うのもなんだが、彼女はいい刑事になるよ」
そう言ってジョンは去っていった。
「そんなこと、おれがいちばんよく知ってるよ」
リッチーはジョンの背中にそう言うと、新しい煙草に火をつけた。
事務室の模型から、なぜ二棟の建物が消されていたのか。
わたしはそれが、過去のあやまちから逃れたいジョンの気持ちのあらわれだと、ずっとそう思っていた。忌まわしい場所をかたどったものにうっかり触れ、心の傷がひらくのを恐れていたのだと。
だがわたしは、いまその考えが間違いだということに気づいた。
どれだけ形を消し去ろうとも、ジョンがこの場所を忘れられるわけがない。忘れようとしても、その過去から逃れることはできなかったのだ。
ひょっとしたら犯人が現場に戻るのは危険だなどとうそぶいておきながら、ジョンは毎日のようにこの場所を訪れていたのではないか。もっとも、それは実際に訪れていたという意味ではなく、記憶の中の来訪なのかもしれない。靴底ではなく、その神経をすり減らして、過去の記憶の中で何度も、何度も。
サム・ワンからわたしを救ってくれたとき、ジョンは白線でわたしたちの姿を見たのだと言った。長年にわたって積み重ねてきた彼の技術が超人の域に達したのか。あるいは過去と向き合うことを決意した殺し屋に、神さまが与えてくださったささやかな贈り物なのか。
いずれにせよ、そのおかげでわたしはいまこうして生きている。
私は涙を流した。
ジョンの家でウィスキー入りの紅茶にあてられた感情が爆発したのとは違う、誰かを思って流す涙だった。
殺し屋としての運命の行く末に立ち向かおうとするジョンのことを考えると、心が張り裂けそうだった。
〝泣くな、リサ〟
わたしを縛りつけていた父の言葉は、ニューオーウェルを吹く風に溶けていった。
父はわたしを呪うつもりでそんな言葉を口にしたわけではない。長いあいだ、わたしがその言葉の意味を誤解していただけなのだ。
優しく、そして強くあってほしいと父は願い、わたしにその言葉を託してくれたのだと、いまはそう思える。
わたしは立ち上がると、ペントハウスから地上まで一気に階段を駆け下りた。
建物を出るなりサム・ワンの死体をとりかこむ人たちをかきわけるようにしてジョンのことを探したが、とうとうその姿を見つけることはできなかった。
「わたしを逮捕するか?」去り際にジョンはリッチーにそう言ったという。
「そうすべきなんだろうな。だが、おれはいまへとへとでな。こいつが終わったらたっぷり休暇が欲しい気分だ。あんたはどうだ?」
「同感だね」
リッチーは新しい煙草を銜えると、「消えな。相棒に免じて一日だけ時間をくれてやる。この街からさっさと失せろ」
「ありがとう」
「礼を言われる筋合いはないさ。おまえだってあのじゃじゃ馬を助けてくれたわけだし、お互い様さ。それにおれたちのことも……署で暴れたあのいかれ野郎を撃ったのはあんただったんだろ?」
ジョンは肩をすくめた。
「リサを頼む。殺し屋のわたしが言うのもなんだが、彼女はいい刑事になるよ」
そう言ってジョンは去っていった。
「そんなこと、おれがいちばんよく知ってるよ」
リッチーはジョンの背中にそう言うと、新しい煙草に火をつけた。
事務室の模型から、なぜ二棟の建物が消されていたのか。
わたしはそれが、過去のあやまちから逃れたいジョンの気持ちのあらわれだと、ずっとそう思っていた。忌まわしい場所をかたどったものにうっかり触れ、心の傷がひらくのを恐れていたのだと。
だがわたしは、いまその考えが間違いだということに気づいた。
どれだけ形を消し去ろうとも、ジョンがこの場所を忘れられるわけがない。忘れようとしても、その過去から逃れることはできなかったのだ。
ひょっとしたら犯人が現場に戻るのは危険だなどとうそぶいておきながら、ジョンは毎日のようにこの場所を訪れていたのではないか。もっとも、それは実際に訪れていたという意味ではなく、記憶の中の来訪なのかもしれない。靴底ではなく、その神経をすり減らして、過去の記憶の中で何度も、何度も。
サム・ワンからわたしを救ってくれたとき、ジョンは白線でわたしたちの姿を見たのだと言った。長年にわたって積み重ねてきた彼の技術が超人の域に達したのか。あるいは過去と向き合うことを決意した殺し屋に、神さまが与えてくださったささやかな贈り物なのか。
いずれにせよ、そのおかげでわたしはいまこうして生きている。
私は涙を流した。
ジョンの家でウィスキー入りの紅茶にあてられた感情が爆発したのとは違う、誰かを思って流す涙だった。
殺し屋としての運命の行く末に立ち向かおうとするジョンのことを考えると、心が張り裂けそうだった。
〝泣くな、リサ〟
わたしを縛りつけていた父の言葉は、ニューオーウェルを吹く風に溶けていった。
父はわたしを呪うつもりでそんな言葉を口にしたわけではない。長いあいだ、わたしがその言葉の意味を誤解していただけなのだ。
優しく、そして強くあってほしいと父は願い、わたしにその言葉を託してくれたのだと、いまはそう思える。
わたしは立ち上がると、ペントハウスから地上まで一気に階段を駆け下りた。
建物を出るなりサム・ワンの死体をとりかこむ人たちをかきわけるようにしてジョンのことを探したが、とうとうその姿を見つけることはできなかった。