第一章 24

文字数 1,180文字

 考えをまとめるためジョンがわたしに与えてくれた時間は、結果として一晩よりもずっと長かった。
 彼からの連絡を待っているあいだ、わたしはリッチーがまとめたマートン殺害事件の中間報告書の写しを読んだり、部屋の掃除をしながら時間を過ごした。一度だけ昼に<ノアズ・パパ>で食事をしたが、ジョンと会うことはなかった。
 歌のレッスンのため非番にしていたキャシーに代わって、キッチンだけでなくフロアの切り盛りもしていたビルに訊ねてみたところ、ジョンはここしばらく店に来ていないらしい。
 持ち帰った報告書はそんな日々を過ごすわたしの関心を逸らしてくれる恰好の対象になってくれた。

 どうやら捜査本部は、犯人がマートン宅に押し入った線が薄いことを公式に発表する予定らしい。
 やはり犯人はリッチーの推理どおり、マートンを屋外、もしくは空中から狙撃したのだろうか。そう考えながら資料をめくっていると、すぐにヘリコプターのチャーター記録や給油記録をまとめたページにいきあたった。
 その線でも犯人の手がかりに行きついていないことから、やはり捜査は難航しているらしい。
 ニューオーウェルの空には昼夜を問わず無数のヘリコプターが飛び交っている。報道ヘリ、警察の巡回、ドクターヘリからセレブの送迎に観光客向けの遊覧飛行まで。その数は枚挙に暇がない。
 もちろん飛行ルートや時間帯から可能性をある程度までしぼることはできるのだろうが、完全な特定には多くの労力と時間が必要なはずだ。
 わたしはリッチーたちの苦労を考え、捜査をはずされた自分がなんの力にもなれないことに落胆した。

 風にあおられ揺れるヘリコプターから、一フィートにも満たない窓の隙間に弾丸を通し、標的を打ち抜く人物。
 世界屈指の技術を有するはずの狙撃手は、しかしわたしの頭の中で顔の見えない不特定の誰かになっていた。



 連絡があったのは三日目の夜だった。

「マクブレインが釘を刺しにきたよ」電話に出るなりジョンはわたしにそう言った。どうやら本当にわたしが言った電話番号を覚えていたらしい。
「でしょうね。あなたが姿を消すんじゃないかって心配してた」
「そうしたいところだが、あいにくこの街以外で生きていける自信がなくてね。それに、そんなことをすればきみにとばっちりがくるだろう」
「あら、優しいじゃない」
「だといいんだが……明日の朝五時にわたしの家に来てくれ。優しさついでにいえば、きみは来るべきじゃない。おかしなことを言っているのは承知しているが、わかるだろう?」
「ええ、行けばわたしが後悔するのよね。でも行くわ。それが職務だもの。あなただって、それがわかっていながらこうして電話をよこしてきたんじゃないかしら?」
「そのとおりかもな」
「じゃあ、明日の朝五時に」
「ああ、きみが来ないことを祈るよ」

 わたしが返事をするより先に、ジョンは電話を切った。
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