プロローグ 2
文字数 1,555文字
「リサ、大丈夫?」この一部始終を見ていたウェイトレスのキャシーがそう訊ねながら、彼の飲み残しをさっさとトレイに載せてひきとった。それからテーブルの小銭を数えながら、「別れ話で悪者になれない男なんて最低ね。気にすることなんてないわ。リサならまたすぐにいい男が見つかるわよ……っと」
手を止めたキャシーの顔をわたしは見上げた。
ジャズシンガー志望の夢見る乙女は、相手の視線を簡単に釘付けにできるほど愛くるしい顔立ちをしていた。その整った眉毛が、訝しげに寄せられる。
「こんなときになんだけど、そのう……五十セント足りないわ」
わたしはテーブルの上に視線を落とした。彼の置いていった小銭はたしかにコーヒー代に足りていない。
「オーケイ。ビルに頼んでみるわ。ちょっと帳尻を合わせるくらい――」
「キャシー」
小声で話すキャシーにビルが背後から声をかける。腕組みをして佇む小柄な老人はコックというより、街の無法に目を光らせる保安官だ。
「いいわよ」言いながらわたしはマネークリップをとりだし、キャシーに微笑んだ。「わたしが払うわ。ついでにこれもさげてくれる?」
「いいの? 温めなおしてくるけど」キャシーが訊ねながらすっかり冷めたステーキとわたしを交互に見やる。
「ごめんなさい。食欲が失せちゃって」言いながらわたしはステーキの代金も支払い、いつもより多めのチップをキャシーに握らせた。「こういうところなのかしら」
「なにが?」
料理の消えたテーブルの上で手にしたマネークリップをいじくりまわしていたわたしはため息をつくと、「ハンドバッグのひとつでも持ってれば、少しは違ってたのかなって……」
「まさか」キャシーは首を横に振った。「別れの原因があるとすればあの男のほうよ。わたしはリサのこと好きよ、さっぱりしててカッコいいもん」
「ありがとう」
「キャシー」厨房からふたたびビルの声があがる。
「もう、頑固じいさん! リサ、食欲がないならコーヒーはどう? 身体が温まるわよ」
「ええ、いただくわ」
「落ち着くまで店にいるといいわ。わたしはなにがあってもリサの味方だからね。きっとビルも……しかめっ面だけどきっと同じ」
キャシーはそう言ってきびきびと厨房に戻っていった。
気がつけば頬がゆるんでいた。薄暗く思えた店内も少しだけ見通せるようになっていた。
店にいた客はまばらだった。
奥のスツールで舟を漕いでいるみすぼらしい中年男性がひとり。もうひとつのボックス席では若い男女三人がなにやらひそひそと話し合っており、カウンターの隅では清潔そうな身なりの男性が食事をしている。
わたしのいきつけ<ノアズ・パパ>はお金が三ドルばかりあっておとなしくさえしていれば、ホームレスでも不良くずれでも、失恋したての哀れな女でも受け入れてくれる。
そのおかげか、いまやわたしは無口なビルと天真爛漫なキャシーとはすっかり顔なじみだ。
キャシー、素敵な子だと思う。少なくとも彼女はその歌声以上に多くの魅力がある。
頭の回転が速く、分け隔てなく誰とでも接することができる女の子。こうしてここで色気のない生活の一端をおくっていると、彼女との魅力の差をありありと感じてしまう。わたしには彼女のような愛想もなければ、輝くブロンドの髪もない。
キャシーのような見た目や性格だったら、わたしは恋人とこんな結果を迎えていなかったのかもしれない。
立ち直りかけていた心がまた暗くなり、気がつけばコーヒーをがぶがぶと三杯も飲み干していた。三人の不良小僧たちはとっくに店を出て、ホームレスはすっかり眠りこけていた。
「ごちそうさま」
そう声があがったほうをなんとなく見る。カウンターの隅で食事をしていた紳士が席を立つところだった。
彼は、顔の半分が隠れるほどの大きなサングラスをかけていた。
手を止めたキャシーの顔をわたしは見上げた。
ジャズシンガー志望の夢見る乙女は、相手の視線を簡単に釘付けにできるほど愛くるしい顔立ちをしていた。その整った眉毛が、訝しげに寄せられる。
「こんなときになんだけど、そのう……五十セント足りないわ」
わたしはテーブルの上に視線を落とした。彼の置いていった小銭はたしかにコーヒー代に足りていない。
「オーケイ。ビルに頼んでみるわ。ちょっと帳尻を合わせるくらい――」
「キャシー」
小声で話すキャシーにビルが背後から声をかける。腕組みをして佇む小柄な老人はコックというより、街の無法に目を光らせる保安官だ。
「いいわよ」言いながらわたしはマネークリップをとりだし、キャシーに微笑んだ。「わたしが払うわ。ついでにこれもさげてくれる?」
「いいの? 温めなおしてくるけど」キャシーが訊ねながらすっかり冷めたステーキとわたしを交互に見やる。
「ごめんなさい。食欲が失せちゃって」言いながらわたしはステーキの代金も支払い、いつもより多めのチップをキャシーに握らせた。「こういうところなのかしら」
「なにが?」
料理の消えたテーブルの上で手にしたマネークリップをいじくりまわしていたわたしはため息をつくと、「ハンドバッグのひとつでも持ってれば、少しは違ってたのかなって……」
「まさか」キャシーは首を横に振った。「別れの原因があるとすればあの男のほうよ。わたしはリサのこと好きよ、さっぱりしててカッコいいもん」
「ありがとう」
「キャシー」厨房からふたたびビルの声があがる。
「もう、頑固じいさん! リサ、食欲がないならコーヒーはどう? 身体が温まるわよ」
「ええ、いただくわ」
「落ち着くまで店にいるといいわ。わたしはなにがあってもリサの味方だからね。きっとビルも……しかめっ面だけどきっと同じ」
キャシーはそう言ってきびきびと厨房に戻っていった。
気がつけば頬がゆるんでいた。薄暗く思えた店内も少しだけ見通せるようになっていた。
店にいた客はまばらだった。
奥のスツールで舟を漕いでいるみすぼらしい中年男性がひとり。もうひとつのボックス席では若い男女三人がなにやらひそひそと話し合っており、カウンターの隅では清潔そうな身なりの男性が食事をしている。
わたしのいきつけ<ノアズ・パパ>はお金が三ドルばかりあっておとなしくさえしていれば、ホームレスでも不良くずれでも、失恋したての哀れな女でも受け入れてくれる。
そのおかげか、いまやわたしは無口なビルと天真爛漫なキャシーとはすっかり顔なじみだ。
キャシー、素敵な子だと思う。少なくとも彼女はその歌声以上に多くの魅力がある。
頭の回転が速く、分け隔てなく誰とでも接することができる女の子。こうしてここで色気のない生活の一端をおくっていると、彼女との魅力の差をありありと感じてしまう。わたしには彼女のような愛想もなければ、輝くブロンドの髪もない。
キャシーのような見た目や性格だったら、わたしは恋人とこんな結果を迎えていなかったのかもしれない。
立ち直りかけていた心がまた暗くなり、気がつけばコーヒーをがぶがぶと三杯も飲み干していた。三人の不良小僧たちはとっくに店を出て、ホームレスはすっかり眠りこけていた。
「ごちそうさま」
そう声があがったほうをなんとなく見る。カウンターの隅で食事をしていた紳士が席を立つところだった。
彼は、顔の半分が隠れるほどの大きなサングラスをかけていた。