第二章 86

文字数 1,949文字

「シシーとの別れのあと、わたしの生活でふたつのことが大きく変わった。ひとつに住まい、そしてもうひとつは仕事だった。

 それまでの住んでいたところといえばスラムの端にある、ほとんど寝るためだけに帰るようなあなぐらじみた部屋で、わたしはそこからピーノの邸宅に通っていたんだ。
 それがニューオーウェルの北端にあるレオの自宅に居を移し、そこの一室を間借りすることになった。ほぼ毎日通い詰めだったピーノの邸宅にも一週間か十日に一度だけ顔を出すだけで済んだ。
 だからといって、仕事が楽になったというわけではなかったがね。むしろその逆で、新しい仕事は娼館の集金係とはくらべものにならないほど肉体的にも精神的にも厳しかった。そのことはわたしに仕事が変わることを告げたときの、レオの暗い表情からも容易に想像がついた。

 わたしとレオに用意された新しい仕事は、組織の始末屋だった。

 組織に敵対する者や裏切り者を、あるときは秘密裡に、あるときはメッセージカード代わりに派手に殺害するのが仕事内容だった。たまに外注で殺し屋を雇うこともあったが、アルベローニ・ファミリーの喧伝も兼ねてそのほとんどにわたしたちは駆り出されていた。

 部屋を移り住んだのも、ピーノのもとに行く頻度が減ったのも、そのためだった。
 へまをしでかして警察に逮捕されるか、あるいはもっと悪ければ敵対する組織に捕まったときなどに備えて、ピーノはすぐにわたしたちを切り捨てられるよう遠くに置いたんだ。
 そもそもレオにわたしの世話をさせたのも、いずれこうして利用するのが目的だったんだろう。あの男がどの段階でそう思いついたのかはわからんがね。

 わたしたちはあらゆるところで仕事をした。
 ニューオーウェルの路地裏のときもあれば、南米の麻薬カルテルのボスを始末するためにはるばるメキシコまで足をのばしたこともある。

 だがわたしに任された仕事はもっぱら見張りや人払いで、実際に標的を始末するのはレオの役目だった。
 預かった拳銃はそのまま持たせてもらっていたが、それで人殺しを働くのをレオは相変わらず許そうとしなかった。

『おれの手はもう汚れきっている』

 あるときあてがわれた自分の仕事にわたしが不満を漏らすと、レオはそう答えた。それから彼はこうも言った。

『三下仕事で神経質になるのもわからんではないが、そうあんまり目をこするもんじゃないぜ、ジョニー・ボーイ』」

 ジョンはそう言ってわたしの目の前で肩をすくめてみせた。刑事であるわたしに嘱託殺人の罪を暴露しているにも関わらず、その口調は冗談じみたほど軽かった。

「軍隊出身のレオがロドルフォ・デ・アルベローニに雇われたのは、新兵としての青臭さが抜けはじめたある日、派兵された中東で上官を殴り飛ばした咎で本国に送還されたときだった。
 レオは最後までわたしに自分の除隊理由を教えてくれなかったが、集金係のときにもそうしたいざこざに彼が対処するところを見てきたからね。おおかたの想像はついたよ。
 略奪か、強姦か。上官がアメリカから遠く離れた土地でその手の悪事を働こうとしたんだろう。きっと上官はレオの怒りに触れたんだ。義憤という怒りに。

 職を失ったレオはアルベローニに拾われ、その戦闘技術を活かす場所を与えられた。もともと兵士として優秀だったレオは新しい戦場でその才能を開花させ、同時にアルベローニの信頼も得ていった。
 いつしかふたりはロディとヴィックと呼び合うまでの仲になっていた。弟のピーノがへまをしたのはそれからすぐのことだった。やつは例の爆破事件のほとぼりがさめるまで、兄にヨーロッパに雲隠れさせられたんだ。そのお目付け役としてあてがわれたのが、アルベローニの頼れる右腕であるレオだった。
 わたしがピーノに買われたのはその道中でのことだ。

『おれがこれから何人殺そうと、変わることはなにもない。だがなジョニー、おまえは違う。人の命を奪うっていうのは、その瞬間から心がだだっ広い荒地になるようなもんだ。そうなったら最後、どんな善行をしようともなんの癒しにもならん。コップ一杯の水で荒野を潤せる道理があるなら話は別だがな』

 だからおまえはそうなるな、レオはわたしによくそう言った。わたしはそれに反発したり、青臭い道理を説いたりもしたが、彼は頑なだった。
 いまならその理由もわかる気がするよ。いまさらではあるがね。

 殺人を伴う長い旅路についてからも、わたしは変わらずレオの訓練を受け続けた。
 訓練では武器の扱いや戦い方に重点が置かれたが、ひとえにこれはわたしの不満を和らげるガス抜きを兼ねていたのだろう。わたしはむしろそれをチャンスと考えたよ。いまよりもっと強くなれば、レオも考えを改めて重要な役割をあてがってくれると期待したんだ」
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