第二章 11

文字数 2,333文字

 ニューオーウェル市の南端には、この街一帯の海洋貿易を担う海運の要であり、日々無数のコンテナが出入りするニューオーウェル港がある。
 輸入品の一部は地元の市場へと流通し、つねに流行の最先端に立たねば気がすまないニューオーウェルっ子たちの感性を刺激している。だがあらゆる品々の出入りが頻繁な分、その大きな流れの中には犯罪がつけ込む隙も生まれてしまう。
 事実、まっとうな貿易会社と軒を連ねて犯罪組織の隠れ蓑であるフロント企業が看板を出していることも少なくない。
 警察当局も法整備などを追い風に対策に乗り出してはいるものの、犯罪組織の悪知恵と、仕事を奪われかねない一部の港湾労働者組合の反対運動のせいで手をこまねいているのが現状だ。労働者たちにとっては失業しないことこそが重要で、荷揚げするコンテナの中身の清濁は二の次なのだ。
 そうした事情から、ここには油まみれのつなぎ姿で懸命に働く労働者とともに、上等だがけばけばしいスーツを着くずした柄の悪い連中も行き交っている。

 そんなニューオーウェル港の一角。とある倉庫は暗闇に閉ざされていた。

 倉庫の中は静かで、ひび割れた窓の外から潮風に乗ったカモメの鳴き声と波音だけが、時折かすかに耳に届くだけだ。その窓自体も内側から暗幕がかけられ、外の様子をうかがい知ることはできない。
 同時に、この倉庫内でなにが起きようと、外の誰かに気づかれる心配はない。

 倉庫の正面、鉄製の引き戸が錆びついた音をたてながら開くと、中心にできた隙間から光が差し込んできた。重々しい音をたてながら引き戸がさらに一フィートばかり開くなり、誰かが悪態をつきながら倉庫に身を滑りこませてきた。

「おい誰だ。鍵をかけ忘れてるぞ」来訪者の口元で赤い光がともり、陽光の中をくすんだ煙が立ちのぼった。
「おれじゃねえよ。このあいだ最後にここを出たのはカルロの野郎だ」
「たしかにおれだが、鍵は間違いなくかけたぜ。クック、おまえのおふくろに誓ってもいい」
「黙れカルロ。つぎにおふくろのことをもちだしやがったら、てめぇのケツをてめぇで拝ませてやるからな」

 どやどやと言いながらさらに数名の男たちが倉庫に入ってきた。
 おそらく咥え煙草なのだろう、暗闇の中に灯った赤い火が、男たちの声と一緒に移動するのが見えた。新種のホタルのような赤い光が壁の前で止まると、どこかで発電機がうなりをあげ、天井に並んでいた大型の照明がいっせいに点灯した。

 明かりの下、積み上げられた木箱と、そのあいだにてきた通路とに囲まれた広い空間に、六人の男たちが立っていた。全員が同じようなけばけばしいデザインの高級スーツを身にまとい、それぞれ銘柄の違う煙草や葉巻の煙をくゆらせている。

「さて、諸君」最初に倉庫に入ってきた男がぽんっと両手を打ち鳴らした。「月末の定例会といこうか」

 彼らはアルベローニ・ファミリーの中で、いわゆる幹部候補と呼ばれる連中だった。
 ドラッグに売春、銃の密売から酒の密造まで、非合法な商売を手広くやっているアルベローニ・ファミリーは、それだけ仲間内での敵対意識が強くなりやすい。
 ドラッグを売りさばく連中が売春の縄張りにまで手を広げると、娼婦もドラッグを手に入れやすくなる。そうなると連中にとって大事な商売道具である彼女たちは最終的にドラッグに溺れ、中毒を患って簡単に潰れてしまう。
 ドラッグと売春、このふたつの商品同士が互いを食い合ってしまうのだ。

〝自然界の法則とおなじだよ〟と、ジョンはわたしにそう言った。〝野放図にシマウマを食べてしまえば、そのうちライオンは飢え死にしてしまう。アルベローニ・ファミリーのボスもそのことをよく知っているんだ〟

 つまり功を焦って誰かが勝手なことをすれば、かえって組織全体が損を被ることになるのだ。
 逆にお互いに助け合いさえすれば、全体の商売がずっとうまく機能する。売春婦のネットワークをうまく使ってその客に対してドラッグを売ることができるし、ドラッグそのものについても用量を守れば……やれやれ、まるで睡眠薬を売る薬剤師のセリフだ、まったく……娼婦たちを薬物依存で商売につなぎとめることができる。
 同じ女性としては、聞くだに忌々しい話ではあるが。

 だが、そこはならず者集団で構成されている犯罪組織の構成員。
 ボスからそうしろと命令されたことを、そのまま大人しく従うような連中ではない。なにせ手元には一攫千金を得られるほどの非合法な品物なり市場なりがあるのだ。たとえその所有権が組織の、それも自分たちの考えが遠くおよばないほど遥か高みに君臨する者たちにあるとしても、彼らの野心をくすぐるには充分すぎる魅力をたたえている。
 そこでひとまず、それぞれの商売を持ち場にしている彼ら幹部候補たちは、初歩的だが一定の成果が見込める謀反への予防策を打ち出した。
 それがこの定例会である。

 相手の顔を見て、商売の話もそこそこに酒と煙草、それからカードを交わしながらの世間話を二時間もすれば、日頃の鬱憤やお互いが持つわだかまりを解消できるのだそうだ。
 定期的に顔を合わせていれば、腹にいちもつを抱えて造反を企てている者をあぶりだすことも容易だし、逆に親しくなれば裏切りを考えたとしても、定例会の仲間たちの顔が頭をよぎって考えを変える可能性も生まれる。どんな荒地にも花は咲けるように、人情や良心というものはどこにでも生まれる。

 されに驚いたことに、彼ら幹部候補は自主的にこの定例会を開いているのだという。
 帰属意識だけでいえば、警察よりもずっと立派だ。だが、だからといって彼らがしていることは犯罪以外のなにものでもない。警察官であるわたしがそれを見過ごすわけにはいかなかった。
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