第二章 50

文字数 1,301文字

  ✳︎✳︎✳︎


「あのときの光景は目が見えなくなったいまも覚えている。なかなか忘れられるものじゃない」

 大きなサングラスに覆われているのも手伝って、ジョンの表情はまったくといっていいほど読み取ることができなかった。

「ちょっと待って」わたしは両手を突き出して彼の話を制止した。「目が見えなくなった、ってことは……あなたのその目って生まれつきじゃないの?」
「そうだ。画家になる夢のくだりから何度もそう言っているだろう」
「ええっと……」曖昧に答えながら、わたしの脳裏にある疑問が浮かんだ。「じゃあ、いつからこの仕事をしてるの? 目が見えなくなってから?」
「まさか」ジョンは苦笑しながら首を横に振った。「目が見えていたときからこの稼業だったさ。正確に言えば少年時代から……もっと正確に言えば、わたしの身柄がある買い手に渡ったときからだ」



 来訪者の襲撃から数年後、ジョンの身柄は人身売買を生業とするアルバニア系マフィアが預かっていた。
 東西冷戦の影響を色濃く受け、混沌とした東欧諸国の裏社会で成長した組織のひとつで、それと関わり合いになったことが少年だったジョンに過酷な人生を歩ませる遠因となった。
 組織にはジョンのほかにも、いきさつは違えど同じような境遇の子供たちが商品として身を置いていた。

 借金のカタに売り払われた少年。
 反政府勢力に誘拐され、武器弾薬の代金がわりに売り払われた少女。
 故郷を追われ、身寄りをなくした戦災孤児。
 下は二歳から上は十五歳まで、そうしたたくさんの子供たちが一箇所に集められていた。

「印象に残っているのは」とジョンは言った。「新しい子供が入ってきても、その多くが半年と経たずに姿を消していったことだ。買い手がつくか劣悪な環境で命を落とすか、そのどちらかの理由ですぐにいなくなっていくんだよ。
 ただ、後者のほうが圧倒的に多かった。年端もいかない子供たちばかりだったし、満足な食事も寝床もあたえられなかったからね。

 押し込まれた雑居房の隅では年じゅうネズミが這いまわっていたし、石造りの壁で囲まれて冬は凍えるほど寒かった。そうした環境のなかで、飢えか病気か、あるいはその両方でたくさんの子供たちが死んでいった。

 だが減っていくそばから、さらに多くの子供たちがやってきた。
 気づけば数年が経ち、わたしは雑居房の中で古株のような立場になりつつあった。とは言っても、まだ十歳にもなっていなかったがね。
 いまになって考えてみると、わたしは商品としての価値に乏しかったんだろうな。容姿の美しい子供……少女はもちろん少年もだが……彼らは売春業者が買っていったし、体格に恵まれたり向こうっ気の強い子供は、少年兵として連れて行かれた。
 だが、わたしには優れた容貌も肉体もなかった。ただおとなしく、隅のほうでじっと息をひそめているうちに、長い月日が経っていたんだ。それが幸運だったのかどうかはわからない。そもそも、あの地獄のような世界の片隅に幸せなんてあったのかどうかもわからない。

 そんなある日、とうとうわたしにも買い手があらわれたんだ。きっかけは……ピーノ。あのいまいましい男の気まぐれからだった」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み