第二章 26
文字数 2,067文字
<ホワイトフェザー>というのが銃砲店の名前だった。
ニューオーウェルのイースト・ヴィレッジ、とある横丁にあるこの店を、近所に住むわたしも何度か見かけたことはあったが、実際に入るのはこれがはじめてだった。
「見たところ、ただの商店みたいだけど」
わたしは店の入り口の上に飾られた看板を見上げながら言った。
表の軒先にかかった看板は木製で、長年の風雨にさらされてところどころひび割れている。全体的に色もくすんでいたが、その中央に描かれた風に舞う一枚の羽は染みひとつない純白で、まるでいまにも板看板から浮かび上がりそうだった。
「商店さ」ジョンがにべもなく言う。「表向きはね。そうでなければわたしのような者に銃なんて売ってくれないよ」
「言えてるわね」わたしは頷くと、深いため息をついた。「なんだかあなたと付き合いはじめて、わたしったらすっかり不良刑事の仲間入りをしちゃったみたい」
「困難な問題を解決するためには、ときに物事の善悪にこだわっていられないこともある。わたしがその好例さ」
ジョンが店の扉を開けると、看板と同じく年季のはいった、だが涼やかなベルの音が出迎えてくれた。
店番をしていたのはひとりの若い東洋人だった。
肌は浅黒く、鼻も平たかったが、小柄ながらもしなやかそうな身体つきと、甘く魅力的な顔立ちをしていた。彼はレジカウンターの後ろで寝そべるように椅子にもたれて雑誌をめくっていた。来客に気づいたのだろう、長髪の下で光る黒く大きな瞳がこちらを向く。
「ああリップさん。いらっしゃい」雑誌をわきに置いた若者が笑みを浮かべながら言う。
「やあトチロウ」ジョンが声のしたほうへと進みながら言った。
「プレ64の調子はどうです?」
「ああ、いいね。このあいだも大きな鴨を仕留めたよ」
わたしは思わず身をこわばらせた。「鴨」というのはもちろん鳥のことではなく、ハニーボールのことだ。このような隠語のやりとりを見て、わたしはここがただの商店であるというイメージを頭から消し去った。
同時に若者が口にした「プレ64」という単語にもはっとさせられる。それはジョンの愛用するウィンチェスターライフルが、一九六四年以前のモデルであることをしめしていた。
ボルト部分を複数の部品から組み立てる仕様とは異なり、ひとつの大きな鉄からけずりだした逸品で、信頼性が高く、製造から年数が経ったいまでも多くの愛好家たちのあいだで高値で取引されている。
ジョンの返事に若者は大きく頷いてみせた。
そのあけっぴろげな態度に、わたしは一瞬このトチロウと呼ばれるこの若者がジョンの裏稼業を知らないのではないかと思った。彼がジョンの言う「鴨」を、言葉どおりの存在だと信じて疑わないのだと思ってしまった。
だがそんなことはないのだろう。そうでなければ、こんな大都市の真ん中で商店の看板を提げながら密かに銃の売買なんてしていないはずだ。
「へえ、そんなに大きな鴨だったんですか?」
「それはもう、巨大だと言っていい。いままでで一番の大きささ。だが、あれ以上の大物がいないわけじゃない。ところで、実はもう狩りはやめたんだ」
ジョンの言葉に、トチロウは笑みと疑問符を同時に浮かべたような曖昧な表情になった。
「ところでミヤギさんはいるかい?」
「ええっと……いえ、じいちゃんなら知り合いのところに薬をもらいに行ってます」
「この寒い中を? きみが代わりに行ってやれよ」
「おれもそう言ってるんですが、じいちゃん怒るんですよ。年寄り扱いするな、孝行したけりゃ店番でもしてろって」
「相変わらずだね」
「ところで、そちらの美人さんは?」
急に話を向けられ、それまでふたりを食い入るように見つめていたわたしは我に返った。
「ああ、仕事の新しいパートナーだよ」
「じゃあマートンさんの後任の? そういえば、新聞で見ました。地方紙の訃報欄で……とうとう彼とは一度も会えませんでしたね。お悔やみを言います」
そう言って頭を下げるトチロウにわたしは驚かされた。
これまで神妙な顔を浮かべこそすれ、わたしを含めてここまではっきりとマートンに弔意をしめした人間はほかにいなかったからだ。同僚を悼まれたことに思わず熱い感情がこみあげそうになったが、はたしてそれは一瞬でおさまった。顔をあげたトチロウが、今度は無遠慮といっていいほどにわたしを見つめてきたからだ。
「それにしても、まさかリップさんがこんなきれいな人と知り合いだなんてなあ。おねえさん、お名前は?」
「アークライトよ」スパッツごしに突き刺さる視線にむずがゆさをおぼえながら、わたしはあえて姓だけを名乗った。
「へえ、素敵な名前ですね」トチロウはレジカウンターから身を乗り出すように距離をつめてきた。
「トチロウ、アークライトはリサの苗字だよ」
「ちょっと!」
「だが、あまり彼女にちょっかいを出さないほうがいい。わたしよりもずっと危険だからね。口説き終わる前に手錠をかけられた挙句、檻に放り込まれても文句は言えないぞ」
「それ以上余計なことを言ってごらんなさい。口を縫いつけるわよ」
ニューオーウェルのイースト・ヴィレッジ、とある横丁にあるこの店を、近所に住むわたしも何度か見かけたことはあったが、実際に入るのはこれがはじめてだった。
「見たところ、ただの商店みたいだけど」
わたしは店の入り口の上に飾られた看板を見上げながら言った。
表の軒先にかかった看板は木製で、長年の風雨にさらされてところどころひび割れている。全体的に色もくすんでいたが、その中央に描かれた風に舞う一枚の羽は染みひとつない純白で、まるでいまにも板看板から浮かび上がりそうだった。
「商店さ」ジョンがにべもなく言う。「表向きはね。そうでなければわたしのような者に銃なんて売ってくれないよ」
「言えてるわね」わたしは頷くと、深いため息をついた。「なんだかあなたと付き合いはじめて、わたしったらすっかり不良刑事の仲間入りをしちゃったみたい」
「困難な問題を解決するためには、ときに物事の善悪にこだわっていられないこともある。わたしがその好例さ」
ジョンが店の扉を開けると、看板と同じく年季のはいった、だが涼やかなベルの音が出迎えてくれた。
店番をしていたのはひとりの若い東洋人だった。
肌は浅黒く、鼻も平たかったが、小柄ながらもしなやかそうな身体つきと、甘く魅力的な顔立ちをしていた。彼はレジカウンターの後ろで寝そべるように椅子にもたれて雑誌をめくっていた。来客に気づいたのだろう、長髪の下で光る黒く大きな瞳がこちらを向く。
「ああリップさん。いらっしゃい」雑誌をわきに置いた若者が笑みを浮かべながら言う。
「やあトチロウ」ジョンが声のしたほうへと進みながら言った。
「プレ64の調子はどうです?」
「ああ、いいね。このあいだも大きな鴨を仕留めたよ」
わたしは思わず身をこわばらせた。「鴨」というのはもちろん鳥のことではなく、ハニーボールのことだ。このような隠語のやりとりを見て、わたしはここがただの商店であるというイメージを頭から消し去った。
同時に若者が口にした「プレ64」という単語にもはっとさせられる。それはジョンの愛用するウィンチェスターライフルが、一九六四年以前のモデルであることをしめしていた。
ボルト部分を複数の部品から組み立てる仕様とは異なり、ひとつの大きな鉄からけずりだした逸品で、信頼性が高く、製造から年数が経ったいまでも多くの愛好家たちのあいだで高値で取引されている。
ジョンの返事に若者は大きく頷いてみせた。
そのあけっぴろげな態度に、わたしは一瞬このトチロウと呼ばれるこの若者がジョンの裏稼業を知らないのではないかと思った。彼がジョンの言う「鴨」を、言葉どおりの存在だと信じて疑わないのだと思ってしまった。
だがそんなことはないのだろう。そうでなければ、こんな大都市の真ん中で商店の看板を提げながら密かに銃の売買なんてしていないはずだ。
「へえ、そんなに大きな鴨だったんですか?」
「それはもう、巨大だと言っていい。いままでで一番の大きささ。だが、あれ以上の大物がいないわけじゃない。ところで、実はもう狩りはやめたんだ」
ジョンの言葉に、トチロウは笑みと疑問符を同時に浮かべたような曖昧な表情になった。
「ところでミヤギさんはいるかい?」
「ええっと……いえ、じいちゃんなら知り合いのところに薬をもらいに行ってます」
「この寒い中を? きみが代わりに行ってやれよ」
「おれもそう言ってるんですが、じいちゃん怒るんですよ。年寄り扱いするな、孝行したけりゃ店番でもしてろって」
「相変わらずだね」
「ところで、そちらの美人さんは?」
急に話を向けられ、それまでふたりを食い入るように見つめていたわたしは我に返った。
「ああ、仕事の新しいパートナーだよ」
「じゃあマートンさんの後任の? そういえば、新聞で見ました。地方紙の訃報欄で……とうとう彼とは一度も会えませんでしたね。お悔やみを言います」
そう言って頭を下げるトチロウにわたしは驚かされた。
これまで神妙な顔を浮かべこそすれ、わたしを含めてここまではっきりとマートンに弔意をしめした人間はほかにいなかったからだ。同僚を悼まれたことに思わず熱い感情がこみあげそうになったが、はたしてそれは一瞬でおさまった。顔をあげたトチロウが、今度は無遠慮といっていいほどにわたしを見つめてきたからだ。
「それにしても、まさかリップさんがこんなきれいな人と知り合いだなんてなあ。おねえさん、お名前は?」
「アークライトよ」スパッツごしに突き刺さる視線にむずがゆさをおぼえながら、わたしはあえて姓だけを名乗った。
「へえ、素敵な名前ですね」トチロウはレジカウンターから身を乗り出すように距離をつめてきた。
「トチロウ、アークライトはリサの苗字だよ」
「ちょっと!」
「だが、あまり彼女にちょっかいを出さないほうがいい。わたしよりもずっと危険だからね。口説き終わる前に手錠をかけられた挙句、檻に放り込まれても文句は言えないぞ」
「それ以上余計なことを言ってごらんなさい。口を縫いつけるわよ」