第137話 無理だから

文字数 850文字

 4月に大幅に異動があった。前々からユニットの雰囲気が悪く、パートが上に苦情を言った結果らしい。
 ここ何年か、その職員が原因で辞めていくパートや、育てた新人が異動していったりした。
 もう、2時間勤務の私でさえ、その職員の時は気が重かった。話しかけても返事がない。
 耳が遠いの? と思うくらい。
「私、なにかしました?」
と、言ってやろうかと思ったくらい。

 入居者に対しても、虐待防止のアンケートに、「見たこと聞いたことがあります」に丸を付けざるを得ない。
 しかし、彼女のほうももうすぐ辞めて行くらしい。介護施設は次々できるし、長くいる職員は少ない。条件の良いところへ移っていく。

 施設に勤めた8年で、大勢の方にお迎えが来た。
 つい先日は、ハジカミさんが。
 入居当時はずうっと叫び、手をテーブルに叩きつけ、足浴のときには足をタイルに打ち付けていた。
 食べられなくなり看取り状態だった。もう、亡くなっても話題にはならない。以前は葬儀に出る職員もいたが、そういうお知らせもない。
 すでに新しい入居者は決まっている。

 ここしばらく、話す入居者も少なかったユニットだが、3人入れ替わりにぎやかになった。食事も粥ではなく副菜も刻まなくていい。
 朝、私がドアを開けた途端に、おはようございます、と元気な声が。
「おはようございます。先生」
 きれいな通る大声。寝ているとき以外は喋っている。元はバスガイドさん。
「先生、先生、トイレ行きたいんです……」
 行ってきたばかり。
 私はもう間接業務なので排泄はできない。それを耳元で話す。職員は次々起こしているので、無理!
「先生、先生、トイレ……」
 隣の席のシャクヤクさんが、職員を探して教えにきてくれる。
「あの人が、トイレ行きたいそうです」
 歩いてくるからびっくり。何度も転んでいるのだ。
 ボタンさんは、かなりしっかりしている。部屋もタンスの中もきれい。髪もきちんと梳かしている。
 痩せていて塩分制限。
 この方は糖尿病で、ご自分でインシュリンを打っている。


【お題】 聞こえないふり
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