第1話 折り畳み傘の忘れ物

文字数 1,074文字

 カウンターの上に折りたたみ傘がおいてあった。O様が自慢していたブランドものの傘。
「Cさん、帰り届けてあげて」
 店長に言われ、はい、と言ったが憂鬱だ。
 どうせ明日も来るに違いない。暇を持て余す金持ち。 
 店長はすぐに電話した。いいお客だ。気に入れば色違いで全色買う。他の客と対抗して買う。値段を見ないで買う。
 地元の土地持ち。旧家に嫁いできたが評判はよくない。

 平屋の大きな屋敷。庭は広い。門を入った左側に大きな木がある。姑が嫁いできた時からあった樫の木。
 私は見ないように玄関の前に立った。
 O様は、ブティックの店員など、下女だとでも思っている。待たせるのは平気だ。自慢のカラオケルームにいるのかもしれない。姑が亡くなってまだ日が浅いのに。
 こちらは子供が待っているのに。早く帰りたい。夕飯の支度があるのに。

 ようやく、ドアが開いた。
 派手な女。家でも派手で下品な女は、
「わざわざ届けてくれなくてもよかったのに」
と、礼も言わず、高級菓子を寄越した。
 傘を届けただけで、自分では買えない羊羹をいただく。媚びへつらい礼を言う。

 玄関が閉められた。
 風が吹く。
 木が騒めく。
 その場所を月が照らした。

 老いた女は首を吊った。
 嫁のせいだと皆言った。  
 店の客はこの家のことをよく知っていた。古い家を建て替えたとき、姑とは、キッチンと、風呂さえ別に作った。バカな息子は嫁の言いなりだった。

 店が閉店したあとも、噂は聞いた。
 旦那が亡くなったとき、彼女はホストと旅行していたという。

 私は家の前を通るたびに覗いた。
 ときどき玄関の前にあの折りたたみ傘が広げて干してあった。気に入っているのだろう。飽きっぽい女が……

 やがて、剪定されなくなった樫の木がどんどん伸びて行った。
 やがて、庭は草が伸び荒れ果てた。

 広げられたままの傘が、見るたび移動していた。骨が折れ無惨な形になっても動いていた。
 そして、それが私の足元に転がってきた。
 私は電話した。

 年老いた女は孤独死していた。子供も寄り付かなくなった屋敷の、姑の部屋で彼女は寝ていた。 
 食べ物と害虫と排泄物……ひとり暮らしの老人にはよくあることだ。

 蛆→蠅→蛹というループを何度も繰り返す。しかし、さすがにここまで経過してしまうと、遺体はミイラ化し、臭いそのものも減少し、発見することがさらに困難になる。
https://toyokeizai.net/articles/-/285536?page=4

 広い庭だから誰にも気づかれなかった。ひどい女だから、誰にも気に留められなかった。

(お題 折りたたみ傘)
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