第101話 初恋

文字数 1,551文字

人生の

秋に出会った

初恋に



前川清の『初恋 Love in fall』を聴いて。


【お題】 俳句×ボーイミーツガール



 かつて作家・五木寛之氏に「“演歌”でも“援歌”でもない。“怨歌”である」といわしめた歌手・藤圭子。
 
 1971年、前川清と藤圭子の結婚に世間は沸いた。
 前川清が22才で藤圭子は19才。

 しかし1972年、おしどり夫婦と呼ばれたふたりは離婚。

 
 その後藤圭子は1982年に、宇多田照實と再婚。以降、照實との間で7回の離婚・再婚を繰り返す。
 1983年1月19日、ニューヨークにて娘を出産。
 その後、娘を世界で通用する歌手に育てるため、1990年から照實とともに娘を連れて初めて渡米、お金が足りなくなると日本に戻って歌い、お金が貯まるとまた渡米することを繰り返した。

 娘は15歳となった1998年に宇多田ヒカルの名で歌手デビューし、これを機に藤も再び注目を浴びた。しかし、娘のデビューと入れ替わるように自身は歌手活動を封印、以降ほとんどステージで歌うことはなくなった。
(Wikipediaより)

 圧倒的な歌唱力と存在感、儚さと数奇な人生。それらをすべて背負っていたのが、歌手・藤圭子だった。

 別々の道を選択したから、歌姫が誕生した。

「もしも、今の年でお互いに独り身であったなら、もっとわかり合えたかもしれませんね。でも、そういう運命の流れがあったからこそ、宇多田ヒカルさんという歌手がこの世に誕生したわけですよ」

 1998年、宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』は900万枚突破という日本新記録を打ち立てた。
 そんな娘の類まれな才能を全力で後押ししてきたのが母である藤だった。

「宇多田さんがデビューする前、1度だけ藤さんから電話がかかってきたことがあるんです。
"娘は天才なのよ”
って。
 それから間もなくして凄い歌声の若い娘がいるなと思っていたら、それが藤さんのお嬢さんだった。 
 独特な声質がソックリで驚きました。
 歌っている時というよりも、しゃべっている声が。CMで宇多田さんの声が流れた時、思わず振り返ってしまいますもんね」

 芸能生活50周年を記念したシングル『初恋 Love in fall』を発表した前川。
 偶然にも宇多田が同月にリリースした新曲のタイトルも『初恋』だったことには心底驚いたらしい。
「こっちは“得した! 誰か間違えて買ってくれないかな?”(笑い)なんて冗談を言ってましたけど、向こうは迷惑しているかも…。でも、これも何かの縁かもしれませんね」
https://www.news-postseven.com/archives/20190822_1435839.html/4

 前川清さんは「クール・ファイブ」時代から多くのファンを持っており、同業者でも「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さんや、「ミスターチルドレン」の桜井和寿さんなどを始め、多くのアーティストから尊敬を集めている歌手です。

 2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で藤圭子さんが倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書などは見つかっていないが、衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署は飛び降り自殺を図ったと断定した。照實と光はそれぞれコメントを発表し、藤が1988年頃から精神疾患を患っていたことを公表した。
 喪主を務めた光は「遺言書がある」と表明、葬儀は行わず本人の遺志に沿う形で宇多田父子ら親族関係者の数名が火葬に立ち会う直葬となり、のちに遺灰も海に散骨された。その後、藤の実家の阿部家側によって、ファン有志とともに「しのぶ会」が行われた。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/藤圭子


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