第73話 天使のうたた寝は悪魔によって起こされる

文字数 2,743文字

 十数分ほど経ってからエディナは救急車に収容されて搬送された。
 行き先はセントラル病院だった。
 ヴァンガードとジョセフは車で追いかけ、5分ほど遅れて到着した。

 ふたりはロビーの棲残な風景に思わず足を止めた。
 ヴァンガードはスタッカートがここにいることを思い出して携帯を鳴らす。
 ほどなくスタッカートが応じて合流した。

「エディナはどうだった!」スタッカートが声を荒げて叫ぶ。

 ジョセフが冷静に「この病院に運び込まれた。救急隊の話では病室に直行しているはずだ」と答えた。
 スタッカートは辺りを見回して病院職員を捜すが誰もが駆け足で余裕などありそうにもなかった。
 受付カウンターにも状況を尋ねる家族や通常の診療に来た患者などが詰め寄っている。

「ケガの具合はどんな感じだ?」再びスタッカートが訊く。

「火傷を負っている。足と顔が包帯でくるまれていた。詳細はわからない」

「顔?」

「火傷かケガかはわからないが……」

 スタッカートは何かを思い出したのか、その場を離れて頭を抱えた。

「どうしたの?」様子がおかしいと悟ったのかアンナが傍に寄り添った。

「どうかしたの?」

「いや……、なんでもない」

 スタッカートの力ない声にアンナは瞬時に察知する。
 おそらくはエディナの過去に何かあるのだろう。

「とにかく病室を捜しましょう」

 ジョセフが先導して病院関係者に声を掛けていく。
 多忙は承知、割り込んで先を急いだ。
 何人かに声を掛けたところで救急治療室で火傷の治療をしている女性がいるとわかった。
 処置が終われば、そこから病室に上がるそうだ。
 病院側も家族を捜していたようで安堵の表情を見せる。
 誘導に従って救急治療室まで行き、治療を終えるのを待った。


 沈黙の時間が訪れる。
 誰もが何かを言おうとして言葉になりそうなところでやめている。
 泣き崩れたアンナの肩を抱きながら、「また落ち着いたら話すよ」とスタッカートが言う。
 アンナは静かに頷いて彼の胸に顔を埋めた。

 ほどなく治療室から看護師が出てきた。

「ご家族の方は?」

「ワシだ」ヴァンガードが部屋に入って説明を聞いた。

 数分後、ストレッチャーに乗せられたエディナが運ばれてきた。

「今から病室に向かいます」

 看護師の声に従って全員がエディナの後を追った。
 運ばれたのはナースステーションから遠い位置にある一等の個室だった。
 部屋につくと一緒に付き添った医師がエディナの状態について話し始める。

「ここにいる皆様にお話してもよろしいかな?」

 医師がヴァンガードに同意を得ると「構わん。家族のようなものだ」と頷いた。

「わかりました。では説明いたします」

 医師の説明によると、顔の左側の頬に10センチほどの火傷、皮がめくれた状態で痕は残るだろうとのこと。
 左足にも骨折があって固定を施しているが複雑なものではない。
 治癒に時間は掛かるが歩行に支障はないし感覚障害などもなかった。
 倒れたときに上から人に乗られた為か肋骨に数カ所ヒビがある。
 これも臓器に影響を与えるほどではない。
 血液検査の結果、バイタル測定を精査しても一酸化炭素中毒の症状は見られない。
 次々と分かるような、分からないような説明が続いた。

「命に別状はないんですね?」アンナが溜まりかねて訊く。

「それは問題ありません。それよりも女性ですのでやけどの痕が気になります。またそこから菌が入ると炎症を起こしますので抗生剤による点滴加療と隔離を行う為にこの部屋に入室させました」

 その場にいた者が訊きたかった答えが得られてほっとする。
 ヴァンガードは医師に礼を言う。
 そして彼を病室の外に誘導して「あの娘は過去にも顔に傷を……」と呟いた。

「存じております。それについては伏せさせていただきました。また必要になるかもしれません」

 医師はそう言うと部屋を立ち去った。
 ヴァンガードは深くお辞儀をし、医師を見送ってから部屋の中に戻った。
 エディナは静かな寝息を立てて眠っている。
 覚醒したとき、そして包帯を取ったとき、彼女に待つ未来をそれぞれが憂いていた。


 エディナの回復の妨げにならないようにと全員は病棟の待合に移動した。
 それぞれが疲れ切って椅子の背もたれに体を預けていた。
 掛け時計の秒針の音がやけに耳障りだ。
 
「そう言えば、ジムは?」思い出したかのようにアンナが呟いた。

「わからない。署員より市民優先だから。そもそもあそこにいたのかどうかもわからない。連絡先とかは知らないのか?」
 スタッカートがそう言っても誰もが首を振る。

「落ち着くのを待って、署に問い合わせるしかないだろう」ヴァンガードはそう言うと立ち上がった。
 それに倣うようにジョセフも立ち上がる。

「どこへ?」

「こっちでも情報を集めるが本業も放ってはおけん。おまえのところも株価の動きに注意がいるんじゃないのか?」

「エディナがこんなだと言うのに、もう仕事の話か?」

「責めるなよ、スタッカート。ワシが傍にいても、あの娘の治りが早くなるわけでもないだろう」

「それはそうだが……」

「もうすぐ妻がくる。ジョセフから説明させるよ」

「おまえがいないと……」

「大丈夫だよ。わかっているだろう」

 ヴァンガードは寂しそうにそう言い残すとジョセフに耳打ちをして去っていく。
 スタッカートはそれ以上何も言えずにいた。

「我々も戻ろう。そして、ジムを捜そう。ジムの安否がエディナにとって一番の薬になるはずだから」
 スタッカートはそう言うとうなだれたままのアンナを立たせた。

「ジョセフ……、まかせるよ。こんなときぐらいは……」

「……。承知しました」
 ジョセフは深々と頭を下げて去っていくふたりを見送った。

 ジョセフは全員が帰ったのを見届けると病室へと戻っていく。
 消灯の部屋に夕日が差し込んでいた。
 僅かな雲の隙間からこぼれるような儚い熱が彩りを与えている。

 ジョセフはパイプ椅子を広げてエディナの傍に立てる。
 そして手を握りしめて祈るように額に当てた。

「こんなはずじゃなかったのに……」
 ジョセフの震えた声が漏れる。
 エディナはその傍らで天使のような寝息を立てていた。

*****

 安息はすべてを忘れさせる。
 無に近づくほどに晴れやかな現在を感じることができる。
 慌ただしい廊下をゆっくりと歩きながら老人は呟く。
 運命を愚弄した罪はその身を引き裂いてもまだ足りぬ、と。

(第74話につづく)
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