第17話 スリーピースは冬空に舞い降りた
文字数 1,955文字
コトリーが分署に戻るといつも以上の喧噪が場を支配していた。
制服と私服の混沌とした空気の中に一種の緊張感が宿っている。
ここ数年感じたことのない空気だ。
口元が緩みそうになったが倫理観がそれを結ばせる。
コトリーは人混みを掻き分けて自分のデスクを目指した。
恰幅が衝突を繰り返し自然と道が開いていく。
署長室では頭の薄い連中が困り果ててコトリーを眺めていた。
間抜け面に気づいて思わず吹きこぼしそうになる。
自分のことしか考えない保身にはさぞかし衝撃的なドラマだろう。
だが事件よりも厄介な連中の相手、中間管理職の悲哀はストレスでしかなかった。
「うるさいだけだからな、あいつら」喧噪に紛れて吐き捨てる。
すると嫌味なメガネの副署長が彼の帰署に気づいて指を差す。
「相変わらず失礼な奴だ」気づいたふりをしながらガン無視、そのままデスクへと向かうコトリー。
するとメガネは近くの若い制服を呼びつけこちらを眺めて耳打ちをした。
制服はまっしぐらに彼の傍に駆け寄って「お呼びですよ」とだけ囁く。
睨むように副署長を見ると不機嫌そうに手招きしていた。
コトリーは大きくひとつ息を吐いて署長室へと舵を切った。
副署長はドアを開けて彼を招き入れるとピシャリと音を立ててドアを閉めた。
煙まみれの密談は彼の帰署を待っていたようだ。
上級そうな葉巻をくわえた署長とおだてるだけの副署長、それに本部から来た高そうなスリーピースがふんどり返っていた。
コトリーはその男に目配せをしたあと報告を始めた。
「どう思うね、コトリー」言葉を切る署長。
「さあ、まだ何も集まってませんから何とも言えませんよ」
「そりゃそうだが君の得意な勘って奴があるだろう?」
「まあね。でもさすがに情報が少なすぎます」
署長はスリーピースの顔色を窺いながらコトリーに目配せをする。
コトリーは「存じ上げておりますよ。でも出番が些か早くはないですか?」と返した。
「それはそうだが最悪の事態を想定せねばならんからな」狼狽を隠せない上擦り声に口元が緩む。
「まあ気持ちは分かりますが」コトリーは呆れ気味に生返事を繰り返した。
スリーピースは無言のまま、副署長は直立不動で聞き耳を立てている。
「じゃあ署長、捜査に戻りますよ。何かあったら一番に報告しますよ」
コトリーがそう言って立ち去ろうとすると、「久しぶりだな」とスリーピースが彼の足取りを止めた。
「そうですな。ジャスティン警部殿」
「敬語はやめろ。らしくない」
「ゲストがおられますから」チラッとふたりの様子を窺いながら口元を覆い隠す。
ジャスティンもその流れを楽しみながら「三年前の麻薬密売以来か」と続けた。
「そうだな。でも平和が一番だよ」
「そりゃそうだ。そこでこの件についてだが……」ジャスティンはコトリーにだけ耳打ちをする。
その言葉を聞いてコトリーの表情が険しくなる。
余計な詮索に明け暮れるふたりはそのやりとりを眺めて右往左往している。
「わかりました。直通でよろしいか?」とコトリー。
「ああ、頼むよ」
コトリーは空気の目上に会釈をして部屋を出た。
ジャスティンは再び葉巻に火をつけて椅子にふんどり返った。
「なんの相談です? 署長を蔑ろにして」副署長が訝しがってジャスティンに訊いた。
「君らは知らなくてもいいよ。それにこの件は私と彼を中心としたチームでやるからね。ご存知の通り指揮権は私にあるし、これからチームの選抜を始める」
「そんな……、我々の立場は?」狼狽のメガネが震えている。
「すまんが今回はおとなしく見守ってくれ。これは命令ではなくお願いだよ」
ジャスティンはそう言うと黒のロングコートを羽織った。
そして、深々と頭を下げて部屋を出た。
ドアの音に気づいてオフィスが静まりかえる。
ジャスティンの視線は喧噪を見事に止めた。
ジャスティンは気にすることもなく人混みを縫う。
スーツの男が数人駆け寄って彼の鞄を受け取ると足早に署を出ていった。
コトリーはふうっと大きなため息をついて彼の背中を追っていた。
署の前では旧式のメルセデスが主人を待ち望んでいた。
ジャスティンはそれに乗り込むと署で受け取った書類に目を通し始める。
静かに胎動を始めた旧式が枯れ葉を冬空に返していく。
幾人かの制服が深々とお辞儀をしたままその場に立ち尽くしていた。
*****
舞い散る葉が宙に何かをかたち作った。
潜在意識はそれに意味を求めるだろう。
去り行く漆黒を眼下に老人は呟く。
策を弄するかあるいは、と。
(第18話につづく)
制服と私服の混沌とした空気の中に一種の緊張感が宿っている。
ここ数年感じたことのない空気だ。
口元が緩みそうになったが倫理観がそれを結ばせる。
コトリーは人混みを掻き分けて自分のデスクを目指した。
恰幅が衝突を繰り返し自然と道が開いていく。
署長室では頭の薄い連中が困り果ててコトリーを眺めていた。
間抜け面に気づいて思わず吹きこぼしそうになる。
自分のことしか考えない保身にはさぞかし衝撃的なドラマだろう。
だが事件よりも厄介な連中の相手、中間管理職の悲哀はストレスでしかなかった。
「うるさいだけだからな、あいつら」喧噪に紛れて吐き捨てる。
すると嫌味なメガネの副署長が彼の帰署に気づいて指を差す。
「相変わらず失礼な奴だ」気づいたふりをしながらガン無視、そのままデスクへと向かうコトリー。
するとメガネは近くの若い制服を呼びつけこちらを眺めて耳打ちをした。
制服はまっしぐらに彼の傍に駆け寄って「お呼びですよ」とだけ囁く。
睨むように副署長を見ると不機嫌そうに手招きしていた。
コトリーは大きくひとつ息を吐いて署長室へと舵を切った。
副署長はドアを開けて彼を招き入れるとピシャリと音を立ててドアを閉めた。
煙まみれの密談は彼の帰署を待っていたようだ。
上級そうな葉巻をくわえた署長とおだてるだけの副署長、それに本部から来た高そうなスリーピースがふんどり返っていた。
コトリーはその男に目配せをしたあと報告を始めた。
「どう思うね、コトリー」言葉を切る署長。
「さあ、まだ何も集まってませんから何とも言えませんよ」
「そりゃそうだが君の得意な勘って奴があるだろう?」
「まあね。でもさすがに情報が少なすぎます」
署長はスリーピースの顔色を窺いながらコトリーに目配せをする。
コトリーは「存じ上げておりますよ。でも出番が些か早くはないですか?」と返した。
「それはそうだが最悪の事態を想定せねばならんからな」狼狽を隠せない上擦り声に口元が緩む。
「まあ気持ちは分かりますが」コトリーは呆れ気味に生返事を繰り返した。
スリーピースは無言のまま、副署長は直立不動で聞き耳を立てている。
「じゃあ署長、捜査に戻りますよ。何かあったら一番に報告しますよ」
コトリーがそう言って立ち去ろうとすると、「久しぶりだな」とスリーピースが彼の足取りを止めた。
「そうですな。ジャスティン警部殿」
「敬語はやめろ。らしくない」
「ゲストがおられますから」チラッとふたりの様子を窺いながら口元を覆い隠す。
ジャスティンもその流れを楽しみながら「三年前の麻薬密売以来か」と続けた。
「そうだな。でも平和が一番だよ」
「そりゃそうだ。そこでこの件についてだが……」ジャスティンはコトリーにだけ耳打ちをする。
その言葉を聞いてコトリーの表情が険しくなる。
余計な詮索に明け暮れるふたりはそのやりとりを眺めて右往左往している。
「わかりました。直通でよろしいか?」とコトリー。
「ああ、頼むよ」
コトリーは空気の目上に会釈をして部屋を出た。
ジャスティンは再び葉巻に火をつけて椅子にふんどり返った。
「なんの相談です? 署長を蔑ろにして」副署長が訝しがってジャスティンに訊いた。
「君らは知らなくてもいいよ。それにこの件は私と彼を中心としたチームでやるからね。ご存知の通り指揮権は私にあるし、これからチームの選抜を始める」
「そんな……、我々の立場は?」狼狽のメガネが震えている。
「すまんが今回はおとなしく見守ってくれ。これは命令ではなくお願いだよ」
ジャスティンはそう言うと黒のロングコートを羽織った。
そして、深々と頭を下げて部屋を出た。
ドアの音に気づいてオフィスが静まりかえる。
ジャスティンの視線は喧噪を見事に止めた。
ジャスティンは気にすることもなく人混みを縫う。
スーツの男が数人駆け寄って彼の鞄を受け取ると足早に署を出ていった。
コトリーはふうっと大きなため息をついて彼の背中を追っていた。
署の前では旧式のメルセデスが主人を待ち望んでいた。
ジャスティンはそれに乗り込むと署で受け取った書類に目を通し始める。
静かに胎動を始めた旧式が枯れ葉を冬空に返していく。
幾人かの制服が深々とお辞儀をしたままその場に立ち尽くしていた。
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舞い散る葉が宙に何かをかたち作った。
潜在意識はそれに意味を求めるだろう。
去り行く漆黒を眼下に老人は呟く。
策を弄するかあるいは、と。
(第18話につづく)