第74話 翻弄され続ける正義の灯火

文字数 2,858文字

 密談から戻ったジムはカーヴォンス出身と聞かされたレイの存在に注意を払っていた。
 午後は巡回のはずなのに3時を過ぎてもまだ署内にいる。

「巡回勤務のはずのレイがまだ署内にいます」気になったジムはコトリーにメールを送った。

 簡潔な文章だったが違和感を伝えるのには十分だろう。
 ほどなくして「注意を怠るな。それにトムの居場所は?」と返信が入る。
 ジムはオフィスを見回して不在を確認すると「ここにはいません。例の部屋かも?」と返した。

 「ミラーは?」

 ジムはパーテーションの向こうを眺めた。
 ちょうどデスクから立ち上がるミラーが視界に入る。
 それに合流するかのように、いつの間にかレイもその場所に向かっていった。

「ミラーがレイと合流してどこかへ行くようです」

「行動が不審だ。行き先を確認してくれないか?」

 ジムは手洗いを装って、距離を空けてふたりを追った。
 ふたりは階段を使って二階へと消えていく。
 踊り場まで追った時、聞き覚えのあるドアの音が聞こえた。
 麻薬捜査課の扉の音だ。
 それを確認したジムはコトリーに状況を送信した。

「わかった。君は持ち場へ戻れ」

 ジムはその返事を受けて書類の整理を続けた。
 巡回記録の報告書。
 トムの正体に不気味なものを感じて、これまでのデータを洗い直そうと考えていた。
 共に行動しているが何か見落としがあるかもしれない。

 ジムはここ1週間の巡回ルートをプリントアウトしてデスクに広げた。
 1日の終わりに提出する日課でほとんどがジムが仕上げていたものだ。
 
 並べてみても特に何かを感じるわけでもなかった。
 思い過ごしだろうかと、目じりを押さえながら椅子の背もたれをしならせる。
 その際に地図がパラパラと滑り落ちてしまった。

 ジムは慌ててそれらをかき集める。
 そして端を揃えて重ねるとちょうど1週間分のルートが重なって見えた。

「ん?」

 ジムはその重なりに違和感を覚える。
 ルートの中であえて避けたような空白地域が無数にあったからだ。

「隈無く廻っていたと思っていたが……」

 ジムはウェブ上に詳細な地図を展開させてトムが行かなかった地域を確認する。
 それほど変わった地域でもなく特別な意図を感じない。
 だが、ふとコトリーの言葉を思い出した。
 ジャスティンの違和感、閲覧履歴の偏りの話だった。
 それにマイナスをイーヴンにするという自分の持論もリンクしていく。

「ここには無意識下で避ける何かがあるのかもしれない」

 ジムはすぐさまコトリーに地図データを送った。
「現場に行ってみろ」と返事が返ってくる。
 ジムはジャケットを羽織って主任のところに走っていく。

「主任、少し調べたいことがあるので外出許可をもらえませんか?」

「どうした? 事件か?」

「いえ、巡回のデータ整理をしていたのですが肝心なところが抜けていまして……。現場に行って確認したいのです」

「そうか……、わかった。今日は直帰か?」

「いえ、まだ整理が終わっていないので戻って続きをします」

 ジムはそう言うと足早に裏口へと走って行く。
 階段の前に来ると妙な胸騒ぎがして段上を見入った。
 そう言えばまだ二人は戻っていないな。
 無人の踊り場は不気味だったがそれほど変わった様子もない。
 ジムは思い過ごしとばかりにそのまま走り去った。


 ジムは許可証を見せてパトカーに乗り込む。
 そして一目散に目的の場所へと走っていく。
 無灯火のまま、最初の目的地であるショッピングモールを目指した。
 署から数キロのところにある商業施設、その裏手の僻地が空白地域だった。
 久しぶりの運転に緊張したが、数分走った頃にはすぐに感覚を取り戻していた。

「今日はやけに救急車が多いな」

 すれ違う救急車の群。
 行く先は分からないが走り方からして相当急いでいるようだ。
 しばらく走って幹線道路に出た時、急に車載内線が鳴った。
 ノイズ混じりで聞き取りづらい。
 かすかに聞き取れる言葉の中に「分署」「火事」というキーワードが漏れてくる。
 ジムは車を路肩に止めて、無線で分署に話しかけた。
 コールもなく、応答もない。
 故障だろうか?
 そう思って車外に出て分署の方向を見ると、空に黒く立ち上った煙がビルの隙間から見えた。

「まさか!」

 ジムはすぐに車内に戻ってコトリーに電話を掛けた。
 無慈悲なコール音だけが続く。
 諦めて電話を切り、勢いよく回転灯を回して分署を目指した。
 
 渋滞が激しくなる。
 仕方なく逆走を試みてもパニックになった市民で溢れ身動きが取れない。
 悲鳴と怒号の先に黒煙を上げた分署が見えてきた。

「みんな……」

 ジムはアクセルを吹かせて無理な疾走を続けた。
 サイレンと回転灯の乱反射、消防車、救急の集結に身震いがする。
 もうこれ以上は動けない。
 ジムは車を路肩に投げ捨てて、走って分署を目指した。
 火災の様子が克明になってくる。

「ここから先は危険です!」消防隊員が決死の形相でジムを止めた。

「俺は警察官だ! 中に仲間がいる!」

 ジムは興奮のまま、制止を振り切って近づいていく。

「ダメです! 危険です」消防隊員は力ずくでジムを止めた。

 そして「落ち着いて! これは我々の仕事です! できればあなたには市民の誘導をお願いしたい!」と叫んだ。

「わかった。その前に本署に連絡を入れさせてくれ!」

 消防隊員は頷いて制止を解く。

「分署交通課のジム・ゴードンです! お手数ですが刑事課のジャスティンさんに伝えたいことがあります」

 交換手にそう伝えたが「ジャスティンは出払っていてこちらにはいません」と返事が返ってきた。

「そうですか……。ちなみにこちらの……、分署の状況について本署の方に連絡は?」

「入っていますが不明瞭です」

「そうですか。では、分署の2階から火が上がっていて臭いから爆発物の可能性がある。火力で壁が溶けてガラスも飛散している状況とお伝えください。それと、もしジャスティンさんに連絡が繋がればこれから市民の安全確保のために誘導に入るとお伝えください」

「承知しました」

 ジムは電話を切って現場に駆けつけた。
 無事だった仲間と連携を取りながら安全確保の誘導に全力を尽くす。
 邪魔な野次馬を退け救急搬入の進路を取る。
 報道プレスにも人命優先を訴えて下がるように命じた。

 次々と運ばれていく犠牲者の姿。
 事故なのか?
 事件なのか?
 それを考えることを許さないくらい現場の緊迫はジムを没頭させ続けた。

*****

 業火に空が焼かれていく。
 漆黒の闇雲が立ち上り平和な日常を嘲笑う。
 喧噪と怒号を眺めながら老人は呟く。
 炎が描く悲劇は無慈悲なほどに人知を超えていく、と。

(第75話につづく)
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