第8話 偽りの邂逅

文字数 2,259文字

 メインストリートの外れの高級店の立ち並ぶ通りだろうか。
 街の雑踏はそのままで往来は時折声を掛けてくる。
 ジムは戸惑いながらもその声に応え、その反応や仕草が変わらないことに驚きを隠せない。
 時間は昼下がりだろうか?
 五感をくすぐる感覚も現実とまるで同じだった。

 ジムはレンガ造りのアベニューに差し掛かりレンガの感触を楽しみながらをのんびりと歩いた。
 そして老人の言葉を思い出した。

「誰に出会うと言うのだろう」

 潜在意識に刷り込まれた目的が自分を支配していることに気づく。


 エディナも同じ通りを歩いていた。
 レンガ造りのアベニューをゆったりと歩き、少しばかり物怖じした仕草で時折顔を隠した。
 エディナに声を掛ける者はいない。
 奇妙に顔を覗き込む人もいないしまるで空気のような存在だった。

「こんな状態で誰と出会うと言うのかしら」

 エディナは背中を丸めて通りの端をそそくさと歩いていく。
 そして車の流れが少し速い大きな交差点に出た。

 歩道の道幅が途端に広くなって街路樹の影がレンガの姿を覆い隠していた。
 ショーウインドウの人だかりもカフェテラスもいつも通りで昼下がりの賑わいに満ちている。
 エディナは見覚えのある店を見つけて思わず駆け寄った。

「本当に夢の中なの? 何もかもが一緒……」

 思わず言葉が溢れる。
 ショーケースに身を寄せてウインドウの彩りに心を預けた。
 いつもなら着こなしを比べるエディナだったが、その日ばかりは美しさに対する憧憬に支配されている。
 ガラスに映る自分を意識から遠ざけて、ただその向こうにある美に心を委ねた。

 ガラスケースに黒い影が写り込む。
 途端にエディナの鼓動が速くなった。
 振り返ろうか、あるいはもっと近くでガラスに映る顔を見てやろうか。
 好奇心が胸の高鳴りとともに一気に充満していく。

 近づいてきたのはジムだった。
 横断歩道をゆっくりと渡ってエディナの背後に忍び寄る。
 飾られた服に夢中になっている女性は白い服で見覚えのある金色のウェーブだった。
 デジャヴのようだとジムはあの時に見た女を思い出した。

 あの日の続きなのだろうか。
 だが口べたな彼には彼女にかける言葉が見つからない。
 あまり近づくのも不審者のようだ。
 ジムはあまりにもリアルにできた夢の中で現実的な束縛から逃れられずにいた。

 エディナはジムの姿をガラスで確認する。
 少しずつ近づいてきてはいるが肝心の顔ははっきりとわからない。
 振り返ろうか、いや不自然だろうか。
 そんな思いも駆けめぐる中、ジムは勇気を出してすっとエディナの横に立った。
 そして弾け叫ぶ胸を押さえつけながら「きれいな服ですね」とぎこちない台詞を口にする。
 エディナは自分に声を掛けてきたのかよく分からなかったが、好奇心が先立って「私に似合うと思います?」と返した。

「えっ?」

 ジムは戸惑いを見せながら返事が返ってきたうれしさに声が上擦る。
 そしてエディナの方を見て「ええ、似合うと思いますよ」と辿々しく答えた。
 ジムは自分でも何を言っているのか分からなかったが咄嗟の返しとしては悪くないと感じていた。
 ふたりは何かを確認しあうようにじっと見つめ合う。
 無理な笑顔と自然な笑顔の邂逅。
 対称的なふたりの間に少しの沈黙が流れた。

「あら、おまわりさん?」

「えっ? ご存じで?」

 ジムには心当たりがなく記憶の反芻に身を委ねる。

 ジムは焦って「申し訳ない。こんな美人を忘れるはずないのに」とごまかした。
 エディナは口元に手を当てながら「上手ね」とだけ言って笑った。

「知らないのは当然ですよ。だって、私悪いことなんてしていないもの」

 記憶の反芻は白旗を上げ、ジムは思い切って「私はジム・ゴードンです。お名前を拝見しても?」と訊いた。

「あら、ジムさんって言うの? 私はエディナよ。エディナ・ヴァンガード」

  ジムはヴァンガードという名前に聞き覚えがあったが即座には思い出せない。

「あなたをよく街で見かけるわ。平和な街はあなたたちのおかげよ」

「ありがたいお言葉で」

 ジムはもう何がなんだか分からなくなっている。
 エディナのリードにうまく翻弄されている。
 この至福の時を続けたい。
 どうしようかと頭を抱えても最良に思える一手は浮かびすらしない。

 軽い談笑の中でエディナはふと容姿が違うことを思い出した。
 ジムに見覚えがあるはずもない。
 そしてその姿は自分では許せないほど醜い。
 でもそんな私を見て「美人だ」と言う彼の言葉は嬉しかった。
 軽々しい男どもとは雰囲気からして違うとさらに嬉しさがこみ上げた。

「どこかでゆっくり話しません?」エディナが積極的に動いた。

 戸惑いながらも「お時間をいただけるのなら」と笑顔で答えた。


 ふたりは微妙な距離のままアベニューをゆっくりと歩いた。
 ジムは街のことは詳しくても女性と入る店については疎かった。
 そんな話をしていると「じゃあ、私のいきつけのカフェでいいかしら?」とエディナが言う。
 ジムははにかみながら「楽しみですね」と答えた。

*****
 
 心は踊る、逸るほどに。
 刻むビートは調律のさなか。
 ふたりを見下ろす雑居ビルの一室で老人は呟く。
 違和感を運命と錯覚するとき波長は同調を意識する、と。

(第9話につづく)
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