第59話 潜在意識の足跡
文字数 3,448文字
コトリーは迎えを待つ間、タブレットと本署のパソコンを駆使してジャスティンの推理を追った。
理屈は通っても物証がないことには先には進めない。
物証と言っても彼の空想に過ぎず犯人に直結するものではない。
それでも論理的に「彼」を疑わずにはいられない。
いっそ自白させるか?
乱暴な思考が過ぎりコトリーは理性でそれを押さえ込んだ。
コトリーは許し難い憤怒の感情に支配されていた。
どうしてやろうか。
今後の展開を考えながら、なおもジャスティンの邪魔になるまいと方策を考えねばならなかった。
「それにしても……」
コトリーはパソコンに表示された「閲覧履歴」を見て愕然とする。
こんなものがあること自体驚きだが、犯人を追う中でここまで立ち止まり周囲をじっくりと観察できる奴はそうそういない。
コトリーはジャスティンの思考に感心しながらも身内の動きをも気にかける非情さに戦慄を覚えていた。
導き出された答えを嬉々として話すジャスティン
その飽くなき探求心は感情を超えたところに存在しているとでもいうのだろうか。
ほどなくジャスティンが署長室から戻ってきた。
肩を軽く叩きながら気だるそうにしている。
彼は内線で珈琲を注文すると、煙草の臭いの染み着いたソファに体を投げ出した。
コトリーはパソコンにしがみついたままチラッと彼を見た。
「どうだ? なかなか面白いだろ」再びジャスティンの好奇が下腹をえぐる。
「ああ……。しかし、どうしてこれに気づいたんだ? 彼に何か不審な点でもあったのか?」
「いや……、実のところ行き詰まっていてね。それで自分が何か見落としていないかとまずは自分の閲覧履歴を調べた。おそらくは集中して閲覧しているデータとそうでないものとの偏りがあるはずだと思ってね」
ドアをノックする音が会話を止めた。
注文の珈琲が届き、ジャスティンはそれを受け取ると一口啜った。
「正直なところ始めに自分の履歴を見たときには驚いたモンだよ。結構な偏りがあるもんだと。でも自分のだけではこれが自然な偏りか、そうでないかの区別がつかなかった。そこで言うのも憚られるるが……、その……」
ジャスティンがコトリーの様子を窺っている。
それに気づいて「俺のを調べたのか?」と呆れたように訊いた。
「まあ、そうだ。気を悪くするな」
「あんまり気持ちの良いものではないが……」
「そうだろうな。だが、ふたりの履歴を眺めたおかげである傾向が見えた」
「どういうことだ?」
「事件を追っているものの『視点』って奴だよ」
「視点?」
「そうだ。特に最前線にいるものの視点だ」
ジャスティンはそう言うと身構えるように前屈みになって話し出す。
その雰囲気を察したのか、コトリーは体を捻らせて向き合うように座り直した。
「いいか、よく聞いてくれ。俺たちはどの捜査員よりも細かな情報や新しい情報を知ることができる。それも制限無しにだ」
「ああ、そうだな」
「その俺たちの履歴をつぶさに見ていくと事件に対するそれぞれの姿勢が見えてくる。どんな情報を注視し、どんな情報を軽視しているのか。そして、閲覧の順序にもある法則があった」
「……」
「事件に関わりが深い者ほど閲覧の頻度は高く、一度に閲覧する情報量も多い。当たり前のことだと思うかも知れないが良く考えてほしい。俺たちはなぜ、一度見て知っているはずの情報を何度も見るんだ?」
「そりゃ、確認する為だろう」
「そう思うだろ。では、何の為に確認をする? 例えば、ESCの情報が入る度にその項目を検索する。ESCの基本情報など何度も見るほどの価値や深さはない。それでも頻繁に俺たちは見ている。なぜだ?」
「そりゃ、黒いと思っているからだろう」
「そうだ。俺たちは黒だと思っている。事件の核心に近いと感じているからこそ、何気ないページでもそれを表示させたままそこで思考を練っている自分がいるんだ。わかるか? ESCのページを見ることによってどこにこの事件との繋がりがあるのか。そのヒントを探ろうとしているんだ」
饒舌に語るジャスティンの本懐がまだコトリーには見えてこない。
ジャスティンは飲み頃の珈琲をグイと喉に流し込んで立ち上がるとコトリーに代わってパソコンを操作した。
そして、ひとりの男の閲覧履歴を表示させた。
「見ろ」
ジャスティンはその画面の横に自分の閲覧履歴を並べる。
コトリーはそのふたつを見比べて「なるほど……」と呟いた。
「ちなみにこれがウチの署長の履歴」
違いが顕著に現れている。
閲覧量をグラフに直すと署長の履歴はほぼフラット。
これはほとんど閲覧しておらず、アクセス数がどの項目も均等に近いことを示している。
捜査資料に目を通してはいるが深くもなく偏りもない。
それに比べるとジャスティンの履歴ははっきりと波打ったように履歴の偏りが見て取れる。
そしてある男の履歴も同じように波打ち、その波形はジャスティンと良く似ていた。
「他にも見比べると面白い。こいつと同じ立場の捜査員を比べるとわかりやすいか……」
ジャスティンは分署の所轄署員の履歴をいくつか表示させる。
いくつかの履歴は署長に似たフラットなものか、被害者のページを集中して閲覧しているものがほとんどだった。
本署の私服もある程度の波は打つものの、全体のボリュームが一般署員より多いだけで妙な波形は示していない。
「ジムとこいつは異質だろう。あと、何人か同じような波形があるが……」
「そうだな……」
「ジムが異質なのは理解できるだろう。ある意味、俺たち以上に事件に関わっているからな。ちなみにこれに気づいてからジムの履歴を追いかけていたが、潜在的に俺たちと同じような思考にあるようだ。彼ももしかしたら本能的にESCがこの事件に関与していると考えているかも知れない。あるいは……」
「例の女が絡んでいるから?」
「ご名答」
ジャスティンは子どものようにピストルを打つ格好を真似る。
コトリーは不敵な微笑を浮かべた。
「となると、こいつらだけが不思議な履歴を残していることになる。調べると一介の捜査員に過ぎない。ただし、一点だけ特殊な点がある。それはわかるな?」
「ああ、わかるさ。彼らが単に物好きで興味本位で見ているのか、それとも関与しているのか。それを調べる必要があるな」
「そうだ。でもひょっとしたら、彼らもこの履歴の存在に気づいているかも知れないから……」
ジャスティンはそう言うとメモ用紙にIDとパスワードを書いてコトリーに手渡した。
「これはダミーのIDだ。彼らを調べるときだけ使用するといい。我々の履歴に彼らのページが多く残り出すと警戒されるからな。もっとも彼らに関しての特筆すべき情報はほとんどないし更新されない。だから閲覧行為自体が不自然だ。このIDは歴が残らないように偽装されている」
「ふふ……、ジャスティン。面白くなってきてるだろ?」
「ああ、わかるか。こいつらが何の目的で我々の近くにいるのかはとても興味が深い。パンドラの箱を開けてしまいそうな気分だよ」
ジャスティンはそう言うと残りの珈琲を一気に飲み干した。
そして自分のデスクに戻って情報の捜索を再開した。
「ジャスティン、そろそろ行くよ。時間だしな」
「おお、そうか。じゃあ、よろしく頼むよ」
「ああ」
コトリーはそう言うと、厚手のコートを腕に掛けて部屋を出る。
慌ただしい署内を一望しながらそれぞれの署員の顔を眺めている。
コトリーはここに来たときとは違う目線で彼らを見ていることに気づいた。
平静を装わねば。
心でそう呟いて廊下をゆっくりと歩いた。
玄関が近づくと、急に冷気が足元を過ぎっていった。
コトリーはコートをまわすように羽織って襟元を立て署を出た。
通りの向こうでトムが手を振っている。
付き合わされたジムも一緒のようだ。
コトリーは大きく手を振って応えるとゆっくりと彼らの元に歩いていった。
*****
雪に埋もれた真実の鍵ひとつ。
偶然の足跡にその姿を露見させる。
無音の回転灯を眺めて老人は呟く。
集中の中に俯瞰を持つ若者よ。彼は強さを備えている、と。
(第60話につづく)
理屈は通っても物証がないことには先には進めない。
物証と言っても彼の空想に過ぎず犯人に直結するものではない。
それでも論理的に「彼」を疑わずにはいられない。
いっそ自白させるか?
乱暴な思考が過ぎりコトリーは理性でそれを押さえ込んだ。
コトリーは許し難い憤怒の感情に支配されていた。
どうしてやろうか。
今後の展開を考えながら、なおもジャスティンの邪魔になるまいと方策を考えねばならなかった。
「それにしても……」
コトリーはパソコンに表示された「閲覧履歴」を見て愕然とする。
こんなものがあること自体驚きだが、犯人を追う中でここまで立ち止まり周囲をじっくりと観察できる奴はそうそういない。
コトリーはジャスティンの思考に感心しながらも身内の動きをも気にかける非情さに戦慄を覚えていた。
導き出された答えを嬉々として話すジャスティン
その飽くなき探求心は感情を超えたところに存在しているとでもいうのだろうか。
ほどなくジャスティンが署長室から戻ってきた。
肩を軽く叩きながら気だるそうにしている。
彼は内線で珈琲を注文すると、煙草の臭いの染み着いたソファに体を投げ出した。
コトリーはパソコンにしがみついたままチラッと彼を見た。
「どうだ? なかなか面白いだろ」再びジャスティンの好奇が下腹をえぐる。
「ああ……。しかし、どうしてこれに気づいたんだ? 彼に何か不審な点でもあったのか?」
「いや……、実のところ行き詰まっていてね。それで自分が何か見落としていないかとまずは自分の閲覧履歴を調べた。おそらくは集中して閲覧しているデータとそうでないものとの偏りがあるはずだと思ってね」
ドアをノックする音が会話を止めた。
注文の珈琲が届き、ジャスティンはそれを受け取ると一口啜った。
「正直なところ始めに自分の履歴を見たときには驚いたモンだよ。結構な偏りがあるもんだと。でも自分のだけではこれが自然な偏りか、そうでないかの区別がつかなかった。そこで言うのも憚られるるが……、その……」
ジャスティンがコトリーの様子を窺っている。
それに気づいて「俺のを調べたのか?」と呆れたように訊いた。
「まあ、そうだ。気を悪くするな」
「あんまり気持ちの良いものではないが……」
「そうだろうな。だが、ふたりの履歴を眺めたおかげである傾向が見えた」
「どういうことだ?」
「事件を追っているものの『視点』って奴だよ」
「視点?」
「そうだ。特に最前線にいるものの視点だ」
ジャスティンはそう言うと身構えるように前屈みになって話し出す。
その雰囲気を察したのか、コトリーは体を捻らせて向き合うように座り直した。
「いいか、よく聞いてくれ。俺たちはどの捜査員よりも細かな情報や新しい情報を知ることができる。それも制限無しにだ」
「ああ、そうだな」
「その俺たちの履歴をつぶさに見ていくと事件に対するそれぞれの姿勢が見えてくる。どんな情報を注視し、どんな情報を軽視しているのか。そして、閲覧の順序にもある法則があった」
「……」
「事件に関わりが深い者ほど閲覧の頻度は高く、一度に閲覧する情報量も多い。当たり前のことだと思うかも知れないが良く考えてほしい。俺たちはなぜ、一度見て知っているはずの情報を何度も見るんだ?」
「そりゃ、確認する為だろう」
「そう思うだろ。では、何の為に確認をする? 例えば、ESCの情報が入る度にその項目を検索する。ESCの基本情報など何度も見るほどの価値や深さはない。それでも頻繁に俺たちは見ている。なぜだ?」
「そりゃ、黒いと思っているからだろう」
「そうだ。俺たちは黒だと思っている。事件の核心に近いと感じているからこそ、何気ないページでもそれを表示させたままそこで思考を練っている自分がいるんだ。わかるか? ESCのページを見ることによってどこにこの事件との繋がりがあるのか。そのヒントを探ろうとしているんだ」
饒舌に語るジャスティンの本懐がまだコトリーには見えてこない。
ジャスティンは飲み頃の珈琲をグイと喉に流し込んで立ち上がるとコトリーに代わってパソコンを操作した。
そして、ひとりの男の閲覧履歴を表示させた。
「見ろ」
ジャスティンはその画面の横に自分の閲覧履歴を並べる。
コトリーはそのふたつを見比べて「なるほど……」と呟いた。
「ちなみにこれがウチの署長の履歴」
違いが顕著に現れている。
閲覧量をグラフに直すと署長の履歴はほぼフラット。
これはほとんど閲覧しておらず、アクセス数がどの項目も均等に近いことを示している。
捜査資料に目を通してはいるが深くもなく偏りもない。
それに比べるとジャスティンの履歴ははっきりと波打ったように履歴の偏りが見て取れる。
そしてある男の履歴も同じように波打ち、その波形はジャスティンと良く似ていた。
「他にも見比べると面白い。こいつと同じ立場の捜査員を比べるとわかりやすいか……」
ジャスティンは分署の所轄署員の履歴をいくつか表示させる。
いくつかの履歴は署長に似たフラットなものか、被害者のページを集中して閲覧しているものがほとんどだった。
本署の私服もある程度の波は打つものの、全体のボリュームが一般署員より多いだけで妙な波形は示していない。
「ジムとこいつは異質だろう。あと、何人か同じような波形があるが……」
「そうだな……」
「ジムが異質なのは理解できるだろう。ある意味、俺たち以上に事件に関わっているからな。ちなみにこれに気づいてからジムの履歴を追いかけていたが、潜在的に俺たちと同じような思考にあるようだ。彼ももしかしたら本能的にESCがこの事件に関与していると考えているかも知れない。あるいは……」
「例の女が絡んでいるから?」
「ご名答」
ジャスティンは子どものようにピストルを打つ格好を真似る。
コトリーは不敵な微笑を浮かべた。
「となると、こいつらだけが不思議な履歴を残していることになる。調べると一介の捜査員に過ぎない。ただし、一点だけ特殊な点がある。それはわかるな?」
「ああ、わかるさ。彼らが単に物好きで興味本位で見ているのか、それとも関与しているのか。それを調べる必要があるな」
「そうだ。でもひょっとしたら、彼らもこの履歴の存在に気づいているかも知れないから……」
ジャスティンはそう言うとメモ用紙にIDとパスワードを書いてコトリーに手渡した。
「これはダミーのIDだ。彼らを調べるときだけ使用するといい。我々の履歴に彼らのページが多く残り出すと警戒されるからな。もっとも彼らに関しての特筆すべき情報はほとんどないし更新されない。だから閲覧行為自体が不自然だ。このIDは歴が残らないように偽装されている」
「ふふ……、ジャスティン。面白くなってきてるだろ?」
「ああ、わかるか。こいつらが何の目的で我々の近くにいるのかはとても興味が深い。パンドラの箱を開けてしまいそうな気分だよ」
ジャスティンはそう言うと残りの珈琲を一気に飲み干した。
そして自分のデスクに戻って情報の捜索を再開した。
「ジャスティン、そろそろ行くよ。時間だしな」
「おお、そうか。じゃあ、よろしく頼むよ」
「ああ」
コトリーはそう言うと、厚手のコートを腕に掛けて部屋を出る。
慌ただしい署内を一望しながらそれぞれの署員の顔を眺めている。
コトリーはここに来たときとは違う目線で彼らを見ていることに気づいた。
平静を装わねば。
心でそう呟いて廊下をゆっくりと歩いた。
玄関が近づくと、急に冷気が足元を過ぎっていった。
コトリーはコートをまわすように羽織って襟元を立て署を出た。
通りの向こうでトムが手を振っている。
付き合わされたジムも一緒のようだ。
コトリーは大きく手を振って応えるとゆっくりと彼らの元に歩いていった。
*****
雪に埋もれた真実の鍵ひとつ。
偶然の足跡にその姿を露見させる。
無音の回転灯を眺めて老人は呟く。
集中の中に俯瞰を持つ若者よ。彼は強さを備えている、と。
(第60話につづく)