第56話 再会をたぐる午後
文字数 3,301文字
ハーブティーがもたらした時間は次第にエディナの心を溶かしていった。
スタッカートとアンナも徐々に緊張が解けてくる。
エディナの表情が柔和で優しさを取り戻してきたのを見て、スタッカートは今日ここに招待したことが間違いでなかったと胸を撫で下ろろす。
エディナをジムと会わせることはできないだろうか。
スタッカートもアンナも同じ思いで彼女を見つめる。
困難が却ってふたりを引きつける要素にもなっていて、それを手助けすることはあの場にいた者の宿命だろう。
「エディナ。ジムに会いたいか?」唐突にスタッカートが訊いた。
エディナはまっすぐに彼を見据えて「ええ」と答えた。
「ジムの居場所はわからないのか?」
「えっ?」スタッカートの問いにエディナは考えを巡らせた。
夢の中で彼の家に言ったけど本当の家はどこかはわからない。
ジムは警察官だし、分署の場所は調べなくてもすぐにわかる。
職務内容から外勤の交通課だったと思う。
エディナは拙い記憶からジムの背景を探っていた。
「エディナさん。私はね……、会うべきだと思うの」
アンナが心配そうに身を寄せて呟くように話し出す。
エディナはじっとアンナの瞳を見つめた。
「彼も会いたがっていると思うし、あなたもそうでしょ?」
エディナは静かに頷いた。
彼の気持ちは分からないけど自分の気持ちには正直でいたかった。
「アドレス交換とかした?」
「いえ……、それどころではなかったから……」
「そうねぇ……、だとするとあなたから会いに行かないと難しいんじゃないの?」
「それはどういうこと?」
「だって、彼はあなたの家は知らないでしょ?」
「そうね……」
「でしょ? でもあなたは彼のことを少しぐらいは知っているでしょ?」
「警察官ってことぐらいしか知らないわ」
「それだけでも十分じゃないの? この街の警察ってビジネス街にある本署か郊外の分署ぐらいしかないし……。どっちかじゃない?」
「そうね……、どちらかって言うと分署の方かも……」
「何でそう思うの?」
「前に街で見かけたことがあるから。あの時は制服を来ていたし、たぶんパトロール中か何かだったと思うし……」
「あら、夢が初めてじゃなかったんだ」悪戯なアンナの笑みが零れる。
「その……、なんて言うか……。記憶に残ってただけよ!」
「ふふ……、まあいいじゃない。出会う運命だったのかもね」
「やめてよ、アンナさん」
アンナはじゃれ合って、ぎゅっとエディナを抱きしめた。
「じゃあ、彼がその気になればあなたのことを捜せるんじゃないの?」
「えっ?」
「だって、警察官でしょ?」
そう言われて、エディナは過去のことを思い出す。
そして心当たりが背筋を凍らせた。
「そうね……、でも彼はそんなことしないわ」
「あら? エディナさん、結構悪い人だったの?」
「えっ?」
「まあ、彼が職業的な立場を利用してあなたのことを調べるとは思わないけどなあ」
「アンナさん!」
「ふふ、冗談よ。そう言えばあの時……」アンナは拙い記憶を辿り始める。「何か渡していたわよね」
アンナはスタッカートを見る。
「そうだったかな。ワシはそこまで細かいことは覚えておらんが」
「いや。でも、あの時ジョセフは何かを渡していたわ。名刺かな? あるいは何かのメモ」
「どうだろう。でもあの状況なら身分を明かさないとラチがあかんか」
「ジョセフの名刺にはなんて書いてあるのかしら?」
「どうだろう。自分の会社のものか、あるいはESCの名刺かどちらかだろう」
「なんでESC?」
「彼は運転手をしているが社交界にもボディーガードとして参加する。その際に「秘書」という肩書で動いているんだ。あくまでも見かけ上はね」
「ふーん」
「その方が双方に都合が良くてね。抑止力っていうのかな」
「へえ。よくわからないわね。でもそうならばジムがESCかその警備会社に殴り込むかもね」
「おいおい物騒な話だな。そんな青年には見えんぞ」
「冗談よ。でもエディナの居場所を調べるにはジョセフを追うか、エディナのアレを追うしかないでしょ」
「アレってなんですか、人聞きの悪い。そこまでのことはしてません」
「まあいいわ。それは置いておきましょう」
エディナはブスッとして不機嫌と不安の混じった微妙な真顔を見せた。
アンナは一呼吸置いて、「なら、やぱりあなたから逢いに行くしかないんじゃない?」と投げかけた。
エディナは少し考える素振りをしながらも、「さすがにそれは迷惑でしょう」と答えた。
「そうかしら?」
「さすがに職場はまずいだろう」無茶な誘導を感じてスタッカートは横槍を入れた。
「そう? ダメかしら」
「彼の評価に関わるよ。職場に女性が来るなんて」
「あら? せせこましいことを言うのね」
「オフィシャルではナンセンスだよ」
「そんなものなの? 困ったわね」
アンナは仕方なく妙案を取り下げる。
そして「それなら待ち伏せしちゃえば?」と性懲りもなく続けた。
「えっ?」スタッカートとエディナはアンナの奇妙な言葉に唖然とする。
「警察官なら時間きっちりに終わるんでしょ」
「えっ? 役所みたいにはいかないだろ。夜勤とかいろいろあるだろうし、ずっと待ち伏せするわけにもいかないだろう」
「そうなの? うまく行かないわね」
「ちょっと飛躍しすぎだよアンナは」
「そうかしら?」
アンナはあの手この手を考えてすぐに言葉にする。
頭を抱え込んだあと「あなたお金持ちでしょ?」とスタッカートに詰め寄った。
「世間一般ではな。何の関係があるんだ?」
「それで何とかならないの?」
「は? どう言う意味だい?」
「誰かにお金渡して聞き出すとか?」
「あのなあ……」
ふたりのやりとりを見ていたエディナは思わず吹き出した。
「どうしたの? エディナさん。笑うところじゃないわよ」
「いえ……、わかってるんですが……。なんか、もうアンナさん」
「君のアイデアが突拍子もないからだよ」
「なによそれ」
「怒るなよ。君がエディナのことを想ってくれていることはわかっているから」
スタッカートは機嫌を損ねそうなアンナにすかさずフォローを入れる。
「とにかくまずは私がヴァンガード……、父親だな。彼に声を掛けてみるよ。色々と聞きたいこともあるしな。彼と会う気があるかどうかも聞いてみよう。それである程度道筋が立つようなら君らにも連絡を入れるよ」
「なんとかできそうなの?」
「それは話してみないと分からんよ。でもあの夜は不可解なことが多すぎてね」
「やっぱり何か知ってるんでしょ」
「そう言うことじゃなくて、さ」
スタッカートはアンナの攻撃に晒されまいとうまく身を翻す。
「とにかく無茶な行動はやめてくれよ。君なら本当に彼のところに連れて行きそうだから」
「わかったわよ」
アンナはすこしふてくされた顔をして顔を逸らした。
スタッカートは話し疲れたのかダイニングに逃げる。
アンナはすかさず電話台からメモ帳を取って自分のアドレスを書いてエディナに渡した。
「女同士の秘密」
アンナはそうエディナの耳元で囁くと彼を追ってダイニングへと消えて行った。
エディナはメモをそっとポケットに入れてソファにもたれかかって伸びをした。
天井を眺めると豪華なシャンデリアが陽光に輝いていた。
エディナの中で少しずつネガティヴな思考が消えて行く。
シャンデリアの輝きはエディナに癒しを与えすべては移ろっていくことを教えようとしていた。
*****
泡が弾けるのを見て寂しく思う夜もある。
同じ泡を見て生命の誕生を感じる夜もある。
泡沫の光をグラスに揺らしながら老人は呟く。
崩壊と孵化の疑似に因果の結びつきはありはしない、と。
(第57話につづく)
スタッカートとアンナも徐々に緊張が解けてくる。
エディナの表情が柔和で優しさを取り戻してきたのを見て、スタッカートは今日ここに招待したことが間違いでなかったと胸を撫で下ろろす。
エディナをジムと会わせることはできないだろうか。
スタッカートもアンナも同じ思いで彼女を見つめる。
困難が却ってふたりを引きつける要素にもなっていて、それを手助けすることはあの場にいた者の宿命だろう。
「エディナ。ジムに会いたいか?」唐突にスタッカートが訊いた。
エディナはまっすぐに彼を見据えて「ええ」と答えた。
「ジムの居場所はわからないのか?」
「えっ?」スタッカートの問いにエディナは考えを巡らせた。
夢の中で彼の家に言ったけど本当の家はどこかはわからない。
ジムは警察官だし、分署の場所は調べなくてもすぐにわかる。
職務内容から外勤の交通課だったと思う。
エディナは拙い記憶からジムの背景を探っていた。
「エディナさん。私はね……、会うべきだと思うの」
アンナが心配そうに身を寄せて呟くように話し出す。
エディナはじっとアンナの瞳を見つめた。
「彼も会いたがっていると思うし、あなたもそうでしょ?」
エディナは静かに頷いた。
彼の気持ちは分からないけど自分の気持ちには正直でいたかった。
「アドレス交換とかした?」
「いえ……、それどころではなかったから……」
「そうねぇ……、だとするとあなたから会いに行かないと難しいんじゃないの?」
「それはどういうこと?」
「だって、彼はあなたの家は知らないでしょ?」
「そうね……」
「でしょ? でもあなたは彼のことを少しぐらいは知っているでしょ?」
「警察官ってことぐらいしか知らないわ」
「それだけでも十分じゃないの? この街の警察ってビジネス街にある本署か郊外の分署ぐらいしかないし……。どっちかじゃない?」
「そうね……、どちらかって言うと分署の方かも……」
「何でそう思うの?」
「前に街で見かけたことがあるから。あの時は制服を来ていたし、たぶんパトロール中か何かだったと思うし……」
「あら、夢が初めてじゃなかったんだ」悪戯なアンナの笑みが零れる。
「その……、なんて言うか……。記憶に残ってただけよ!」
「ふふ……、まあいいじゃない。出会う運命だったのかもね」
「やめてよ、アンナさん」
アンナはじゃれ合って、ぎゅっとエディナを抱きしめた。
「じゃあ、彼がその気になればあなたのことを捜せるんじゃないの?」
「えっ?」
「だって、警察官でしょ?」
そう言われて、エディナは過去のことを思い出す。
そして心当たりが背筋を凍らせた。
「そうね……、でも彼はそんなことしないわ」
「あら? エディナさん、結構悪い人だったの?」
「えっ?」
「まあ、彼が職業的な立場を利用してあなたのことを調べるとは思わないけどなあ」
「アンナさん!」
「ふふ、冗談よ。そう言えばあの時……」アンナは拙い記憶を辿り始める。「何か渡していたわよね」
アンナはスタッカートを見る。
「そうだったかな。ワシはそこまで細かいことは覚えておらんが」
「いや。でも、あの時ジョセフは何かを渡していたわ。名刺かな? あるいは何かのメモ」
「どうだろう。でもあの状況なら身分を明かさないとラチがあかんか」
「ジョセフの名刺にはなんて書いてあるのかしら?」
「どうだろう。自分の会社のものか、あるいはESCの名刺かどちらかだろう」
「なんでESC?」
「彼は運転手をしているが社交界にもボディーガードとして参加する。その際に「秘書」という肩書で動いているんだ。あくまでも見かけ上はね」
「ふーん」
「その方が双方に都合が良くてね。抑止力っていうのかな」
「へえ。よくわからないわね。でもそうならばジムがESCかその警備会社に殴り込むかもね」
「おいおい物騒な話だな。そんな青年には見えんぞ」
「冗談よ。でもエディナの居場所を調べるにはジョセフを追うか、エディナのアレを追うしかないでしょ」
「アレってなんですか、人聞きの悪い。そこまでのことはしてません」
「まあいいわ。それは置いておきましょう」
エディナはブスッとして不機嫌と不安の混じった微妙な真顔を見せた。
アンナは一呼吸置いて、「なら、やぱりあなたから逢いに行くしかないんじゃない?」と投げかけた。
エディナは少し考える素振りをしながらも、「さすがにそれは迷惑でしょう」と答えた。
「そうかしら?」
「さすがに職場はまずいだろう」無茶な誘導を感じてスタッカートは横槍を入れた。
「そう? ダメかしら」
「彼の評価に関わるよ。職場に女性が来るなんて」
「あら? せせこましいことを言うのね」
「オフィシャルではナンセンスだよ」
「そんなものなの? 困ったわね」
アンナは仕方なく妙案を取り下げる。
そして「それなら待ち伏せしちゃえば?」と性懲りもなく続けた。
「えっ?」スタッカートとエディナはアンナの奇妙な言葉に唖然とする。
「警察官なら時間きっちりに終わるんでしょ」
「えっ? 役所みたいにはいかないだろ。夜勤とかいろいろあるだろうし、ずっと待ち伏せするわけにもいかないだろう」
「そうなの? うまく行かないわね」
「ちょっと飛躍しすぎだよアンナは」
「そうかしら?」
アンナはあの手この手を考えてすぐに言葉にする。
頭を抱え込んだあと「あなたお金持ちでしょ?」とスタッカートに詰め寄った。
「世間一般ではな。何の関係があるんだ?」
「それで何とかならないの?」
「は? どう言う意味だい?」
「誰かにお金渡して聞き出すとか?」
「あのなあ……」
ふたりのやりとりを見ていたエディナは思わず吹き出した。
「どうしたの? エディナさん。笑うところじゃないわよ」
「いえ……、わかってるんですが……。なんか、もうアンナさん」
「君のアイデアが突拍子もないからだよ」
「なによそれ」
「怒るなよ。君がエディナのことを想ってくれていることはわかっているから」
スタッカートは機嫌を損ねそうなアンナにすかさずフォローを入れる。
「とにかくまずは私がヴァンガード……、父親だな。彼に声を掛けてみるよ。色々と聞きたいこともあるしな。彼と会う気があるかどうかも聞いてみよう。それである程度道筋が立つようなら君らにも連絡を入れるよ」
「なんとかできそうなの?」
「それは話してみないと分からんよ。でもあの夜は不可解なことが多すぎてね」
「やっぱり何か知ってるんでしょ」
「そう言うことじゃなくて、さ」
スタッカートはアンナの攻撃に晒されまいとうまく身を翻す。
「とにかく無茶な行動はやめてくれよ。君なら本当に彼のところに連れて行きそうだから」
「わかったわよ」
アンナはすこしふてくされた顔をして顔を逸らした。
スタッカートは話し疲れたのかダイニングに逃げる。
アンナはすかさず電話台からメモ帳を取って自分のアドレスを書いてエディナに渡した。
「女同士の秘密」
アンナはそうエディナの耳元で囁くと彼を追ってダイニングへと消えて行った。
エディナはメモをそっとポケットに入れてソファにもたれかかって伸びをした。
天井を眺めると豪華なシャンデリアが陽光に輝いていた。
エディナの中で少しずつネガティヴな思考が消えて行く。
シャンデリアの輝きはエディナに癒しを与えすべては移ろっていくことを教えようとしていた。
*****
泡が弾けるのを見て寂しく思う夜もある。
同じ泡を見て生命の誕生を感じる夜もある。
泡沫の光をグラスに揺らしながら老人は呟く。
崩壊と孵化の疑似に因果の結びつきはありはしない、と。
(第57話につづく)