第69話 ヒールが奏る処刑台への道程

文字数 2,318文字

 エディナとアンナは午後のかすかな陽光の中にいた。
 灰色の雲間から筋状の光がオーロラのように差し込んでは消えていく。
 アベニューの石畳がヒールによって奏られ、軽快なリズムでアンナは先を歩いた。
 カフェから分署までは1ブロックほどの距離。
 それもアンナの計算だった。

「どう? 覚悟は決まった?」

「なんの覚悟ですか?」

「あら、意外と強いのね」

「なんですか、その意外とって」

 ふたりは何気ない会話を続ける。
 一歩ずつ近づくごとに速まる鼓動。
 会って何を言えばいいのだろう。
 ジムはどんな顔をするだろう。
 迷惑じゃないかな。
 想像の中のジムですら思い通りには動いてくれない。
 ネガティヴが支配していて嫌な予感しかしない。
 エディナは陽気で脳天気なアンナの足取りをいつになく睨みつけていた。

 エディナの足取りを重くしていたのはジムへの想いだけではなかった。
 若い頃、無茶をして親を困らせた。
 そんな過去もフラッシュバックする。
 仕事に打ち込んで相手にしてくれなかった両親。
 姉ほどの寵愛はなかった。
 家族との距離は遠く、儚くも思える。
 それがエディナの思いこみなのか、現実的にそうだったのかはわからない。
 エディナの幼心は純粋に事実だけを刻んできた。

 姉が結婚したのは三年前。
 父が見つけてきたビリーに姉は何の不満もなかった。
 幸せな選択だとは思えなかったけど姉は幸せそうにしていた。
 跡継ぎがいなかったヴァンガード家。
 婿養子として迎い入れたいとビリーに打診をする。
 彼はその思惑を寛容に受け止めた。
 父の会社の取引先、比較的若めのエリート。
 彼はスタッカートの金融会社の幹部だった。

 結婚式のとき、スタッカートが仲人を務めた。
 当時のスタッカートは妻子がおり幸せな家庭を築いていた。
 披露宴でみた夫妻は理想の夫婦像に見えた。
 それでも男女の仲は難しいものなのだろうか。
 スタッカートの女遊びが原因で昨年離婚した聞いている。
 独り身になった彼は再びヴァンガード家に足を運ぶようになっていた。

 隠居して自由貴族のスタッカートにとって、エディナは恰好の遊び相手だった。
 父の代わりのように慕うエディナ。
 やがて彼はエディナの生活を変えていく。
 荒くれて自由気ままだった彼女に女性としての嗜み、気品などをジョークを交えて教えていく。
 そして自由な無鉄砲や節操のない我が儘は理由のある自由へと変化して行った。
 大人の女性への階段。
 娘のいない彼にとって彼女との時間は祝福だったのかも知れない。

 エディナの我が儘を富で押さえ込んだ父。
 スタッカートは対話で根本の解決を試みる。
 いつしか彼は父以上の存在になっていった。

 その彼が同じ発明でアンナと出会った。
 スタッカートの何かを埋める女性。
 エディナは知らない女に奪われたという悲壮感よりもその魅力の方が気になって仕方なかった。


「あそこを曲がれば見えるわよ」角を指差してはしゃぐアンナ。

 彼女はいつもこんな風に楽しむのだろうか。
 無邪気な笑顔を見て、ふと自分の幼少期を思い出す。
 人に迷惑を掛けない無邪気さが我が儘に変わったのは何故だろう。
 何一つ不自由なことはなかったはずだったのに……。

「ねぇ、聞いてるの?」アンナがエディナを小突く。

「ええ? ああ、なに?」

「緊張してるの?」

「そ……、そんなことはないわ」

「もうすぐ4時を回るわ。仕事も一段落している頃ね」

「なんでそんな事わかるの?」

「だって、この街で警察の仕事なんてほとんどないわよ」

「でも、ほら殺人とかあったじゃないですか」

「ああ、あったわね。でも最近じゃ、テレビもニュースも報道しないわよ。もう、見つからないんじゃない?」

「それって、怖くないですか?」

「怖い? なんで?」

「だって……。人を殺したんでしょ」

「そうね。でも私には殺される理由はないわ。それに無差別で人を殺しまくったって訳じゃないでしょ、あの事件。こんなこと言ったらアレだけどあの人には殺される理由があったはずよ」

「そんなのわからないじゃない」

「あら、そう? ひょっとして、エディナさんには殺される理由でもあるの?」

「あるわけないでしょ!」

 アンナの意地悪な言葉にエディナはつい語気を荒げた。
 これまでいろいろと迷惑はかけたけどさすがに殺される理由なんてあるはずない。
 エディナはそう言い聞かせながらも過去の過ちを思い返す。
 そう言えば本署の若くて偉そうな刑事に嫌みを言われまくったな。
 名前は思い出せないけどあの顔は二度と見たくない。
 エディナは苦虫を噛み潰すような顔をする。
 そんな彼女の変化を見て、アンナ楽しそうに笑っていた。

「行きましょ」

 アンナがエディナの手を取って角を曲がる。
 石畳の道路の向こうに古いコンクリートのシンプルな四角い建物があった。

「さすがにこっちはボロボロね」

 アンナは嫌みを呟きながらエディナの手を引いて車道を渡っていく。
 警らの人間が数人見えて、ジムでありませんようにと祈る。
 未曾有の激しい音が心臓を揺らしている。
 その旋律はやがて心を支配して頭の中にまで響いていた。

*****

 メトロノームがカチカチと揺れている。
 その均一なリズムは眠りを誘う子守唄だ。
 交わりを待つふたつのリズムを感じながら老人は呟く。
 波長はときに増幅し時に消滅しあう。彼女はどうだろう、と。

(第70話へつづく)
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