第14話 夢を喰らう乾いた音

文字数 1,797文字

 白の世界が眼前に広がる。
 色をなくした世界はすべての動きを静寂に奪われている。
 エディナは目を見開いたまま、しばし動きを忘れて眼前の白を追った。
 やがて白に命が芽生え、ベッドルームの淡い天井が蘇ってくる。
 白く冷たい指先の産声。
 力は入らず、わずかに白い毛布を撫でるだけだ。

 視界を据えたまま少し首を動かしてみるとぎこちなく動いた。
 乾いた瞳に幾許かの湿り気が滲み、瞬きはさらに色を連れてきた。
 
 目を閉じて深く息を吸う。
 そして重たく気だるい体を一気に起こした。
 息が詰まりそうな荒く激しい呼吸。
 そして思い出したかのように震える指先で額を撫でた。
 ザラザラとした皮膚に違和感はない。
 エディナはおそるおそるベッド脇のスタンドミラーを覗き込んだ。

「大丈夫……。生きてるわね、私」

 あまりにもリアルだった夢の終末。
 弾丸が掠めていった夢の世界はまだ彼女を覆ったままだ。
 映像が蘇ってくる。
 あの男は何者だろう。
 嘘をついた罰とでも言うのだろうか。
 少しの後悔はあるがそれでも銃撃されるほどの罪悪感はない。
 覚醒が銃殺なんてブラックジョークにすらなりやしない。
 
「なんて言ってやろうかしら」

 エディナは口元を歪ませて唇を噛む。
 起こされた鬼は周囲を憚らない。
 清楚が消えた醜悪な皺に老人への怒りが漲った。
 そして、ふと夢の中の自分の姿を思い出す。
 似ても似つかぬ醜い姿。
 でもその姿をジムは愛してくれた。
 見た目じゃなくて心を愛してくれたのかしら。
 そんな自分勝手な妄想がエディナの心を和らげた。
 
 その時だった。
 夢見心地をあざ笑うかのようにパソコンがカタカタと音を立てて鳴りだす。
 緩みがちの表情に皺が舞い戻る。
 エディナはいつの間にか外れていたヘッドセットをつけ直して、「さあ、出ておいで」とばかりにモニターの画面を睨みつけた。
 少しの沈黙の後いつも通りの暗黒が訪れ、画面の中央にいつもの老人が現れた。
 今回は深々とお辞儀をしたまま現れその表情を窺い知ることはできない。

「エディナ様、申し訳ありませんでした。あのようなかたちで……」か細い声がエディナの耳を劈く。

「あんな終わらせ方はないんじゃないの?」押し殺した怒りが音になる。

「仰せの通りで……。普通に目覚めるはずがバグが生じまして……。放っておくわけにもいかず……」

 老人の言葉は途切れ途切れで弱く申し訳なさは伝わった。
 罵声を浴びせようかと悩んだエディナだったがあまりにも丁寧な詫びと自分自身の過失が過ぎってやめた。

「あんなトラブルはしょっちゅう? だったら改善した方がよろしいわよ」

 エディナは強がって見せる。
 嘘の詮索を怖がるあまりに空虚な強い遠吠えが虚しく響いた。

「エディナ様、ありがたいお言葉でございます。今後、このようなことがないようシステムの見直しを行います。申し訳ございませんでした」

 老人はそう言うとスッと画面から消えてしまった。
 エディナは呆気に取られ、思わず動揺が言になる。

 今後どうなるのだろう?
 夢での相思は現実になるはず。
 都合の良い老人の言葉だけが心の拠り所だ。

 ジムへの想いが認められないはずがない。
 きっと彼もそうに違いない。
 盲目は理性を彼方に追いやっていた。


 耳元に微かな音が混じり出す。
 ヘッドセットを侵食する微音。
 頑ななエディナの心は存在を認知できないままだ。
 呼応するマイクロカードの点滅も壁際の名もなき一輪に過ぎないのだろうか。

 バン!
 
 突如、音が耳を貫いた。
 乾いた音だった。

 不意をつかれたエディナは思わずのけぞってベッドに倒れ込んだ。
 再び白い世界が眼前を支配する。
 聞き覚えのある乾いた音。

 なぜここでこの音が?

 エディナは白昼の現実世界で響いた音の正体を模索する。
 額を貫く奇妙な感覚は夢ではなかったのだろうか。
 夢と現実の狭間に追いやろうとしていたはずの奇妙な記憶。
 現実世界にひとつ、夢の欠片が舞い降りてきてしまった。

*****

 空気を裂く乾いた音。
 心を裂く無慈悲な音。
 辞儀の老人の口元が歪んだ。
 感情とは逃げ場を失った意識そのものである、と。

(第15話につづく)
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