第54話 心を癒す言の葉と温もり

文字数 1,752文字

 アンナはふたりのいきさつを話しながらエディナの表情をつぶさに観察していた。
 緩やかさが急に神妙な瞳になる。
 安堵は去り、疑念へと心が押し戻されていくのがわかった。

 スタッカートは傍らでふたりの様子を見守りながら笑顔を隠した。
 心当たりがある。
 だが、それは自身が守らねばならない秘密とともにあった。
 それゆえ口を挟むわけにもいかない。
 スタッカートは二人の会話が自分の意識に近づいてくるのをじっと待った。


 それはもうすぐ邂逅へと辿り着く。
 だがどうしても違和感が頭の中を支配していく。
 それは「何故あの日だったのか」という疑問だった。
 この最後にして最大の疑問は自分で紐解いていくしかないのだろうか。
 スタッカートはふと湧いたような使命感に囚われはじめていた。


「実はね…」か細い声を絞り出すようにエディナは話し始めた。
 アンナはそっと立ち上がって彼女の隣に座り直して肩を抱いた。
 エディナは身を任せるように顔を傾ける。

「私……、嘘の登録をしたの」

 アンナとスタッカートは顔を見合わせる。
 意味がわからないわけではないが、それがどんな影響を与えたのかが想像できなかった。

「えっ? それって、あの発明の登録のところ?」

「そうよ……」

「嘘って……」アンナは動揺を隠せず、エディナを抱く指が硬直した。
 スタッカートもその告白にどんな意味があるのかを想像できない。

「ほとんど、ちゃんと登録したのよ。でも、ほら資産とかお金の項目があったでしょ。それを……」

「多くしたとか?」

「いえ、まさか……。どちらかと言うと少なくした」

「なんで?」

「だって、これまで近寄ってきた男はぜんぶ……。だから私……、違う未来を……」

 エディナはそう言うと崩れるようにアンナの膝元に顔を埋めた。
 呼吸がずいぶんと荒くなって背中が震えてくる。
 アンナは彼女の背中をそっとやさしく撫でた。

 沈黙の三人。
 その中でアンナとスタッカートはお互いに見合ったまま無言の会話を続けている。
 次に紡がれる彼女の言葉を興味深く見守るしかない。

 そしてエディナはひとしきり泣いた後、咳払いをして起きあがり「ありがとう」と呟いた。

「いいのよ。ゆっくり話して」

 アンナはエディナの呼吸を整えるように背中を撫でながら言葉を待つ。
 ここから先は彼女自身のリズムで喋らせるほうが良い。

 アンナはエディナの息遣いが落ち着いたのを見計らって「ハーブティーでも入れましょう」と言ってスタッカートに目配せをする。
 スタッカートは席を立ち、ダイナーにいるメイドに依頼をして出来上がるのを待った。


 ほどなくハーブティーの良い香りがリビングを埋め尽くしてくる。
 透明なガラスのティーポットにゆらめきながら薄い黄金が広がっている。
 不格好なスタッカートに抱かれたまま、香りはその場を和ませていく。

「この香りはちょっと酸っぱいかもね」アンナの呟き。

「でもいい香り……」とエディナに少しの笑顔が戻った。

「ハイビスカスとペパーミント、それにレモングラスを重ねたものね。疲れたときに飲むと元気になれるわ」

 エディナは少しずつ揺らめく黄金を眺めながら癒しを感じている。
 飽きないゆらめきはエディナの五感を宥めていく。
 アンナがカップに注ぐと、さらにいっそう濃厚な香りが部屋じゅうに広がっていった。

「飲み頃ね」

 アンナはそう言うと耐熱グラスに少しばかりの砂糖を入れてハーブティーを注いでいく。
 わずかな砂糖が一瞬で溶けて透明のグラスはじんわりと色を変えてゆく。
 エディナはそれを眺めながら感情が穏やかになっていくのを感じていた。

「ずいぶんと顔色が良くなってきたね」アンナは再びそっと肩を抱きしめた。
 エディナは次第に恍惚に満ちた表情を見せていく。
 スタッカートはそれを確認すると険しかった表情を柔和な紳士に戻していった。

*****

 癒しを滲ませる花葉の声がする。
 彼らの声は音が届かぬ心の奥底を満たす。
 芽生えを待つ蕾を眺めて老人は呟く。
 風が運ぶ花葉の癒しは心の難解を単純にさせる、と。

(第55話につづく)
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