第52話 緑の丘で過去を憂う
文字数 2,422文字
海を望む景色、都市部へのアクセスには鉄道が直通、スタッカートの屋敷はそんな絶大な人気を誇る住宅街にあった。
彼をはじめ、多くの富裕層は金融バブルの最中にこの辺りの土地を買い漁った後、インフラ整備を行政に持ちかけた。
都市部の人口の飽和が懸念されていた時代。
ベッドタウンが行政区外に出来て税収が減るよりは、と渋々動いたと言う。
今では点在する豪邸の隙間に新築の戸建てが並んでいる。
道路と鉄道の整備で土地の価格も急騰。
結局のところ、富裕層に近い収入がないと住めない価格帯になっていた。
エディナが最寄りの駅に着くと迎えの車がきた。
前時代の骨董のアンティーク車が駅から丘に伸びる坂を上がっていく。
景色がどんどんと変わり、小高い丘の中腹から振り返ると駅舎と真っ直ぐに市中心部に伸びる線路が見えた。
駅の周りは広大な緑で覆われ、点在する豪邸も威厳を放つ。
何度かこの街を訪れたことがあるエディナだったがいつもこの緑の荘厳さに心を奪われる。
忙しない都会とは違って心が随分と穏やかになる気がする。
エディナの家も旧家を改築した豪邸ではあるが、この爽快な空気だけは手に入れようがない。
アンティークが煙を吐きながら揺れて坂道を上っていく。
海が近く市街地よりも南方に位置するためか雪景色とは無縁だ。
枯れ芝が姿を見せても寂しげな都会とは違った冬の趣がここにはある。
街路樹は葉をほとんど落とし、庭の芝生が黄色い絨毯のように見えた。
運転手との何気ない雑談で時を過ごすエディナ。
彼が言うには「最近新しい駅舎が完成して駅周りもキレイになった」そうだ。
真新しい駅前のロータリーを囲む店は他方から参入した聞き覚えのあるチェーン店がほとんど。
地元由来の小さな商店は数えるほどしか残っていない。
「新しい店に馴染むのにそれほど時間は掛からなかった」と運転手は少し寂しげに語った。
丘の頂が見えてきた頃、豪邸の庭先が彼女を出迎えた。
この木訥さは心の癒しだ。
心なしか流れる時間もゆったりと感じられる。
車窓の先には数人の子どもが道路脇の雑草を摘んでいる。
街路樹の掃除をしているようで大きなゴミ袋を抱えた大人たちが奔放さに振り回されている。
抜いた草の痕をスコップで馴らす様子はとても微笑ましかった。
エディナはふと自分の子どもの頃を思い出した。
姉妹2人に両親の4人家族。
姉は3つほど年上で聞き分けが良く親受けが良かった。
エディナはどちらかと言うと奔放で親からすればワガママな娘だっただろう。
跡取りを期待して授かったふたり目はまたも父の期待を裏切った。
その落胆が育成に影響した訳でもないのだろうが姉ほどの溺愛に浸ることもなかった。
母と姉がエディナの世話をし、父はほとんど介入しない。
その方針が自然とふたりの距離を遠ざけていった。
エディナが生まれた頃、街に限らず世界じゅうでネット文化が熟成しつつあった。
小さなベンチャーを立ち上げたばかりの父はここぞとばかりに投資をする。
情報化社会の芽をしっかりと握りしめた父の会社は瞬く間に成長し仕事に没頭するようになる。
物心ついたときには裕福の絶頂、父の愛情は物質的なものに変わっていった。
そんな父の言動には違和感ばかり。
これも心の疎遠の礎でもあったかも知れない。
姉は父の言うことをよく聞く巷で言ういい子だった。
端でそれを見ていたエディナは反発することで寵愛をひとりじめできると思っていた。
そのためか度々問題を起こしては両親を悩ませた。
大きな問題は父が処理してきたが手に負えない子という印象だけが募る。
青春期のエディナは父にそんなイメージを植え付け続けた。
ほどなく行為がエスカレートし、父が嫌がることを平然と行うようになった。
その為、ふたりの精神的な疎遠が絶望的な距離に育ってしまった。
コントロールできないエディナ。
父は構うことを疎い、共働きの母も関与できない。
やがて姉も結婚して家を去った。
父の決めた財閥の男に嫁いだ姉にエディナは何度も「それでいいの?」と迫った。
跡取りのいないヴァンガード家にとって姉の結婚には様々な意味があった。
姉もそれを理解していたし相手も悪い男ではなかった。
それでも姉が心から選んだ男だとは思えなかったのだ。
姉が落ち着いた後、父は年頃のエディナにも同じことを要求した。
ただでさえ反抗的なエディナが父の要求を受け入れることはない。
それでも父の顔を潰すような真似はせず、やんわりと大人の対応で断りまくる。
ワガママを通すことと迷惑をかけることの分別はきちんと弁えていた。
アンティークがなだらかな丘の斜面を捉える頃、灰色かかった雲はすっきりと晴れていた。
冬空の中に浮かぶ一瞬の太陽は街よりも近くに感じる。
澄んだ空気を割くように放射状に散乱する光。
煌めきが空気を捕まえて木訥な景色に彩りを与えていた。
「もうすぐ着きますよ」
運転手が小声でエディナに告げると、アンティークはよりきれいに整備された砂利道に入っていく。
ロータリーに差し掛かると見覚えのある邸宅が姿を現す。
庭の真ん中に子どもの頃に遊んだ芝生と大きな木がそのままの姿で残っていた。
庭師が寒空にも関わらず枝にしがみついて手入れをしている。
エディナに気づいて梯子の上から会釈をする庭師。
エディナが軽く会釈を返したとき、アンティークは邸宅の前で止まった。
*****
広がる空の青さは心の澄みを表している。
心が捉える空の色は囚われの環境に依存する。
砂利道を踏み砕きながら老人は呟く。
真の安息は環境に委ねられ、心を伝う感動もまた然り、と。
(第53話につづく)
彼をはじめ、多くの富裕層は金融バブルの最中にこの辺りの土地を買い漁った後、インフラ整備を行政に持ちかけた。
都市部の人口の飽和が懸念されていた時代。
ベッドタウンが行政区外に出来て税収が減るよりは、と渋々動いたと言う。
今では点在する豪邸の隙間に新築の戸建てが並んでいる。
道路と鉄道の整備で土地の価格も急騰。
結局のところ、富裕層に近い収入がないと住めない価格帯になっていた。
エディナが最寄りの駅に着くと迎えの車がきた。
前時代の骨董のアンティーク車が駅から丘に伸びる坂を上がっていく。
景色がどんどんと変わり、小高い丘の中腹から振り返ると駅舎と真っ直ぐに市中心部に伸びる線路が見えた。
駅の周りは広大な緑で覆われ、点在する豪邸も威厳を放つ。
何度かこの街を訪れたことがあるエディナだったがいつもこの緑の荘厳さに心を奪われる。
忙しない都会とは違って心が随分と穏やかになる気がする。
エディナの家も旧家を改築した豪邸ではあるが、この爽快な空気だけは手に入れようがない。
アンティークが煙を吐きながら揺れて坂道を上っていく。
海が近く市街地よりも南方に位置するためか雪景色とは無縁だ。
枯れ芝が姿を見せても寂しげな都会とは違った冬の趣がここにはある。
街路樹は葉をほとんど落とし、庭の芝生が黄色い絨毯のように見えた。
運転手との何気ない雑談で時を過ごすエディナ。
彼が言うには「最近新しい駅舎が完成して駅周りもキレイになった」そうだ。
真新しい駅前のロータリーを囲む店は他方から参入した聞き覚えのあるチェーン店がほとんど。
地元由来の小さな商店は数えるほどしか残っていない。
「新しい店に馴染むのにそれほど時間は掛からなかった」と運転手は少し寂しげに語った。
丘の頂が見えてきた頃、豪邸の庭先が彼女を出迎えた。
この木訥さは心の癒しだ。
心なしか流れる時間もゆったりと感じられる。
車窓の先には数人の子どもが道路脇の雑草を摘んでいる。
街路樹の掃除をしているようで大きなゴミ袋を抱えた大人たちが奔放さに振り回されている。
抜いた草の痕をスコップで馴らす様子はとても微笑ましかった。
エディナはふと自分の子どもの頃を思い出した。
姉妹2人に両親の4人家族。
姉は3つほど年上で聞き分けが良く親受けが良かった。
エディナはどちらかと言うと奔放で親からすればワガママな娘だっただろう。
跡取りを期待して授かったふたり目はまたも父の期待を裏切った。
その落胆が育成に影響した訳でもないのだろうが姉ほどの溺愛に浸ることもなかった。
母と姉がエディナの世話をし、父はほとんど介入しない。
その方針が自然とふたりの距離を遠ざけていった。
エディナが生まれた頃、街に限らず世界じゅうでネット文化が熟成しつつあった。
小さなベンチャーを立ち上げたばかりの父はここぞとばかりに投資をする。
情報化社会の芽をしっかりと握りしめた父の会社は瞬く間に成長し仕事に没頭するようになる。
物心ついたときには裕福の絶頂、父の愛情は物質的なものに変わっていった。
そんな父の言動には違和感ばかり。
これも心の疎遠の礎でもあったかも知れない。
姉は父の言うことをよく聞く巷で言ういい子だった。
端でそれを見ていたエディナは反発することで寵愛をひとりじめできると思っていた。
そのためか度々問題を起こしては両親を悩ませた。
大きな問題は父が処理してきたが手に負えない子という印象だけが募る。
青春期のエディナは父にそんなイメージを植え付け続けた。
ほどなく行為がエスカレートし、父が嫌がることを平然と行うようになった。
その為、ふたりの精神的な疎遠が絶望的な距離に育ってしまった。
コントロールできないエディナ。
父は構うことを疎い、共働きの母も関与できない。
やがて姉も結婚して家を去った。
父の決めた財閥の男に嫁いだ姉にエディナは何度も「それでいいの?」と迫った。
跡取りのいないヴァンガード家にとって姉の結婚には様々な意味があった。
姉もそれを理解していたし相手も悪い男ではなかった。
それでも姉が心から選んだ男だとは思えなかったのだ。
姉が落ち着いた後、父は年頃のエディナにも同じことを要求した。
ただでさえ反抗的なエディナが父の要求を受け入れることはない。
それでも父の顔を潰すような真似はせず、やんわりと大人の対応で断りまくる。
ワガママを通すことと迷惑をかけることの分別はきちんと弁えていた。
アンティークがなだらかな丘の斜面を捉える頃、灰色かかった雲はすっきりと晴れていた。
冬空の中に浮かぶ一瞬の太陽は街よりも近くに感じる。
澄んだ空気を割くように放射状に散乱する光。
煌めきが空気を捕まえて木訥な景色に彩りを与えていた。
「もうすぐ着きますよ」
運転手が小声でエディナに告げると、アンティークはよりきれいに整備された砂利道に入っていく。
ロータリーに差し掛かると見覚えのある邸宅が姿を現す。
庭の真ん中に子どもの頃に遊んだ芝生と大きな木がそのままの姿で残っていた。
庭師が寒空にも関わらず枝にしがみついて手入れをしている。
エディナに気づいて梯子の上から会釈をする庭師。
エディナが軽く会釈を返したとき、アンティークは邸宅の前で止まった。
*****
広がる空の青さは心の澄みを表している。
心が捉える空の色は囚われの環境に依存する。
砂利道を踏み砕きながら老人は呟く。
真の安息は環境に委ねられ、心を伝う感動もまた然り、と。
(第53話につづく)