第25話 緊縛の朝

文字数 1,249文字

 ジムは答えの出ないまま翌朝を迎えた。
 憂鬱な顔に冷水を浴びせると滴が肌に滲んで消えていく。
 やがて表皮が冷気の奴隷になって引き締まりを見せた。

 不精にシェイバークリームを当てがい硬い髭刃の勢いに任せて紡ぎ取る。
 剃り終えて今一度冷水を顔に浴びせる。
 痛みが細かな傷に染みるように肌を駆け抜けて行った。

 時刻は午前七時を回ったところ。
 電光の置き時計が部屋の隅でひっそりと時を刻んでいる。
 いつもよりは少々押しているだろうか。

 ジムは焦ることもなくラテをカップに注いだ。
 ケトルが唸る間に身支度を整え合図が鳴るのを待つ。
 少なめに湯を注いでかき混ぜると粗く残った泡が回り始めた。
 少し固まった粉が弾けながら舌を転がっていく。

 出かける前に時間の余裕を持つ習慣。
 穏やかにラテを嗜む時間を作り気持ちの整理をつけていく。
 
 ジムの一日はラテを飲みながらその日の行動を頭の中に描いていくところから始まる。
 巡回ルートの効率やルーティン作業の掘り起こしを描く日課。
 だが今朝ばかりは非日常に足を踏み入れている。
 言うべきか、言わざるべきか。
 そんなことばかりが頭を過ぎる。

 未来を予想するほど無駄なものはない。
 思い通りに行くなら誰でもハッピーな人生を送れる。
 だがほとんどの人は自分の思い描いた人生を歩めていない。
なるようになるさと思えれば気は楽だ。
 だがどうしても考えてしまう弱さを突き放す事はできない。

 ジムは予測できることはすべて考えたつもりだった。
 最悪顧客リストが発見されて詰問される可能性もある。
 その時はどうする?
 恐れが抱く想像は得てして現実と相反する悲劇を産む。
 そんな自問を夢の中でも繰り返したのだろうか。
 寝不足のせいか体のあちらこちらが痛くて爽快とはほど遠い朝だ。

 そもそもあの発明と事件が関係あったとしてどうして殺人にまで発展するのだろうか。
 ジムは拙い想像力を巡らせる。

 秘密を漏らしたから?
 誰に?
 発明の横取りとか盗用だろうか。
 あるいはあの男が実は競争相手のスパイだった?。

 テレビドラマのアイデアにサディステックな叙情などありはしない。
 事実が突飛もなくエモーショナルであることは現場を経験してきたジム自身がよく分かっている。
 ドラマティックな後付けは脚色に他ならない。
 事実はいつも冷酷だ。

 ジムはラテを飲み干すと上着を羽織って鏡を見つめた。
 襟を正して間抜けな顔でないことを確認すると壁に掛けていた鍵を手に玄関を出る。
 ドアを開けた瞬間に空っ風が落ち葉を訪問させた。
 ジムは上着の襟を立てると向かい風の中をとぼとぼと歩いていった。

*****

 事実は単純かつ複雑である。
 衝動と選択の積み重ねの比率がそうさせるのか。
 風に吹かれるジムの背中を見て老人は呟く。
 事実はいつも裏切るがそれは熟慮不足ゆえではない、と。

(第26話につづく)
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