第94話 伝導の先にある試練

文字数 4,706文字

「どうして彼女があの場所に?」ジムは真っ先に浮かんだ疑問をぶつけた。
スタッカートは少し冷めてきた珈琲を啜りながら「君に会うためだったとアンナから聞いている」と答えた。

「アンナ?」

「ああ、あの時に私の隣にいた女性だよ」

「そうですか……、あのときの」

「それと言いにくいんだが……」

「なんでもおっしゃってください」

「そうか……、そのなんだ……、エディナを君に会わせようと画策したのはアンナなんだ」

「アンナさんが? なぜ?」

「あの夜、ミュージアムホールでワシらも君らが引き裂かれるのを見た。アンナはとても心配していてね。あの後、エディナを家に招待したときに仲良くなったみたいでな……。それで連れ出したようだ」

 ジムにはイマイチ経緯が理解できなかったが、深く追求することはやめて「そうなんですか……」とだけ答えた。

「世話焼きのようでな。さすがに職場に行くのはマズいだろうという話になって諦めたと思っていたが……、いやはや女の考えることはわからん」

 スタッカートの告白にジムは胸が痛くなる。
 自分に会いに来てくれたのにあんな事件に巻き込まれるなんて……。

「ケガの具合はどうなんですか?」

 ジムはエディナの体がとても心配になった。
 死者も数多く出ている大規模な火災……、いや爆破事件と言っても過言ではない。
 その災禍に巻き込まれたと聞いてさらに不安は募った。

「顔に……、その……」

「顔?」

「ああ、頬に……、そうだな。火傷を負っている。あと逃げるときに人に踏みつけられたのか足を折ったようだ」

「顔に火傷!」
 ジムは面会謝絶の理由がはっきりとわかった。
 そんなに酷い状態だったとは……。

「その……、火傷ってどの程度の……」

 ジムがおそるおそる訊くと、スタッカートは無言で頬をなぞった。
 かなりの広範囲をなぞっているように思える。
 ジムは絶句する。
 そして、人目も憚らずに涙を零した。

「そんな目に……、エディナ……、エディナ……」

「ジム、落ち着いてくれ。そして許しておくれ」

「許す? なにを許すというのです」

「ワシの……、そのアンナが連れ出さなければ……」

「スタッカートさん、それは違う。アンナさんもエディナも、あなたも悪くはない。悪いのはあいつらだ!」

「あいつら?」

 スタッカートはジムの口走った台詞に違和感を感じた。
 どう言うことだ?
 火災は事故ではないと言うのだろうか。

「ジム、どういうことだ。報道では武器庫の銃器点検中に引火と聞いている。真実は違うのか?」

 スタッカートのその言葉にジムは我に返った。
 そして捜査機密を漏らしてしまったことに動揺する。

「スタッカートさん……。今のは忘れて下さい、って言っても無理でしょう……」

 ジムはスタッカートを信用して差し障りのない事実を述べるしかなかった。
 何者かによって火災が起き、現在も捜査中であることを告げる。
 犯人の目星は立っていたがそこは敢えて伏せた。

「どんな理由なのかはわかりませんが分署がターゲットになったのは事実です。多くの警察官が命を落としました。市民も犠牲になった人もいて……、その中に彼女らがいたとは思いもしませんでした」

「そうだったのか……。それでもあの場所に行かなければと思うよ」

「起きたことは仕方ない。タイミングも最悪でした。私たち分署の人間ですらまさかの出来事でした……」

「そうか、それ以上聞くのはやめよう。君にも立場があるだろうし、この事はこの場にいるものだけの秘密だ」

 スタッカートは同席していたジュリアにも念を押す。
 ショックで放心状態だったジュリアは何度も頷いた。

「それで面会謝絶だったんですね」ジムはぽつりと言う。

「会わせられないことはなかったがエディナは頑なだった。ジムに入院したことを告げたと言ったとき『こんな姿では会えない』と泣き叫んでいた。ケガはまあ見た目はアレだが状態としては悪くないから退院許可は出た。自宅で療養するのが決まって、もし君が再び訪れたときのために病院に無理をお願いしたんだ」

「ありがとうございます。助かりました。一歩ずつエディナに近づいているのがわかる。あなたはエディナを心から愛しているし、大事にしてくれているのもわかる」

「まるで父親のようだと言いたいかな? 残念ながらそうではない。でも父親代わりのようなものだ。ヴァンガードは家庭を顧みない男だからな。仕事人間は悪くないがエディナへの関心が薄すぎる。だから、あいつも無茶をする」

「それって素行が悪いとかいう例の……」

「そうだ、さすがに警察だな。何度も悪戯や事件を起こしていた。その度に母が警察署に出向いた。あいつが迎えにくることはなかったがジュニアの頃は散々手を焼いたようだ」

「その頃からエディナのことをご存じで?」

「ああ、元々はヴァンガードから金融資産の相談を受けて知り合った。ワシの会社の主催するパーティーでね。そこで彼女を初めて見たときは何と美しい娘がいたもんだと驚いたよ。ワシの会社の連中はこぞって討ち死にしたようだったがね。エディナには年の離れた姉がいるんだがそちらのアプローチに成功した男はいたようだ。姉はエディナがハイスクールに上がる頃にはもう結婚して家を出た。出たと言っても形式上は婿養子に迎え入れてヴァンガードが用意した邸宅に住ませている。跡取り候補で英才教育をしている最中だな。ヴァンガードの関心はそっちばかりでエディナはずっと置き去りにされていた。あるパーティーの席ではじめて話したとき、あの時のあの子は寂しそうな目をしていたよ」

 ジムはスタッカートの言葉をじっくりと聞き込む。
 過去を他人から聞く後ろめたさ。
 奇妙な感覚が混じる中、スタッカートはジムに話し続けた。

「あの発明はな。そんなエディナを救うためにある男が企画したものだ。ESCのプログラマーが開発したが発案者については教えられない。ワシはその企画をヴァンガードから聞いて、ぜひ参加させてくれとお願いした立場だ。もっとも会社のビジネスの側面から面白い企画だとは思ったがな」

「そ……、そうでしたか……。やはりESCは関係があったのですね」

「まあいずれバレるわな。警察もそこまで無能ではあるまい。でもこれは何の違法性もないただの企業活動だからね」

「そうですね。捜査本部でも同じ見解です。ところで具体的には何を目的とした企画だったのでしょう? 何となくはわかっているつもりなのですが……」

「はは! わかりやすく言えばエディナの婿探しだな。コンピューターが任意で相性の良い人間を選び出した。それが正解かはわからないが本人同士が会えば進展はあるかも知れないと考えたようだ。夢の出会いと現実の出会いはセットになっている。もっともなぜ君が選ばれたかは企業秘密だろうが……」

「まあ、私なりの考えはありますが……」

「ほう、それは面白い。聞かせてくれまいか?」

「ええ。私の仮説だとコンプレックス同士の補完というのが主題だと思っています」

「ほほ、ご名答。ほぼ正解だろうな。ありとあらゆるデータから人間を客観的に分析した。その中で本人が無意識の内に強く思っているものが何かを探り出した。そしてそれぞれの価値観の多様性の中で相性が良く助け合える可能性の高い組み合わせを照合させる。それが相手として選ばれるという流れだ。それで君が選ばれた」

「そうでしたか……。でもなぜ私だったのだろうかと今でも考えています。私が彼女の何を埋められるというのでしょう?」

「それはワシにはわからんよ。ふたりの間でだけでわかるものだ。ひょっとしたらエディナにしかわからんかもしれん。でも、君を初めて見たとき、そしてエディナの様子を見たとき、これは間違いないと思った。うまく行くと思ったが邪魔が入った。まさかあのタイミングとは思いもしなかったがあれはヴァンガードが書いたシナリオだったようだ」

 スタッカートの含みのある言葉は気掛かりだったが、これまでに何となく心が捉えてきたことが間違いではなかったと安心する。

「これからエディナに会うにはどうしたらよいでしょうか?」ジムは唐突に訊いた。

 スタッカートは二人にとって重要な人物であり、伝導者のように感じていた。
 未来を手繰るヒントはこの男が持っていると思った。

「今、エディナの心は不安定だ。君の存在は勇気にもなるし、恐怖にもなっている。時が解決するだろうがそのタイミングは誰にもわからない。だがもし、君が真摯にこの現実に向き合うならその時はやがて訪れるだろう。やらねばならんことは誰に訊くでもない。自分で考えるものだ。導けるのはここまでだよ、ジム」

「わかりました。自分の心に聞くとします。でも、なぜここまで私たち……、いやエディナのために?」

「ワシにとっては娘みたいなものだ。それに彼女には何度となく助けられていてね。そのお礼は人生を賭けて返していかねばならないのだよ。これは君にもエディナにも言えないがね」

 ジムはその言葉で十分だと思った。

「スタッカートさん、ありがとうございます。ここからは自分の足で歩いていきます。必ずエディナの心にたどり着いて、あなたに良い報告をしたい」

「わかった。陰ながら応援しているよ、ジム」

 スタッカートはそう言うとすっと手を差し出す。
 ジムはしっかりとその手を握ると、一礼して部屋を去った。

 ジムには次にどこに行けばいいかが明確にわかっていた。
 そして、ここまで導いてくれたスタッカートに心から感謝する。
 その思いを胸にジムはエレベーターに乗り込んだ。


「エディナさんっていう方はとても魅力的な人ね。羨ましい」
 残された部屋でぽつりとジュリアが呟いた。

「あの子はね、特別だよ。力を持っている。あの子と初めて出会ったとき、金融危機の欠片も見せないバブルの真っ最中だった。あるパーティーでヴァンガードに紹介された後、偶然にもふたりで話す機会ができた。その時に彼女は言った」

「……」

「『もうすぐ嵐が来る』ってね。はじめは何のことかわからなかった。でも彼女なりに父親の仕事を眺めて、つきあう人間の質を見て何かを感じ取ったんだろう。危機でほとんどの人間が弾け飛んだ後、意味がわかってエディナに会いに言った。その時、あの子はとても不思議な微笑を浮かべて、『自分の靴を自分で磨かないものはいずれ靴に裏切られる。あなたはとても大切にしていたから気づいてくれると思った』と言った。そら恐ろしいと感じた。凄みを感じたよ、娘くらいの女の子にね」

 ジュリアはスタッカートの真剣な語りに寒気がした。
 会ったこともないのに、こんなにも心の中で存在が大きくなる女性。
 憧憬と畏敬を感じる。

 その後、スタッカートは突然無言になって考えに耽った。
 ジュリアは静かに珈琲を入れ直すと、そっと彼の傍らに置いて部屋を出た。
 あの顔をしているときに邪魔をしてはいけない。
 それは長年彼のビジネスパートナーとして得た彼女なりの教訓であった。

*****

 影の存在はその男の未来を決める。
 影の向きは心の向きを表している。
 颯爽とビルを駆け抜けた男を見て老人は呟く。
 迷いある者は影に囚われ、迷いなき者は置き去りにする、と。

(第95話につづく)
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