第33話 灰色の連鎖

文字数 3,204文字

 外気温の落ち着きの中、陽光は鋭さを取り戻す。
 窓枠の雪はすっかり溶けて滴が日光の乱れを誘っていた。
 タブレットにかじり付いたままのジム。
 充電メモリの悲鳴に気づいた時はもう昼前に差し掛かっていた。

 午前中いっぱいかけて被害者の元会社と再就職先について調べてみたものの捜査情報とウェブ情報に大きな違いはなかった。
 まだ捜査が行き届いていないのか、それとも踏み込めない理由でもあるのだろうか。
 ジムはふとその二カ所を実際に訪れてみようと思った。
 3ブロック先のオフィス街、バスを使えばそれほど遠い距離でもない。
 約束の時間までにはまだ余裕があるし、オフィス街を巡る路線は郊外のミュージアムホール近くまで伸びていたはずだ。
 昼下がりの暇つぶしにはちょうど良いだろう。
 気を紛らわすために何かをするのも悪くない。

 ジムは冠婚葬祭用のスーツの上に厚手のジャンパーを纏う。
 雪解けの悪路を考えるとブーツの方が良いだろうか。
 迷った末に実用を取るのはいつものことだが、洒落た靴がこの部屋にないのも事実だ。
 
 玄関先に生息する新雪がギュッと鳴って靴がのめり込んだ。
 螺旋階段から先は純白の道、喧噪は悪路への道標だ。
 ジムが通りに出るとクリスマスカラーとゴスペルで街はとてもにぎやかだった。
 事件後でも去年と変わらない光景。
 街角にあふれる笑顔を眺めながらこれまでのイヴを思い出す。
 バカ騒ぎしていた新卒を思い出しながら、遠く離れて過ごす家族に想いを馳せた。


 かつてジムの家族はこの街に住んでいた。
 父は本署勤めの警察官。
 地位は人並みのごく一般の刑事課の捜査員だった。
 現場が好きで昇級には無頓着。
 健在の過去は暴力的な事件に塗れていた時期だ。

 父はある事件で命を落とす。
 麻薬絡みの難事件でマフィア同士の抗争に巻き込まれた。
 実地の張り込みの途中、流れ弾が彼の体を突き抜けた。
 それがこの街の暗黒時代の発端。
 およそ十数年前のこと、ハイスクールで進路に迷う初心にとって人生最初の岐路だった。
 その後事件は市警察の厳重な捜査、いや攻撃と言っても差し支えないほどの猛攻によって解決へと突き進む。
 多くの命が犠牲になったがマフィアは殲滅の道を歩んだ。

 父の死後、母は故郷の田舎町へと帰った。
 解決と同時にハイスクールを卒業したジムはこの街で警察官になると言い出す。
 無論反対されたが意志は固く揺るがない。
 父の敵はもうこの世にはいないのに。
 母の呟きは今も忘れられない。
 
 数年後、ジムはポリスアカデミーを通過し無事に警察官となった。
 そして分署に配属され、その頃から社会情勢の変化とともに犯罪の質も変わっていく。
 暴力事件は減ったものの多岐に亘る巧妙な手口は知性を要求する。
 
 静かな街になってどれぐらい経っただろうか。
 突然の銃声。
 母の懸念を復活させやしないだろうか。
 そう思って心配していたが、呑気なほのぼのとしたメールや手紙が時折届くだけ。
 杞憂に終わったことに安堵しても不透明な圧迫からは逃れられそうにない。


 ジムがバス停に着くと数人の人だかりが到着を待っていた。
 モニターと路線図を確認してオフィス街への経路を確かめる。
 どうやら5分後の到着で停留所は3つ。
 目的地は聴き慣れた停留所、本署に出向した際に訪れたところだった。
 早足のスーツが独り言で歩き回っている印象しか残っていない。

 休日のオフィス街経由のバスはほんすうも少ないが利用も稀。
 ジムは一番奥の席に座って車窓を眺めた。
 見慣れた街角が去っていき、しばらくすると大きな無機質なが増えてくる。
 地図を確認してひとつ手前の停留所で降りることにした。
 CMのロゴを頼りにビル群を見上げる。
 
 風が激しく舞って時折新聞紙やビニール袋が空に還る街。
 灰色の空と同化したような景色の中で見覚えのあるロゴはすぐに見つかった。
 焦点を定めながらビルの姿を追って通りを歩く。
 整備された縦横の道路を辿っていくと交差点の中程でビルの立ち振る舞いがはっきりと見えた。
 通りに人影はほとんどなく正面玄関の横にガードマンがひとりだけ立っていた。
 暇そうに欠伸、ヨレヨレの制服が物悲しい。

 ジムは中に入る気は更々なかったが道を聞くフリをしてガードマンに近づいた。

「アルウェン労務事務所ってここらへんですか?」

 ガードマンは怪訝そうな顔をして「知らない」とだけ答える。
 ジムは続けて「この辺りに警察は?」と聞くと男は無愛想に来た道を指差した。
「おお、ありがとう」と言ってわざとらしくとぼけて来た道を戻っていく。
 そして警察署に行くフリをしながら交差点で姿を隠し、事前に調べてあったアルウェン労務事務所を目指した。

「顔色ひとつ変えないな」

 そして男のネームプレートから「カーヴォンス警備」と言うワードを導き出した。
 スマホで検索をすると会社の概要などが表示され広域に展開している大きめの会社のようだった。

「まさかね」

 ジムは思いつきで提携先、株主比率など分かる範囲で会社の外堀を調べてみる。
 すると出資者項目のトップにESCメディアカンパニーの名前があった。

「やはり子会社か何かなんだろうか」
 
 そんなことをしているうちに比較的古い雑居ビルにたどり着いた。
 ESCメディアカンパニー本社から歩いて徒歩5分、約二百メートルほど離れたところだろうか。
 管理室は不在だがオートロックが行く手を阻む。
 ジムは玄関フロアのメールボックススペースに忍び込むと事務所のネームプレートを探し始める
 5階のところに比較的キレイなプレートが差し込まれていた。


 何となく目的を果たしたジムはタブレットで付近の地図を表示させる。
 1ブロック先に本署があり、その目の前にバス停がある。
 寄り道のカフェは健在でストリートビューはあの時のままだった。

「懐かしいな」

 ジムは面接や研修の日々を思い出す。
 そしてふとジャスティンがここから来ていることを思い出した。

「彼らの動きは?」

 そして署長の下手な演技を思い出す。
 行動を制限しないと言うことは私服が紛れ込むのだろう。
 明言も提案もないが裏で動くのは違いないだろう。


 とぼとぼと歩いいると本署が見える交差点に差し掛かった。
 休日にも関わらず人の往来が激しい。
 通りを挟んでそれらを眺めていると急に高級そうな車が目の前で止まった。
 
「こんなところで何をしている」

 スモークが少し開いて声が響く。
 顔は見えなかったが聞き覚えのある声だ。

「コトリーさん?」

「奇遇だな、ジム」

 よく見ると旧式の後部座席にコトリーとジャスティンが意味ありげな含みで構えていた。

「自首しに来たとか言うなよ」ジャスティンの言葉は笑えない。

「いえ……そんな。ちょっと気になったので……」

「ふ~ん、何が気になるのかは分からないが奇妙な取り合わせだな」コトリーは窓を大きく開けて乗り出して言った。

「まあ、ちょっと時間も余ったもので……」

「まあいいさ」ジャスティンの言葉に少し棘を感じる。「今日は勝負の日だろう。事件を忘れて女を楽しめ。じゃあな」

 ジャスティンはそう言うと旧式を発進させた。
 コトリーの意味深な微笑がが実にいやらしい。
 ジムは呆気に取られながらその行く先を眺めていた。

*****

 休日のオフィス街は無味乾燥な荒野だ。
 平日は殺伐とした空気で澱んでいても生命は感じる。
 とあるビルから眼下を眺めて老人は呟く。
 彼の心に吹く風は荒野の疾風か草原の凪か、と。

(第34話につづく)
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