第101話 過去が歪み、思惑は火種となる

文字数 7,130文字

 ウィッシュはデータ検索のために電脳捜査室に向かった。
 ジャスティンからの命令であることを告げると、室員一同は訝しがって内容を覗き込んでいた。
 特権を与えられている特別捜査班の申し出とあれば断ることはないが、それにしても自殺者数の経緯なんてものを調べて何になるのか。
 それが一同の疑問だった。

 ウィッシュはジムの仮説を彼らに分かりやすく説明することに躊躇った。
 時間がない中で妄想を具現化する資料を作るなどと言えるはずもない。
「ある事件を機に自殺者の増加があって、それが今の事件と関連があるかを確認したい」とだけ告げる。
 それが彼らの理解を得られたとは思ってもいない。

 ウィッシュは分署のみならず本署及び近隣の管轄をまとめたものを導き出す。
 市警察とのコンタクトも取って統計データを確認すると妙なグラフが展開された。

「なんだこれは?」

 ウィッシュは眼前の結果に愕然とする。
 こんなことがあるんだろうか、と憶測混じりの妄想が彼を襲った。

「これをプリントアウトして。それとこの時期の自殺者を弾き出してリスト化したい。あとはデータベースで詳しい情報を個々にまとめよう」

 ウィッシュは捜査員に指示を出して、電脳捜査課にデータ持ち出しの申請をする。
 しばらくすると決裁印の押された許可証が出来上がった。
 ウィッシュはそれにサインをしてリストが出来上がるのを待った。

「これで何かわかるのかい?」

 不意にオズワルトが訊いた。
 
「事件の本筋が見えると思う。おそらく決着は近い」

 ウィッシュは彼が敵である可能性を知りながらもそう答えた。
 揺さぶりをかけて反応を見るのも悪くない。

「そうか、ならいい。ようやく解放されるのかな?」
 オズワルドに変化は感じられなかったが、妙に上の空のような印象を持った。

「解放? 何からの?」

「いや、このところ仕事づくめでさ。分署の火災やら何やらでこっちの作業が追いつかないんだよ。ようやくあの事件が片づくのなら、データ移設に集中できるのかなと思ってさ」

「そうか、そっちも大変なんだな」

 ウィッシュはそう答えながらも、内心では「君らのしでかしたことじゃないか」と罵って見る。
 だが、彼が関わっている証拠などはどこにもない。
 そして思い出したかのように訊いた。

「そう言えば火災の難を逃れたんだったな。運がいいな、君らは」

「ああ、そうだな。前日にいきなり本署から指令があって急遽出向くことになったんだよ」

「あれ? でも出向申請は分署から提出したと訊いているぞ。分署の都合で急遽って話だと思っていたが……」

「それなんだがな……」

 オズワルトはウィッシュの耳元で囁くように話し出した。

「本署のかなり上の方から課長に指示が出たらしくて……、詳細は不明なんだが下が急遽作成することになったんだよ」

「なんだそれ?」

「俺にも意味がわからなくてさ。急なことで課長もスケジュール調整に苦慮してたよ。文書は俺が作成して、そのままスルーで上に上がったようだが……」

「相手の偉いさんって誰だ?」

「さあ、そこまでは……。俺らも急に言われてデータまとめるのに必死でさ。そんなこと聞く暇もなかった。落ち着いてから聞こうと思ってたらあの火災だろ? 向こうでのデータ照合の最中に慌てて戻ったからその残務も残ってるし、最悪だよ」

「ちなみに課長は?」

「本署に出向してほぼ監禁状態だね」

「そうか……。じゃあこっちの指揮は誰が取ってるんだ?」

「今のところは課長代理の俺が取ってる。近々応援部隊も来るし、それにここだけの話だが……」

 オズワルトはさらに小さな声でウィッシュに囁いた。

「新しい署長を含めた幹部たちが来週には就任するそうだ。ウチのトップも一緒にね。分署の再建がほぼ固まってその再開と同時に動くそうだよ」

「誰がくる?」

「グレゴリー本署副署長という噂だ」

「そうか、ありがとう」

 ふたりの秘密の会話の間に資料の作成が終わった。
 ウィッシュはそれを受け取って電脳捜査課に挨拶を済ませる。
 オズワルトが敵か味方かを判断できずにいたが、情報をジャスティンに伝えれば何かわかるかも知れない。
 彼なら本署の上層部に顔も利くし、政治的な動きは読めるだろう。

 それよりもウィッシュが気がかりだったのはジムが指摘した自殺者の変遷の結果だった。
 まさかと思いながら、意思の感じる結果。
 この結果には意味があるに違いないと感じていた。


 会議室に戻ると、いつものようにジムは資料に耽りジャスティンとコトリーは何やら話している。
 ウィッシュらの帰室に気づいて、ジャスティンは「どうだった?」と声を掛けた。
 その声にみんなが反応して顔を上げた。

「どうもこうも……。見ていただいた方が早いかも……」

 ウィッシュは自殺者数の変遷のグラフを見せる。
 A3サイズに拡大させた3本の折れ線グラフが踊っていた。

「この実線が市警察管轄内の数の変化。この点線が本署管轄内、この波線は分署管轄のものです」

 ウィッシュの説明によると、左から右に展開するグラフで右に行くほど現在になる。
 市警察管轄いわゆる広域での自殺者数変化は微々たるものだが、本署や分署管轄での上下動は激しかった。
 特に昨年12月のところで跳ね上がったようなグラフになっていて、その時期に集中して自殺者数が増えていた。

「彼が死んだのは?」ジャスティンがウィッシュに訊いた。

「12月15日ですね」

「この突出したところに当てはまる訳か……。それで……」

「これがこの時期の自殺者の一覧と個々の基本情報です」
 ウィッシュは書類の束を見せた。

 自殺者リストを筆頭に、その詳細が記載された機密事項などが束ねられている。
 その厚さにジャスティンは言葉を失っていた。

 この町での自殺者は昔に比べれば増加傾向だったがそれでも日に1件や2件だった。
 本署広域でも4、5人程度、市警察管轄でも二桁に上る程度である。
 だがその書類の束は微塵を嘲笑うほどの異臭を放っていた。

 12月10日、この日を起点として、本署管轄だけで2倍の二桁の自殺者、1週間後には通常の数値に戻っている。
 分署管轄も同じ推移を示していて、広域だけが数量に埋もれてかき消されていた。
 このグラフを見て変だと思わない方が難しい。

「この中に彼と同じように選ばれた者がいる可能性は?」
 コトリーが訊く。

「さあな、自殺で処理されているということは不審な点はなかったのだろう。死因を見ると他殺の可能性は無いとは言えないが……」

「この男は飛び降り……、この男は中毒死……。疑えばきりがないか……」コトリーがリストをめくりながら呟いた。

「それにしてもこの地震計の針のようなゆらぎは興味深いものがあるな……」
 ジャスティンは中身よりもグラフの変化の方に興味を示していた。

「この人たちの身辺を洗い直せば何か見つかりますかね?」ジムはおそるおそる訊いてみる。

「無理だろうな。もう死後数ヶ月経っている。普通に考えて遺品の整理も終わっているし、家族もふれられたくはないだろう。この件は客観的な可能性を示すだけのものになるだろうな」

 ジャスティンの言葉にウィッシュが「ええ! せっかく調べたのに~」と嘆いた。

「ふふ、収穫はそれだけじゃないんだろ?」
 ジャスティンは不敵な笑みでウィッシュに迫った。

「超能力者ですか、ジャスティンさん……」

「顔に書いてあるぞ」

「そう……、なんですか?」

 ウィッシュは思わず頬をさわる。
 さわってわかるはずもないのだが、そのコミカルな仕草が場を和ませていた。

「その素直さがわかりやすいんだがな」コトリーが嫌みっぽく言う。

「なんですか、それ~」

「まあ、冗談はそれくらいにしてどんな獲物だ?」

 ジャスティンの問いにウィッシュの顔が強ばる。
 そして、「新署長にグレゴリー副署長が就任するようです」と告げた。

「グレゴリー?」

「ええ、内密にとのことでしたが……」

「ちなみに出所は?」

「電脳捜査課のオズワルトからです」

「なるほど……」

「信憑性はありますか? 彼はカーヴォンスの……」

「そうだな。でも、これはあいつらからの警告だろう」

「どう言う意味ですか?」

 ウィッシュはジャスティンが見えている未来が読めずにいた。

「グレゴリーはね。かの癒着時の派閥の生き残りだよ。今の体制になってあの派閥は一掃されたが、監視下に置くという名目、透明すぎる人事の悪影響を考慮してわざと本署副署長に抜擢したそうだ。その彼がこの分署に戻るということは前体制に戻すという宣戦布告のようなものだよ」

「イマイチわからない」

「ウィッシュ、政治も勉強しろ。文学に長けても中身が薄いと彼女に笑われるぞ」

「なんですか、それ」

 ウィッシュはそう言ってマクガインの言葉を思い出す。
 そして、呆れかえるように「勘弁してくださいよ」と嘆いた。

 ジムはそんな弾んだ会話の着地を見越して、「どうしてそんな人がまた栄転なんてするんでしょうか?」と訊いた。

「まあ、今回の火災の件で他の派閥が恐れをなしたか、あるいは」

 ジャスティンがチラりとコトリーを見た。

 そして、「ふふ……、もっと上の意思が働いたと見るのが妥当だろうね」と不気味な笑みを浮かべて続けた。

「また癒着の歴史が繰り返されると見ていいだろう」

「そんなに問題ある派閥がまた同じところを統括するなんてこと問題になりません?」

「問題にはなるだろうがこの地域にはもう他の派閥は及び腰というところだろう。そもそも癒着問題の発覚からして胡散臭い話がいっぱいでな……。現場の志気が下がりそうだからあえて明言は避けたいところだが……」

 ジムの問いにコトリーが渋々と搾り出すように話し始める。
 するとウィッシュが、「どいつもこいつも同じってことでしょ」とあどけなく毒気の強い言葉を放った。

「まあ、そう言うことだ。誰もが同じ穴の貉なのさ。権力を得ると人は変わる。変わらなくても変えようとする輩はいるってことだ」

 コトリーは締めるように言い放った。

「まあ、この話題はここまでだ。おそらくはその復帰も見越しての火災騒動なんだろう。そして実行犯の中で足がつきそうなトムとレイは消された。この線が濃厚だろうな」

 ジャスティンも同じようにこの話題は勘弁とばかりに結論を急いだ。
 ジムもウィッシュも不満そうな顔を隠さない。
 現場の志気が下がるとはこういうことだとばかりに。

「だからな、言いたくなかったんだよ」

 コトリーは少ない髪を毟りながら言う。

「まあ、大人の事情なんでしょうかねぇ」

 ウィッシュは悪びれることもなく言った。

「そう言うな、ウィッシュ。俺たちは俺たちの仕事をするだけだ。それに連中も今はうまいことごまかせてはいるがその内尻尾を出す。それまでは俺たちも死んだふりをしなくてはな。あくまでも踏み込んではいけないところは合図があるまで待つものだよ」

 ジャスティンは大人の対応を説く。
 ウィッシュは渋々納得させるように屁理屈の塊のような顔をひしゃげて見せた。

「これからの奴らのシナリオはこれで見えた。恐らく殺人事件は自殺で処理させられる。一連の過去の自殺が掘り返されることもない。トレーラーの件も事故で処理され新体制のもとで分署が動き出すだろう」

「それで幕引きですか? 納得いかない」

 ジャスティンの言葉にジムが反発する。

「でも仕方のないことだ。これ以上の巨悪に立ち向かうには武器も人数も足りない。だが、奴らが相当焦っていることは間違いない。これまで秘密裏に行われていたことが、こうも公然に全国区のニュースになる始末だからな。当分は派手な動きはできんよ」

「ジャスティンさん、そうは言っても……」

「はは、ジム。君も諦めが悪いな。でも、俺も君以上に諦めの悪い男だと言うことを覚えておいてくれ。それに今回の件で俺たちが得たものはたくさんある」

「そんなものがありますか?」

「それはな……、おまえだよ、ジム。君が捜査員として認められ、俺たちと一緒に仕事ができるようになった。これは俺たちにとって武器がひとつ増えた証拠だよ」

「そんな……、私にはそこまでの力はありませんよ」

「ふふ……、君らしい答えだ。でも、君は変わる。これからね。きっと君は父を越える男になるよ」

 ジャスティンはそう言うと立ち上がった。

「今後は引き続き捜査はするがフリだけでいい。来週頭には特別捜査班の任も解かれるだろう。後は俺とコトリーで面白い作文を仕上げておく。いいな?」

「わかりました」

 ウィッシュとジムはそう言うとジャスティンに一礼をする。
 ジャスティンはそれを見届けると、コトリーとともに部屋を出ていった。
 ジムとウィッシュは急に力が抜けたようにその場に座り込む。

「なにしてたんだろ……」

「まったくもって……」

 ふたりは脱力感の中、堆く積まれた資料の前でただただ呆然とっしていた。


 週が明けると、ジャスティンの予想通りに事が動き出す。
 きれいに再建された分署にグレゴリーが署長として就任した。
 分署を揺るがせた火災は武器庫の引火事故として、トレーラー火災も事故として処理されることになった。
 ただし殺人事件についてはジャスティンの見立てと異なる展開を見せた。

 その報を聞いたときのジャスティンの表情は後生に残るほどのものだったと後にコトリーは語った。
 敵ながらと言うよりは、よくもまあそんなあからさまなことをと唖然としたそうだ。


 数日後、トムの部屋の遺品整理をした家族から「妙な鍵を発見した」と署に連絡が入った。
 家のどこも開けることができない鍵。
 家族が面会の際にレイラに聞いてみると、「自分の部屋に扉がある」と妙なことを口走ったそうだ。
 調べてみると彼女の部屋の床に妙な鍵穴があった。
 そしてそこを開けると妙な木箱が見つかったと言う。
 絨毯を剥がして、床板を加工してスペースを作り、わざわざその中に隠していたようだ。
 妹の部屋は当時のまま、今も精神病院に入院しているようで、誰もがその存在を知らなかった。

 トムは週に一度はレイラの元を訪れていた。
 レイラは無表情なまま未だに過去に縛られている。
 トムは語る、この社会を変えていく、と。
 彼が力強く語ると、彼女はにっこりと微笑んでくれていた。

 ジムがその話を聞かされ、その病院の場所を知った時、妙な胸騒ぎがした。
 ペアを組んだいた時に彼が無意識に避けていた場所、そこにレイラの病院があったからだ。
 おしゃべりなトムが唯一誰にも話さなかったこと。
 思えば彼が家族の話をするのを見たことがなかった。
 いつも自分の話か同僚、上役をネタにした話ばかり。
 今思えば、彼の多弁は話したくないことを覆い隠すためのものだったのかも知れない。


 そして、その中身に一同が声を失った。

「マジですか?」ジムは呆れ果てて緊張感のない声を漏らした。

「ああ、マジだ。ホントにね、敵に遊ばれているだけだよ」コトリーが憮然とした語り口で両手を広げた。

「真実ではないと?」

「そりゃそうだろ……。でも真実として警察は動かなければならんからなぁ」

 ジムはコトリーのぼやきにひきつった笑いを見せるしかなかった。


 ジムはコトリーから現場写真を拝借する。
 その中の一枚に、木箱の中身をはっきりと捉えたショットがあった。
 古ぼけた煤まみれの木箱の中にはあの殺人事件で使われた銃が丁寧にしまわれていた。
 その傍らにビニール袋に包まれた見覚えのある機械類もあった。
 その銃からはトムの指紋だけが検出されたと言う。
 ただ不思議なことに木箱と床板、機械類からは誰の指紋も検出されなかったそうだ。

 ジムは出来過ぎたストーリーに唖然としながらも不謹慎ながら笑いがこみ上げてきた。
 何だろう、この茶番は。
 だが、ジムの心の奥底に新たなる火種が蕾を開こうとしていた。
 そしてその火種は時とともに発芽を許される。


 午後になると、新署長の就任式が始まった。
 ジムはコトリーの隣に立っていた。
 就任式の前に人事異動の辞令が発表されていて、ジムは正式に刑事課への配属を言い渡されたからだ。
 パートナーのフェルナンデスは別れを惜しんだが、ジムは相手をせずに済むようになって胸を撫で下ろしていた。

「今日から俺の部下か?」

「よろしくお願いします、コトリーさん」

「ふふ、署内では警部補と呼べよ」

「ああ、昇進されたんでしたっけ」

「敵に華を持たせるとは……。余裕の極み過ぎて反吐が出そうだがな」

 コトリーはそう言うと、真っ直ぐと就任演説をするグレゴリーを見る。
 ジムも倣うように前を見据えていた。

*****

 新しい風が運んでくるのは希望か絶望か。
 春は誰にとっても幸運な季節とは限らない。
 陽だまりが揺れる中庭の片隅で老人は呟く。
 まだ終わらぬ葛藤がくすぶり炎に成る瞬間を待ってる、と。

(第102話へつづく)
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