第39話 タキシードは軽快なステップを刻む
文字数 2,098文字
私服がミュージアムホールに着いたのは午後18時を回ったところだった。
積もるほどではないが視界を彩るには十分な雪が舞う。
私服はそれぞれバスやタクシー、自家用車などを使って客を装った。
風景にとけ込むことが肝要でインカムを通じてジャスティンを起点に情報を共有する。
着慣れないないスーツやタキシードに身を包み、刑事独特の古めかしいコートは久方の休息を喜んでいる。
ただしセンス皆無の諸氏たちにはタキシードやら黒のスリーピースなどが用意された。
女性警官も任務に就きカップルを装う者もいた。
役得と揶揄されても普段の勝ち気を知る仲間は「罰ゲームだ」と嘯く。
凍り付いたような笑顔と鋭い視線は報復の理由を探している。
「どこで借りてきた?」ジャスティンが笑い転げそうになる。
コトリーはファッションという言葉が逃げだすようなタキシードを羽織っていた。
「マフィアにしか見えない」という自虐に私服諸氏たちも含み笑いを堪えきれない。
ジャスティンは名だたるデザイナーのジャケットに身を包み紳士を装う。
細いスラッとした四肢にオーダーメイドが余裕の笑みを浮かべている。
素養と育ちの違いを痛感するコトリーだったが「観察力が足りない」とジャスティンに一刀両断されて凹むしかなかった。
到着後、ジャスティンはメインカウンターで係員に声を掛けた。
スタッフルームから丁寧な笑顔が出迎え、ジャスティンとコトリーは奥の支配人室へと案内された。
中に入ると恰幅の良い中年の支配人がデスクワークに明け暮れている。
「ジャスティン……、警部でしたかな」背を向けたまま声が飛んできた。
「ご協力ありがとうございます。今宵は肩書きは不要で。ひとりの客としてお扱いください」
「はは……、なるべく努めるよ」支配人はジャスティンを一瞥するとデスクワークに視線を戻す。
そして、「今日の獲物は大きいのかね」と尋ねた。
ジャスティンは給仕された紅茶で喉を潤しながら壁掛けの絵画を眺めて答える。
「ええ……、まだ姿が見えないという点ではかなりのものです」
「ほう、君が追いかけても見えぬか」手を休めずに支配人は呟く。
「そんな……、とんでもない」謙遜の中に確信を彩らせてジャスティンは答えた。
「だが、今日の催しにそんな不自然な団体が主催するコンサートはないぞ」支配人はスケージューラーを眺めながら言う。
「でしょうね。ただある事件と関与のある男が参加することになっていてね」
「ほう、続きを聞いておいたほうがよいのかな?」
「まだ非公開でして……。関連を紐付けできていない状況です」
「そうか、話せるときがくれば教えてくれればいいよ。ただし、こちらにも守秘義務はあるからね。ちゃんとした筋道があれば答えられるし協力もできるが……」
「わかっております。今回は場を乱すようなことは決してしませんからご安心を」
「君がそう言うのなら心配は無用かな。まあ、動き出した船だ。君たちを信用するとしよう」
ジャスティンは深々と支配人に頭を下げた。
支配人はこのホールのみならず球技場やアミューズメントホールを手がけるやり手のオーナーだった。
ミュージアムホールで得た資本を元にこの街のあらゆる娯楽産業に手を伸ばしている。
そうした中、厄介事は日常茶飯事でその手助けをジャスティンが担当したこともあった。
健全な経営に対して警察は協力を惜しまない。
そんな関係はもう十数年にも及んでいた。
「それでは部下を配置させます。ところでチケットのキャンセルとかないですよね?」
「どのステージだ?」
「サブの東館」
「どれ……」
支配人はモニターを眺めながら空席状況を調べた。
わずかな怪訝な表情。
ジャスティンはそれを見逃さない。
「残念だな。珍しいことだが……」
「そこが本懐ですよ」ジャスティンは間髪を入れずに耳元で囁いた。
支配人は微笑を浮かべ、「なるほど。後で教えてくれるんだろうな?」と満面の笑みを零す。
ジャスティンは「もちろん、時が満ちれば。今日は動かないでください。我々も動くつもりはないので……」と答えた。
支配人は「わかった」と頷く。
ふたりに妙な間が漂い、コトリーはまた始まったとばかりに天を仰いだ。
「それと……」ジャスティンは支配人にだけ聞こえるように耳打ちをする。
時折難しそうな顔をしながら、「いずれ役に立つのなら」と言って支配人は申し出を受けた。
「そのときは必ず来ます。お願いします」ジャスティンはそう言い残すと部屋を出る。
コトリーも深々と頭を下げて苦笑いを通い合わせた。
廊下で数人の私服がすれ違い様に耳打ちをする。
ジャスティンが軽く頷いたあと、それぞれは方々に散らばって行った。
*****
散りゆく種子に意志はあるか。
何かのきっかけが芽生えを醸成する。
フロアーの蠢きを見つめて老人は呟く。
彼らは夢をどんな現実と結びつけるだろうか、と。
(第40話につづく)
積もるほどではないが視界を彩るには十分な雪が舞う。
私服はそれぞれバスやタクシー、自家用車などを使って客を装った。
風景にとけ込むことが肝要でインカムを通じてジャスティンを起点に情報を共有する。
着慣れないないスーツやタキシードに身を包み、刑事独特の古めかしいコートは久方の休息を喜んでいる。
ただしセンス皆無の諸氏たちにはタキシードやら黒のスリーピースなどが用意された。
女性警官も任務に就きカップルを装う者もいた。
役得と揶揄されても普段の勝ち気を知る仲間は「罰ゲームだ」と嘯く。
凍り付いたような笑顔と鋭い視線は報復の理由を探している。
「どこで借りてきた?」ジャスティンが笑い転げそうになる。
コトリーはファッションという言葉が逃げだすようなタキシードを羽織っていた。
「マフィアにしか見えない」という自虐に私服諸氏たちも含み笑いを堪えきれない。
ジャスティンは名だたるデザイナーのジャケットに身を包み紳士を装う。
細いスラッとした四肢にオーダーメイドが余裕の笑みを浮かべている。
素養と育ちの違いを痛感するコトリーだったが「観察力が足りない」とジャスティンに一刀両断されて凹むしかなかった。
到着後、ジャスティンはメインカウンターで係員に声を掛けた。
スタッフルームから丁寧な笑顔が出迎え、ジャスティンとコトリーは奥の支配人室へと案内された。
中に入ると恰幅の良い中年の支配人がデスクワークに明け暮れている。
「ジャスティン……、警部でしたかな」背を向けたまま声が飛んできた。
「ご協力ありがとうございます。今宵は肩書きは不要で。ひとりの客としてお扱いください」
「はは……、なるべく努めるよ」支配人はジャスティンを一瞥するとデスクワークに視線を戻す。
そして、「今日の獲物は大きいのかね」と尋ねた。
ジャスティンは給仕された紅茶で喉を潤しながら壁掛けの絵画を眺めて答える。
「ええ……、まだ姿が見えないという点ではかなりのものです」
「ほう、君が追いかけても見えぬか」手を休めずに支配人は呟く。
「そんな……、とんでもない」謙遜の中に確信を彩らせてジャスティンは答えた。
「だが、今日の催しにそんな不自然な団体が主催するコンサートはないぞ」支配人はスケージューラーを眺めながら言う。
「でしょうね。ただある事件と関与のある男が参加することになっていてね」
「ほう、続きを聞いておいたほうがよいのかな?」
「まだ非公開でして……。関連を紐付けできていない状況です」
「そうか、話せるときがくれば教えてくれればいいよ。ただし、こちらにも守秘義務はあるからね。ちゃんとした筋道があれば答えられるし協力もできるが……」
「わかっております。今回は場を乱すようなことは決してしませんからご安心を」
「君がそう言うのなら心配は無用かな。まあ、動き出した船だ。君たちを信用するとしよう」
ジャスティンは深々と支配人に頭を下げた。
支配人はこのホールのみならず球技場やアミューズメントホールを手がけるやり手のオーナーだった。
ミュージアムホールで得た資本を元にこの街のあらゆる娯楽産業に手を伸ばしている。
そうした中、厄介事は日常茶飯事でその手助けをジャスティンが担当したこともあった。
健全な経営に対して警察は協力を惜しまない。
そんな関係はもう十数年にも及んでいた。
「それでは部下を配置させます。ところでチケットのキャンセルとかないですよね?」
「どのステージだ?」
「サブの東館」
「どれ……」
支配人はモニターを眺めながら空席状況を調べた。
わずかな怪訝な表情。
ジャスティンはそれを見逃さない。
「残念だな。珍しいことだが……」
「そこが本懐ですよ」ジャスティンは間髪を入れずに耳元で囁いた。
支配人は微笑を浮かべ、「なるほど。後で教えてくれるんだろうな?」と満面の笑みを零す。
ジャスティンは「もちろん、時が満ちれば。今日は動かないでください。我々も動くつもりはないので……」と答えた。
支配人は「わかった」と頷く。
ふたりに妙な間が漂い、コトリーはまた始まったとばかりに天を仰いだ。
「それと……」ジャスティンは支配人にだけ聞こえるように耳打ちをする。
時折難しそうな顔をしながら、「いずれ役に立つのなら」と言って支配人は申し出を受けた。
「そのときは必ず来ます。お願いします」ジャスティンはそう言い残すと部屋を出る。
コトリーも深々と頭を下げて苦笑いを通い合わせた。
廊下で数人の私服がすれ違い様に耳打ちをする。
ジャスティンが軽く頷いたあと、それぞれは方々に散らばって行った。
*****
散りゆく種子に意志はあるか。
何かのきっかけが芽生えを醸成する。
フロアーの蠢きを見つめて老人は呟く。
彼らは夢をどんな現実と結びつけるだろうか、と。
(第40話につづく)