第24話 岐路が示す誘惑と倫理

文字数 1,741文字

 ジムはその場に立ち尽くし自身の置かれた立場を呪った。
 捜査会議での署長の言葉。
 こんな些末で人生の岐路に立たされるとは思いもしない。

 興味本位で参加したゲーム。
まさか夢の続きと事件解決を天秤に掛けることになるなど思いもしない。
 言うべきか、言わざるべきか。
 苦悩が雪とともに舞い降りて生暖かい肌に溶けて消えていく。

 被害者は同じ発明の招待を受け参加した男だった。
 無論、夢の中で彼を見た記憶などない。
 まったく関連があるとは思えない。
 だがそれは手掛かりになるかもしれないという。

 会の主催者が事件に絡んでいる決定的なものは何もない。
 閉塞感に満ちた捜査の中で雰囲気だけが堰を切ったように動き始めている。
 そう感じていた。
 背景がまったく見えない中で唯一の手掛かりにも思える。

 秘密を漏らせば殺される?
 何の冗談だろうか。
 そんな文言には覚えがない。
 ジムはこれまでの郵便物を片っ端から再確認する必要に迫られた。


 ジムが自宅に戻った頃、日はすっかり暮れ釦雪がコートを濡らしていた。
 釦雪はまだ地上を染めるほどの勢いはなく塗れた地面に溶けていくだけ。
 革靴が釦雪の断末魔に悲鳴を上げている。

 微かな温もりすら感じない部屋。
 ジムの吐息が白く滲んでいく。
 革靴から滴る水滴が彼を追いかけまわす。

 ジムは厚手のオーバーウォールをソファに寝かせると机やパソコンデスクの引き出しを片っ端から開けていく。
 そしてあの発明に関係あるものをすべて机の上に並べた。

 「これで全部か」

 拙い記憶を辿りながら眼前の関連品を確認していく。
 3通の便箋とマイクロカードが2枚、CDとヘッドセットの合計6点。
 便箋を何度読み返してもヘッドセットの端々を眺めてみても差出人に関する情報は一切不明。
 ジムは冷静に俯瞰して我ながらよくこんな奇妙な指示に従ったなと苦笑する。

「彼は夢の中で誰にも会えなかったのだろうか?」

 思わず言葉が漏れる。
 彼が持っていた便箋は確か2枚だったはず。
 捜査報告書をタブレットで開いて確認すると「証拠品:便箋2通、プラスチック片」と書かれている。
 プラスチック片はマイクロカードのケースだろう。

 ジムは自分の体験を反芻しながら彼に同化しようとする。
 同じような境遇で同じような悩みを持って参加しのただろうか。
 答えのない思考、天井の影はロールシャッハテストの揺らめきに思えた。
 
 残像の正体がカーテンだと気付いたジムは窓の外をふと眺めた。
 事件現場は灰色の雲に覆われた視界の果てだ。
 暮らしの違いは階級の相違でもある。
 タワーマンションの遠影は世界の違いを思い知らせる。
 裕福な暮らしの彼が欲したもの、その答えは夢の中にはなかったのだろうか?

 ジムは今後について考えた。
 選択肢は二つ。
 自分の元にも同じものがきたと申告する。
 それによって捜査は少しばかりは動くだろう。
 周囲の視線は痛いだろうがそれに対する苦痛はない。
 
 それよりも心配しなのはイヴに潜入捜査が行われる可能性が高いことだ。
 事情を知らないエディナに危険が及ぶかも知れない。
 あるいは捜査の展開によってはその日が来ないかも知れない。

 もうひとつはこのまま沈黙を守りエディナとの再会を果たすこと。
 事件は進展を見せないだろうが別の情報で解決に向かうかも知れない。
 発明が事件に関係なければ追及されることもないだろう。

「俺は何を守ろうとしているのだ?」

 ガラス戸に映る自分を見てふと我に返る。

 不確かな未来がふたつ。
 警察官としての行動か、それとも欲望に塗れた黙秘か。
 嘲笑らうかのように窓枠はしなり、その隙間から冷気が部屋に忍び込む。
 ジムの影が揺らめき、輪郭のない貌が辺りを覆い尽くそうとしていた。

*****

 街路樹に潜んだカラスが一羽、闇に紛れて眼下を見下ろす。
 往来の誰もが気づかぬ視線よ、その悪意はどこに放たれるか。
 闇に伸びる螺旋階段の梺で老人は笑う。
 瞬間の判断に急かされない内にとくと悩むがいい、と。

(第25話につづく)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み