第10話 泡沫は夜明けを悲しむ

文字数 1,619文字

 重ねた会話はカプチーノを黙らせる。
 揺らめきを失ったカップの底が乾き始めた頃ふたりはカフェを出た。
 寄り添う距離が近くなっているのをお互いが感じている。
 手を伸ばせば届くようなもどかしい距離をさまよいながら石畳を歩いていく。

「これは夢の中の出来事だ」とジムは自分に言い聞かす。
 そして自分と同じように彼女も発明を頼ってここにいるのだろうかと素朴な疑問も過ぎってくる。

 エディナも同じように「これは夢なんだろうね」と心の中で呟いた。
 彼も同じように老人に招かれたのだろうか。
 それを確かめるには……。

 いっそのこと聞いてみようか。

 そんな思いが募る。

 夢の中だけの淡い思い出を寂しがりながらつかず離れずの距離は歩みを揃えていく。


 夕暮れが近づいてきた。
 街外れの川に夕日が乱反射して水面を揺らしている。
 幻想的なオレンジが二人の気分をいっそう盛り上げた。
 時折吹く風は冷気を混じらせてふたりの暖を奪っていく。
 ふたりは川面を眺めながら他愛もない話を続けた。

「この川はどこへ流れていくのかしら」

「そりゃ、海に決まってる」

「じゃあ、わたしたちはどこへ流れていくのかしら」

 不意に溢れたエディナの本音にジムは戸惑う。
 ジムは彼女を見つめながら洒落た言葉をまさぐろうとする。

「ジム、あなたに気障な台詞は似合わないわよ」

 エディナは悪戯な笑顔でジムの肩をポンと叩いた。
 心を見透かされた苦笑いの裏でこのままでは男が廃ると退廃的な思いが巡った。

「それでも言わせてくれよ」

「なに?」

 エディナの微笑がジムの真剣な瞳に溶けていく。
 弾けそうな胸の高鳴りを押さえ込んでジムはそっとエディナの腰に手を回した。

「空に還るまで、ふたりでどこまでも流れていきたい」

 ジムはそう言ってエディナをそっと抱き寄せた。
 ふたりの唇はカフェの接近を過去のものにする。
 そっと目を閉じたエディナにジムは唇を重ねた。
 想いに応えるかのようにエディナはそっと腕を首に絡ませて身を委ねた。

 ジムはそれを受け止め彼女の背中をまさぐるように抱きしめる。
 景色に溶けるように取り巻く感情すらもふたりを透過して消失していく。
 どこからともなく水鳥の声が流れ、二人の情熱は喝采の坩堝に降下していく。


 闇夜も寝静まる頃、二人はジムの部屋にいた。
 薄い毛布を奪うようにエディナは寝息を立てている。
 ジムはその横顔を見ながらそっと頬を指でなぞった。
 指先に反応するように彼女の頬が少しだけ動く。

 ジムは床に落ちていたローブを引き寄せて抱きしめた。
 窓枠から差し込む冷気は裸のジムにとっては少し寒い。

 そしておもむろに机の上のパソコンを見た。
 マイクロカードも点滅もなく、やはりこれは夢の中なんだと落胆する。
 夢ならば醒めないでほしい。
 だが甘美な体験も目覚めれば彼の下を去るだろう。

 ジムの手が毛布の中のエディナの背中にふれた。
 彼女の体がくねるように動き吐息が漏れる。
 ジムは反応を楽しむように肢体をまさぐり、そのうちに彼女のぬくもりに指先が焦げていた。
 心地良い暖かさだ。
 ジムはエディナに寄り添うようにすっと眠りに落ちていった。


 二人が寝入った後、パソコンが急に静かに音を立てて動き出した。
 起動して画面が現れるといつもの老人が優しく二人を見つめている。
 老人は寝入る二人に深々とお辞儀をする。
 すると画面が消えてパソコンの電源も落ちた。
 ファンの音も静かに羽ばたきを休める。
 ウォールクロックの針が天地に手足を伸ばしていた。

*****

 恍惚で甘美な淡雪は切ないほどに美しい。
 雪は灰色の雲の中で産声を上げる。
 消えゆく老人の口元はなぜか寂し気だ。
 泡沫の夢は現実になりたいと叫んでいる。

(第11話につづく)
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