第9話 カプチーノは沈黙を連れてくる

文字数 1,964文字

 エディナが選んだ店は大通りから少し入ったテラスのある洒落たカフェだった。
 幾人かの学生らしき男女が本を片手にテラスを占拠していた。
 いつもの景色だったがその景色に入り込むのは初めてだ。

「おや、おまわりさん。今日はデートですか?」

 おせっかいの店主がジムを見て言う。
 ジムは無言のまま強ばった笑顔を滲ませてエディナの後をついていく。
 エディナはいつもの席へと躊躇なく向かった。
 そこは中庭が見渡せるテーブル席だった。

 この店を認知していたがここまで店の奥に入ったことはなかった。
 こんなふうになっているのかと感心しながらキョロキョロと店内を物色している。
 名高いアーティストの作品だろうか?
 奇妙な幾何学的な文様の派手な原色に圧倒される。

「ここでいい?」

 テーブル席に案内して笑顔目配せをするエディナ。
 ジムはなおも装飾に目移りしながら「ええ」と答える。
 そして「きれいな眺めですね」と中庭に視線を移して言った。

 エディナは四人掛けの奥の席にカーディガンを掛けて手前の席に座る。
 ジムも薄手のウインドブレーカーを畳んで奥側に置いてエディナの真ん前の席に座った。
 急にエディナとの距離が縮まってジムは焦りを隠せない。
 何も考えなしに座ったことを悔いたが彼女がその距離を気にしている素振りはなかった。
 自意識過剰な自分を呪うのも憚られる。

 エディナはカプチーノを頼み、ジムは店員のお勧めのエスプレッソを注文する。
 メニューブックが下げられ途端に沈黙が流れる。

 小さめのテーブル席で向かい会うふたり。
 鼓動が聞こえそうな接近に言葉が続かないジム。
 エディナは男性慣れしているのか少しずつ会話のリードをしていく。
 ジムはその流れに合わすのがやっとだった。

 時折どもりながら「失礼」と言っては会話を続けていく。
 エディナはうぶなジムがおもしろかった。
 今までに出会ったことがないタイプの男だ。
 自慢げに自分を晒すこともなく自分の話をじっくりと聴いてくれている。
 場を支配しようとする男に辟易としていたエディナにとって会話の主導権を握れることは心地よかった。

「最近の街は物騒なのかしら」

「そうでもないですね」

「そう? でも知らないところに危険はいっぱいあるのでしょう?」

「まあ、ないと言えば嘘になりますが。お金もいつの間にかウェブマネーになって現金を持ち歩く人も減りました。指紋認証がないと使えないからそれを狙う強盗も減りましたね」

「やりがいが減っちゃた?」

「いや……まあ。それが寂しいと言えば怒られるかもしれませんが……」

「あら、武闘派なのかしら」

「いいえ、暴力は肯定しませんが……」

 ジムの頭に日常が浮かんで満たされない自分に想いを馳せる。

「電子化の進んだ未来になるとは思っていましたがこんなにも速いとついていけなくて。これまでの自分の仕事はまあ力づくの仕事でしたから。それがなくなるとどうしたものかと……」

「へえ、世の中が変わって便利になっても困る人はいるのねぇ」

「社会には良い傾向なのですが最近はあまり考えないようにしています」

「出番がないことが良いってのもツラいお仕事ね」

 エディナは自分の裕福さの裏で悩んでいる人がいることを知った。
 ウェブマネーやネット決済などの基盤を作って財を成した父n後ろ姿が過ぎる。
 仕方ないと言えばそれまでなのだけどと口にしてはいけないと噤んだ。

 エディナはカプチーノの泡を見ながら「でも、ほら。この泡みたいになくなってしまうってことはないんでしょ?」と囁いた。
 泡は踊りながらくるくると周り弾けて消えるものもあればしぶとくフチに残るものもあった。
「しがみついているのは俺か」とジムは苦笑いをする。

 するとほのかに香水の香りがしてきた。
 気づいて顔を上げるとすぐそばに同じようにカップをのぞき込むエディナの顔があった。
 ジムは至近距離で女性の顔を見て硬直する。
 エディナも泡に飽きて顔を上げると唇が届きそうな距離にジムの顔があった。
 ふたりはじっと見つめ合い無言の時間が過ぎていく。

 エディナはジムの木訥さに曳かれジムはエディナの積極性に曳かれていく。
 絡まる視線の先で心と心が溶け合うような感覚が支配する。
 ふたりはしばし沈黙を噛みしめる。
 雄弁な瞳は心の泡の弾ける音を喝采だと誤認識しているようだった。

*****

 違和感が確信に変わるとき心は純粋さを取り戻す。
 純粋さは時に残酷で時間を止めて悪戯をする。
 眼下の運命を憂いて老人は呟く。
 永遠は妥協と忍耐を強いる。彼らの試練が始まった、と。

(第10話につづく)
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