第38話 聖夜に蒔かれた雪まじりの種
文字数 1,663文字
イヴの午後、ジム不在の分署は慌ただしかった。
ジャスティンとコトリーは相変わらず署長室で秘密の会議に明け暮れている。
署員は横目でそれを見ながら深まっていく謎に苛立ちを見せていた。
今日に限って私服の出入りが過剰、署長の顔色を窺っても目を逸らすだけ。
聞けば私服は本署からの要請で応援に来ていると言う。
不愛想な私服の態度、管轄のプライドが交錯して飲み込まなければならない現実だけが漂う。
彼らの口元を凝視して得られる情報に品などありはしない。
彼らが呼ばれた訳。
それはミュージアムホールへの潜入捜査のためだった。
チケットは確保できず満席のホールに入れるわけもない。
それでもジャスティンは藁をも掴む気で号令を掛けた。
昨日、ジャスティンはホールに出向き支配人と話をつけていた。
今夜のことを打診し、人相の悪い客に目を瞑って欲しいと懇願する。
支配人は「何か予告でもあったのか」と心配したが、「誓ってそんなものはない。安心してくれ」と念を押す。
それだけで懸念が消える訳もなかったが「我々の獲物が現れる可能性があるから網を張らせてほしい」と願い入れた。
「ホールでご用は勘弁ですよ」と支配人は笑う。
「大丈夫。必要なら外で任意同行させるから」とジャスティンは答えた。
「まだ何かが起こっているわけでも繋がっているわけでもない。相手の次の手を眺めにいくだけさ」と嘯く。
支配人はそのジャスティンの微笑に懸念を封印して委ねることにした。
そんなジャスティンの思惑にコトリーは不服だった。
「クラシックには無縁だ」と自虐を見せても「教養は見た目に影響するからな」とからかう。
できるだけ秘密裏に行いたいこともあって渋々着慣れないタキシードに袖を通すことになった。
不格好なサンドイッチのような体型。
現実直視を避けた数十年が腹回りで年輪に育っていた。
そんな話が進んでいるとは露知らず署員は想像に躍起になる。
本署の私服も情報漏洩はご法度。
同僚の関与が疑われる中で制服組への周知は動揺を生んで足枷になるだろう。
疑惑は瞬間に伝播する。
心を押さえ込めるだけの鍛錬など期待できるはずもない。
そしてジャスティンにはある懸念があった。
今回の動きによってそれを炙り出したい。
まだ胸の内に燻るだけのもの。
煙を形に変えるには種を蒔かなければならない。
ある程度作戦会議がまとまった後、ジャスティンとコトリーは分署を後にする。
それに続いて本署私服が連れ出て行った。
その様子を眺めた後、署員は一斉に署長室を睨みつける。
署長は深くため息をついて「だろうね」と呟いた後、観念して標的に甘んじた。
「まあ……、いろいろとあるがな。今日に関しては説明はナシだ。明日以降に何らかの形で報告するから」
「ええ! なんですか、それ!」
「納得いかないですよ!」
「気持ちは分かるが今日は堪えてくれ」
「管轄内でどうして!」
「すまんが言えん。ああ、それと今夜はミュージアムホールで大規模なコンサートがあるから付近の道路の交通整理に重点を置いてくれ。切符は切らなくて良い。渋滞を緩和させることが目的だから。以上!」
署長はそう言うと俯いたまま署長室に戻った。
こそこそと副署長が後に続き手払いで煙に巻く。
こうなるともう打つ手はない。
署員は小言を言いながら支度を始めるしかなかった。
決められた配置図に従ってサイレンが縦横無尽に拡がっていく。
今夜は隣接都市からのゲストも多い。
雪予報がさらに署員の士気を落としていく。
ドップラーが雪に溶けていく。
轍が闇を刻み、月明かりは歪んで消えた。
*****
事件を巡っていくつもの思いが交錯する。
すべての思いが揃ったその隙にきっと悪魔がいるのだろう。
私服の行方を目で追いながら老人は呟く。
目的が不明瞭なときほど隙は多い、と。
(第39話につづく)
ジャスティンとコトリーは相変わらず署長室で秘密の会議に明け暮れている。
署員は横目でそれを見ながら深まっていく謎に苛立ちを見せていた。
今日に限って私服の出入りが過剰、署長の顔色を窺っても目を逸らすだけ。
聞けば私服は本署からの要請で応援に来ていると言う。
不愛想な私服の態度、管轄のプライドが交錯して飲み込まなければならない現実だけが漂う。
彼らの口元を凝視して得られる情報に品などありはしない。
彼らが呼ばれた訳。
それはミュージアムホールへの潜入捜査のためだった。
チケットは確保できず満席のホールに入れるわけもない。
それでもジャスティンは藁をも掴む気で号令を掛けた。
昨日、ジャスティンはホールに出向き支配人と話をつけていた。
今夜のことを打診し、人相の悪い客に目を瞑って欲しいと懇願する。
支配人は「何か予告でもあったのか」と心配したが、「誓ってそんなものはない。安心してくれ」と念を押す。
それだけで懸念が消える訳もなかったが「我々の獲物が現れる可能性があるから網を張らせてほしい」と願い入れた。
「ホールでご用は勘弁ですよ」と支配人は笑う。
「大丈夫。必要なら外で任意同行させるから」とジャスティンは答えた。
「まだ何かが起こっているわけでも繋がっているわけでもない。相手の次の手を眺めにいくだけさ」と嘯く。
支配人はそのジャスティンの微笑に懸念を封印して委ねることにした。
そんなジャスティンの思惑にコトリーは不服だった。
「クラシックには無縁だ」と自虐を見せても「教養は見た目に影響するからな」とからかう。
できるだけ秘密裏に行いたいこともあって渋々着慣れないタキシードに袖を通すことになった。
不格好なサンドイッチのような体型。
現実直視を避けた数十年が腹回りで年輪に育っていた。
そんな話が進んでいるとは露知らず署員は想像に躍起になる。
本署の私服も情報漏洩はご法度。
同僚の関与が疑われる中で制服組への周知は動揺を生んで足枷になるだろう。
疑惑は瞬間に伝播する。
心を押さえ込めるだけの鍛錬など期待できるはずもない。
そしてジャスティンにはある懸念があった。
今回の動きによってそれを炙り出したい。
まだ胸の内に燻るだけのもの。
煙を形に変えるには種を蒔かなければならない。
ある程度作戦会議がまとまった後、ジャスティンとコトリーは分署を後にする。
それに続いて本署私服が連れ出て行った。
その様子を眺めた後、署員は一斉に署長室を睨みつける。
署長は深くため息をついて「だろうね」と呟いた後、観念して標的に甘んじた。
「まあ……、いろいろとあるがな。今日に関しては説明はナシだ。明日以降に何らかの形で報告するから」
「ええ! なんですか、それ!」
「納得いかないですよ!」
「気持ちは分かるが今日は堪えてくれ」
「管轄内でどうして!」
「すまんが言えん。ああ、それと今夜はミュージアムホールで大規模なコンサートがあるから付近の道路の交通整理に重点を置いてくれ。切符は切らなくて良い。渋滞を緩和させることが目的だから。以上!」
署長はそう言うと俯いたまま署長室に戻った。
こそこそと副署長が後に続き手払いで煙に巻く。
こうなるともう打つ手はない。
署員は小言を言いながら支度を始めるしかなかった。
決められた配置図に従ってサイレンが縦横無尽に拡がっていく。
今夜は隣接都市からのゲストも多い。
雪予報がさらに署員の士気を落としていく。
ドップラーが雪に溶けていく。
轍が闇を刻み、月明かりは歪んで消えた。
*****
事件を巡っていくつもの思いが交錯する。
すべての思いが揃ったその隙にきっと悪魔がいるのだろう。
私服の行方を目で追いながら老人は呟く。
目的が不明瞭なときほど隙は多い、と。
(第39話につづく)