第41話 恰幅の紳士は神様の使いなのか

文字数 2,639文字

 様々な思惑が蠢き訳ありの視線が交錯する。
 外様の意思を知る由もないまま、ジムとエディナは通路に出た。
 ホール内とは違ったきらびやかな照明。
 深めの絨毯にエディナのヒールが埋もれ、ジムのぎこちないエスコートに身を委ねている。
 エントランスはまだ人で溢れ、それを見たジムは「もう少し、ここで待ちましょうか」とソファに目配せをした。

「そうね。それにしても歩きづらい」

 エディナがよろけるようにソファに手をついて座るとふたりの指の絡まりがすっと解けた。
 ジムもその隣で前のめりに座った。
 余韻と興奮と混乱。
 ふたりの心は逸り、意識を支配しているものの正体を模索している。

 ふたりは無言のままホールの壁を眺めた。
 コンサートのポスターが綺麗な額縁に飾られている。
 ジムはそれをじっと眺めながら彼女が来た理由をはっきりとさせたかった。
 同じ経験をして、誰かを探しにここに来たのだろうか。
 それとも偶然居合わせただけなのだろうか。
 深みに嵌れば嵌まるほどエディナを探す時間も消えてしまう。

 ジムはふたりの女性の存在に困惑する。
 夢の中で知り会ったエディナと、現実に目の前にいる名も知らぬ女性。
 エディナに会う目的でここに来たのに。
 それでもこの女性を見捨てられないのは脳裏に浮かぶ違和感のせいだ。

 エディナも同じように壁を見つめた。
 吐息混じりの荒い呼吸。
 エディナもまたジムに聞きたいことがあった。
 でも自分の偽りの姿しか知らない。
 どうすればいいのか。
 私はここにいるのよ。
 時折何かを探すように見渡すジムの横顔を見て心の中で呟くしかなかった。


 数分が過ぎた頃、エントランスの人だかりが徐々に消えていく。
 清掃も終わり次々にドアが締められていく。
 彼らが退去するとホール従業員がチェックに入っていく。

「そろそろ行きますか?」ジムは場の雰囲気に合わせるように口火を切る。

「そうね」

 ジムはそっと彼女の手を掴んでぎこちないエスコートを繰り返した。
 木訥さは現実でも同じねと、エディナの口元が少し緩んだ。
 冷や汗で濡れた額を拭いながら慣れない絨毯を踏みしめるジム。
 すると、前からひとりの恰幅の良い男性が近づいてきた。
 五十代ぐらいの男性が陽気な笑顔を振りまいている。

「やあ、ヴァンガードさんのお嬢さんじゃないですか」
 男のその言葉にふたりが硬直する。

 ジムは見知らぬ男が声を掛けてきたことに戸惑った。
 この女性を知るこの男は誰だ?
 お嬢さんってことはこの男の友人の娘なのか?
 新たな疑問が過ぎり混乱してきた。

「あら、スタッカートのおじさま。お久しぶりです」無視する訳にもいかずに咄嗟に返事をするエディナ。

 スタッカートはいかにもと言った表情で屈託のない笑顔を見せた。「奇遇なところで会うものですな」

「そうですね。おじさまはなぜここに?」

「ある秘密の会から招待を受けましてな」

「あら、偶然。私もよ」

「おや、お嬢様も危険がお好きですか?」

 ふたりのウィットに富んだ会話にジムは置いてけぼりだった。
 会話に入る隙もない。
 そして新たな情報が急襲し続け動機が昂り続ける。
 この女性もこの男も招待されてここに来た?
 ひょっとして同じ夢の発明の……。
 事実が脚色されないまま衝撃として募った。

「あなたがたも夢を見たのですか?」ジムはおそるおそる談笑の渦に身を委ねた。

「おや、君もかね。若いのに」スタッカートは気さくに笑った。

 ジムはそれぞれが同じ招待を受けたことを知る。
 だが誰も目当ての相手と一緒ではない。
 どう言うことだろう。
 そんな事を考えていると、ひとりの女性がスタッカートの腕を掴んで引いた。

「あなた、若い子が好きなの?」嫉妬に満ちた攻撃的な声だった。

「いや、違うんだよ。俺の友人の娘さんなんだよ」

 スタッカートは女性にエディナを紹介し始める。
 饒舌に話し出そうとするのを察して「おじさま、今日を大事に」とエディナは言葉を遮った。

「おお」戸惑うスタッカートが言葉に詰まる。

 女性はニコリと笑って「ご機嫌よう」と言って彼の手を引いた。「邪魔しちゃだめでしょ」

 スタッカートは女性の言葉に何かを思い出したようにとぼける。
 なおも振り向きながら愛嬌を振りまいていると、女性は軽く彼の頭を小突いていた。
 まるで旧知の仲のようだ。
 ふたりはそれを眺めながら手を振った。
 そして彼らが人混みに紛れると再び沈黙が訪れた。

 ジムは彼女の謎が少し解けたことに安心していた。
 だが途端にこの女性の相手のことが気になり出した。
 彼女を捜している男がどこかにいるのかも知れない。
 私といるところをその男が見つけたら。

 だが辺りを見回しても誰かを探してる人などいやしない。
 そして自分を捜す女性もいないことに気づく。
 ひょっとしたらこの女性といるところを見られて怒って帰ったのか知れない。
 女性に不慣れなジムの思考は時としてもっともネガティブなイメージを優先させてしまう。

 ジムが勝手な妄想に耽る頃、エディナは別のことを考えていた。
 きっと父にこのことがバレてしまう。
 今夜のパーティーに出なかったことで怒鳴り散らすだろう。
 そうなればもう二度とジムに会うこともできなくなる。
 父がジムを認めるはずがない。

 二人は無言の時間をそれぞれの暴走に身を委ねていた。

 しばらくした後、その暴走からエディナは身を引く。
 観念したのか、行き着いたのか。
 妙に晴れやかな神妙な面持ちでジムの手を握って言った。

「聞いて、ジム」

「えっ?」

 ジムは戸惑う。
 なぜこの女性は自分の名前を知っているのだ?
 覚悟に満ちた真剣な眼差しはジムの邪念を振り払っていく。
 吸い込まれそうな澄んだ瞳。
 ふたりの距離が急接近する。
 ほのかな香水がジムの五感を刺激した。
 デ・ジャヴだ、とジムは瞬間的に悟る。
 エディナは鼓動が落ち着くのを待ってゆっくりと話し始めた。

*****

 新芽が極寒に耐え、か細い命を繋ぎ始める。
 耐える時があるからこそ開く命はまばゆい。
 通路に佇む二人を眺めて老人はほくそ笑む。
 代償と違和感が交錯するとき命の源は復活する、と。

(第42話につづく)
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