第6話 嘘の代償

文字数 1,980文字

 エディナはそそくさと夕食を済ませて部屋に戻った。
 邪魔は勘弁と部屋の鍵をかけ普段は使わない厚手のカーテンを閉めた。
 テーブルの上の淡いランプだけが部屋を照らして揺れている。
 このランプの炎を眺めているとすっと眠りに入ることができた。

 習慣であり暗示。
 ランプの炎は燃料が尽きるまで燃え続けるが天井のファンのおかげで空気が澱むことはなかった。

 エディナはレースのネグリジェに着替えるとステレオから微かにクラシックの音を流した。
 聞こえるか聞こえないかの掠れた弦の音が部屋じゅうを駆けめぐる。
 エディナは逸る心を躍らせながらヘッドセットを両耳に掛けた。

 かすかなノイズ音が響く。
 遮断された世界で鼓動が揺らめいてそれらを掻き消していく。
 天井のファンに目をやるとそれはメトロノームの振り子のようだった。
 揺らめくランプの光がファンの影に命を与えている。
 エディナは視線をランプに移すとゆっくりと目を閉じた。

 エディナは浅い眠りに誘われていく。
 ゆらゆらと目の前の闇が揺れてきた。
 その先に見えた人影がまた同じように揺らめいてくる。
 そして揺らめきが落ち着いた頃、人影はゆっくりと深いお辞儀をした。

「ようこそ、エディナ様」

 いつもの老人だった。

「ここは夢の中でございますがこれから起こりゆく未来でもあります。データに偽りがない限りその導きは啓示されるでしょう。ここで起こる出会いはすべて現実に存在するものであります。もしも相思となる出会いがありましたら現実の世界でも出会うこととなりましょう」

 エディナは老人の言葉を聞いてゆっくりと頷いた。
 嘘偽りがなければ、がどれほどの事を言うのか不安ではあったが誤魔化したのは金銭の項目のみ自分の背景ではないと言い聞かせた。

「それではごゆっくりとお楽しみくださいませ」

 老人はそう言うとすっとどこかに消えていった。
 真っ黒な世界が急に白く瞬いた。
 エディナはそのまばゆさに思わず目を閉じた。
 そしてゆっくりと慣らすように目を開けていく。
 光に慣れて周りを見渡すとそこには現実と変わらない世界が広がっていた。

「嘘でしょ?」

 エディナは驚きを隠せないままふらふらと歩き出す。
 そこはエディナの住む世界のいつもよく行く服飾店の前だった。
 石畳のブロックの感触も少し煙ったような空気も同じだ。

 エディナはいつものお気に入りのショーウインドウをのぞき込む。
 するとそこにはつい先日見たばかりの服が飾られていた。
 時間軸も場所もこれまでの日常の延長のように思えた。

「これが夢の中? 未来なのかしら?」

 エディナは店の中にカレンダーがあったのを思い出す。
 カランと鈴を鳴らして店内に入るとそこにはいつもの店主と店員がいた。
 置かれている服や雑貨もこの前に見たものと同じだ。
 とても未来とは思えない。

 エディナはゆっくりと服の森を抜けてカウンターの方に歩いていく。
 顔なじみの店主は服の直しに夢中で下を向いたままだ。
 そのカウンター越しの棚の横に無造作にピンで止めてあるカレンダーを見つけた。
 カレンダーには2023年と書いてある。

「5年後? ずいぶんと近い未来ね」

 エディナはそう呟くと辺りをキョロキョロと見回す。
 5年後もこの店の品揃えは変わらないのかしらと訝る。

 エディナは再び服を掻き分けるように歩いて出口を目指すと顔なじみの女の店員と鉢合わせた。
 店員はエディナの顔をちらりと見て会釈をするとそのまま陳列の直しを続ける。
 いつもなら私の服を褒めてくれるのにと思いながらふと老人の言葉を思い出した。

「そう言えばここでは姿が違うとか……」

 エディナは試着室を探しその辺の服を適当に見繕って部屋に入った。
 服を無造作に台の上に置いてひと呼吸置いてからじっと鏡を見る。

 するとそこにはまったくの別人がいた。
 少し太めで顎が弛んでいる。
 目元もシワだらけで化粧も派手だった。

「これが私? そんな……」

 言葉を失ったエディナはそのままうずくまるように試着室にしゃがみこんだ。

「ひどい! 面影もなにもないじゃない!」

 エディナは荒れた息を整えると壁を伝って立ちあがる。
 そしてデータが作った私だからと言い聞かせるように再び自分の姿を眺めた。
 嘘の誤差としては受け入れがたいほどに醜い。
 こんな容姿で運命の出会いなんてあるものか。
 エディナは口元を結び自分を貶めた発明を呪った。

*****

 心の闇が見えるとき人は虚脱に奔走する。
 刻み重ねた皺は愚かなものではない。
 闇の中で老人はあざ笑う。
 心を直視できないものは心に弄ばれる、と。

(第7話につづく)
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