第81話 詩人が語る嗅覚の源泉

文字数 5,039文字

 ジャスティンの旧式が唸りを上げて本署のパーキングに滑り込んだ。
 ノートパソコンとタブレットの入った薄手のカバンを抱えて急ぎ足で中へと入っていく。
 ジャスティンはそのまま署長室に向かい事故の状況を報告した。
 そしてこの事故も殺人事件同様の特別捜査班で取り扱わせてほしいと進言する。
 彼の勢いと事故の状況を鑑みて、幹部等一同はそれを否定することもなく受け入れた。

 その時の彼の笑みは夢に出てきそうなほど不気味だったと誰かが嘯いた。


「これが一連の事件の流れだ。最重要容疑者のトムは死亡した。同じく同車同乗の交通課のレイ……、例のカーヴォンス出身の男も死亡が確認されたそうだ」
 ジャスティンの報告に捜査員の間にどよめきが走る。

「正直、今回の敵は一歩も二歩も上手だ。それにこちらの動きもきっちりと読まれている。それを防ぐ手立ては今のところない。柔軟な発想と行動で上回るしかない」

 ジャスティンは突き放すようにそう告げると椅子に座って足を組んだ。
 長机を挟んで注視していた捜査員は一同に手元の資料に耽ったり、ディスカッションを始めたりしている。
 その様子を眺めながらジャスティンはひとり長考に入った。

 発明との因果関係は立証できないが背景に関連事項は存在するはずだ。
 発明に参加した男は何らかの理由で殺されたがその理由は不明。
 殺された男はESCの元社員だが怨恨、転職を含んだ中での殺害要因が見当たらない。
 発明の中の世界、あるいは発明で出会った可能性のある、おそらくは女との間に何かが起きた可能性はある。
 その女の特定はほぼ不可能だろう。

 発明にはESCが関わっている。
 ひょっとしたら次世代に売り出す商品の研究かも知れない。
 その試験を娘と元社員を使って行った可能性はあるが、その結果を前にして意図的に出会いを仕組んだ可能性はある。
 もっともそれ自体に証拠もなく、違法性もない。

 ESCが世に台頭してきたと同時にカーヴォンス警備との業務提携が始まった。
 これも企業の自由活動のひとつであり、カーヴォンス警備自体に違法性はない。
 ただし、そこに所属するジョセフは普通の人間ではない。

 カーヴォンス出身の警備員が複数人警察に転職している。
 これにも違法性はなく、個人として問題のあった人間もいない。
 ただし分署火災の際になぜか全員無事だった。
 火災の前段階での不振な動きは察知しているが、完全に容疑を固めるような物的証拠は挙がっていない。
 また最重要人物のトムは秘密文書移送の際に死亡、同僚かつ同じカーヴォンス出身だったレイも死んだ。

 カーヴォンス出身者の死亡はこれが初めてだ。
 秘密文書移送中の警察用車両が何者かが運転するトレーラー3台に挟まれて潰されたと記録が上がっている。
 先導車、後方車2台が警護として出発したことが確認されているが公式の報告書にはそう言った記載はない。
 移送用トラック1台で出発したことになっている。


 ジャスティンは巡り迫る事実を整理しながら物思いに耽る。
「おかしい……。出発予定時刻を早めて出発している。しかも30分……。それに現場では先導車と後続の警備用パトカーが一緒に出発したとの目撃があるが報告書には記載されていなかった。捏造か? いや、まさか」

 ジャスティンの頭の中を積載過多の情報が交錯していた。
 現場を確認してきた言えども、焼け野原での傍観に過ぎない。
 それに、パトカー2台が同時に出発したという目撃だけではそれが本当に要請された警護だったのか偶然出庫したのかもわからない。
 だが、慣例として、このような移送を単独で行うというのはありえない。

「やはり報告書の方に意図が隠されているような気がする。この書類が受理されるというのは俄には考えにくい」

 ジャスティンはそう呟くと、「この移送書類の受理の背景を調べてくれ」とランハルトに告げた。

「さっき上がってきたばかりですが……」

「鵜呑みにするな。作成者と受理者に直接確認を取れ。こんな書類をでっち上げることは誰だって可能だ」

「わかりました。でも、なぜ……」

「頭を働かせろ。移送車が単独行動で、しかも出発予定を繰り上げて走っている。これに疑問を持たないのか?」

「す……、すみません」

「いいか、単純なところに最も重要なヒントはあるんだ。常識を疑え。慣例を疑うんだ!」

「はい!」

 ランハルトを含めた捜査員が自分のことのように一斉に返礼した。
 ランハルトは小走りに部屋を出る。
 報告は小一時間もあれば入ってくるだろう。
 だがジャスティンにはそれをじっと待っている余裕はない。
 他にも目を通さなければならない報告が堆く積まれている。
 その中に何か手がかりがあるかもしれない。
 ジャスティンはとても諦めの悪い男で、こう言う逆境になると口元が緩む癖があった。


 資料を読み耽っていると妙な違和感がジャスティンを貫いた。
 それは電脳捜査課の出向許可証だった。
 日付は分署火災の日で行き先は本署だ。

「あの日の、たしか前日に急遽発行されて承認されたやつか……。オンラインで情報をやり取りしている部署にしては珍しい」

 その届けをよく読むと出向依頼は本署ではなく分署発のもので、承認決済は分署副署長のサインがあった。
 出向内容は「地域オンライン環境の適合」とイマイチよくわからない言葉が並んでいる。
 チーム全員を本署に出向かせるほどの内容なのだろうか。
 ジャスティンは何となく気になって、近くにいたウィッシュに声を掛けて書類を見せた。

「出向許可証ですか……」

「何となくおかしいと思わないか?」

「電脳捜査課にしては珍しい行動ですね。目的は相変わらずよくわかりませんが……」

「問い合わせてみてくれないか?」

「構いませんが、あそこにも例の……」

「ああ、そうだったな。構わん、揺さぶりにもなるだろう」

「了解しました」

「それと……」ジャスティンは一枚の名刺を見せる。
 そこには「電脳捜査課マクガイン」と刻まれていた。

「この男とふたりで話せ」
 指示を受けてウィッシュはコクリと頷く。
 彼はジャスティンが手腕を買うニューエイジ、大学で博士課程まで行った秀才だ。
 父は警察官僚で色々と話題の尽きない男だった。


 ウィッシュは本署電脳捜査課に出向いた。
 厳重なロックの掛かったドアにたどり着きインターホンを鳴らす。
 ほどなくLEDのライトが光った。
 カメラが作動する音が聞こえる。

「捜査課のウィッシュです。マクガインさんに会いたいのですが……」

「ああ、俺だけど、君は誰?」

「ジャスティン警部の……」ウィッシュがそう言い掛けると不意に扉が開いた。

「こっちだ」

 そこにはボサボサ頭を掻きながら手招きをする白衣の男がいた。
 ウィッシュは導かれるままに彼の後をついていく。
 そして部屋の隅にあるラウンジスペースに招かれた。
 ウィッシュはそこで出向許可証を見せてこの内容と経緯を訊いた。

「どうです? 覚えてませんか?」

「ああ、覚えているよ。これは定期的に行われる会合だ。各分署のデータを送受信して双方向で共有した後、それを元に分析をするんだ。まあ、わかりやすく言うと……」

 突然ウィッシュの耳元で囁くように、「インターネット上のデータ送受信の情報量管理ってやつさ。誰と誰がどんな情報をやりとりしてるとか、そんなやつ。でも、これは極秘任務なんだぜ」と言った。

「なぜ?」

「だって警察が個人のデータ送受信をも監視しているってことだよ。法人も含めて。もっとも内容ではなく情報量だけだからプライバシーの保護はあるけどね」

「それで何が分かるのですか?」

「不正なデータのアップロードやダウンロードは手に取るようにわかる。あとはきな臭い情報のやりとりも見えるときがある」

「例えば?」

「そうだな……、例えば個人と法人の間での情報のやりとりってどんなものがあると思う?」

「えっ? 個人と法人?」

「そう、じゃあ君が本署とデータの送受信をするときを想定すればいいよ」

「そうですね……、本署管理のデータをタブレットで閲覧するとか、そんなことかな」

「それだよ、ご名答。と言うことはだね。その個人と法人間には基本的には雇用の関係が存在するはずなんだ。でも、そうじゃない関係なのにそんな送受信があったらどう思う?」

「まさか……」

「そうハッキングだよ。情報漏洩を目的としたハッキング。これが真っ先に疑われる。基本、雇用関係でのモバイル送受信は認証しあっていて、それはオンライン上では同じ端末内での送受信扱いになる。ただしそう言った認証が見られないまったくの別の回線からの送受信も極稀にあるんだ。それを摘発するために集中させた情報を共有させるんだよ。ただし、IDやパスワードを盗まれてのダウンロードはお手上げだがね」

「それがこの集まり?」

「そう。情報はデジタルだが、こう言った秘密資料は別媒体……、そうだなロムとかカードとか外部から進入されないアナログ的なものに保管されている。それを受け取る意味もある」

「それは我々一般捜査官では入手できない情報ってことですか?」

「そうだよ。閲覧には許可がいるし、我々電脳捜査課の管理の元でしか閲覧はさせられない」

「そうですか……。それで少し話は変わるのですが……」

 ウィッシュはここに来た目的を思い出す。
 ジャスティンはあの場所では明言しなかったが、彼の違和感はこの承認日にあるはずだと感じていた。
 出向自体におかしなところはない。
 それでも感じる違和感の正体はこの日付に他ならない。

 ウィッシュは彼の耳元で、「この日に急遽決まったのはなぜ?」と訊いた。

「さてね、それはわからん。ウチにも前日に出向届けが来たからね。他の分署も苦労したんじゃないの? 前日だったっけかな」

「いつも急に決まる? そんなことはないでしょう?」

「当然だよ。スケジュールはあらかた決まっているはずだぜ。でも、あの時は予定日に外せない任務が入ったとかで前倒しを要求してきたようだ」

「へぇ……」

「もっともほとんどが署に籠もっている連中ばっかりだし、主任以上の責任者が休みでなければ問題ないからね。その日の内に情報送受信を受けて完徹で照合させたよ」

「そうですか、ありがとうございます」ウィッシュは訊きたいことを聞けて満足そうな顔を見せる。

 そして挨拶をして去ろうとすると引き留められるように腕を掴まれた。

「分署のオズワルトに要注意だ。このことはジャスティンに直に話せ。メールは見られているからな」

 ウィッシュの表情が変わる。
 マクガインは1枚のA4サイズの用紙を彼に見せた。
 それはウィッシュが恋人に宛てたメールだった。

「えっ?マジですか?」

「マジだよ。個人間でもこれぐらいは常識だよ。法人内のネットワークなんて、中に入ればそこには透明な湖が広がっているようなものだぜ」

「詩人ですか……」

「よせよ。おまえのほうが詩的センスあるぜ」

「やめてくださいよ」

 情緒たっぷりの表現に満ちたメールを指さしてマクガインは笑った。

「それにしてもおまえ、趣味がいいな」

「訴えますよ、もう」

「はは、それはご勘弁。じゃあな、ジャスティンによろしく」

「はい、ありがとうございました。ところであの人との関係は?」

「なあにただの友人だよ。ただのね」

 意味深な言葉とその表情にウィッシュは察知する。
 そして、そそくさと部屋を出てジャスティンの元へと戻った。


 部屋に戻るとジャスティンは資料に耽って怖い顔をしたままだった。
 ウィッシュは傍に行ってマクガインの言葉と出向時の経緯を伝える。
 ジャスティンはニヤリと笑い、そして「ご苦労」と言って資料に戻っていった。

*****

 その透明は存在を消してくれる。
 さながら湖に浮かぶボートのように。
 本署のラウンジで新聞を読みながら老人は呟く。
 チェックメイトの号令が激しすぎたようだな、と。

(第82話につづく)
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