第70話 白昼を弄ぶ地獄の劫火
文字数 3,274文字
静かな部屋に小声が響く。
数人の男が何かを運び出しているようだ。
人気のない午後を見計らって実に大胆な動きを見せている。
二階の奥の、倉庫らしき小屋から運び出された銀色の缶。
大の大人が両手で抱えて運んでいる。
同じものを何個も、ウインドブレーカーに身を包んだ黒ずくめの男たちがそこから持ち出していた。
その後男たちはそれらを建物の柱の死角になるところに置いていく。
置かれていてもただの缶にしか見えず、ありふれた備品にも見えて違和感はなかった。
ただ同じものがいくつもその建物の端々にあるのは奇妙だ。
男たちはそれを置き終わると再び静かな部屋に戻っていく。
そこから今度はコイルのような導線の束を担いできた。
また別の男は小さな機械を持って散らばり、それは缶の陰に設置されていった。
磁石がついているのだろうか。
付ける際にバチっと音がして男は周囲に注意を払っていた。
コイルを担いだ男たちは柱の陰や天井に大きなホッチキスのようなものでそれらを打ち付けて伸ばしていく。
そしてその先端をそれぞれの缶につけた機械に繋いでいく。
実にスムーズな仕事だ。
彼らは声を発することも合図を送ることもなくそれらの作業をものの数分で行った。
そしてまた静かな部屋に消えていった。
その頃、エディナとアンナは玄関をくぐり署内に入ってきていた。
エントランスは広々としていて、役所のようなカウンターがフロアーの真ん中に真横に延びていた。
カウンターで隔たれたその向こうには綺麗に区画整理された大きめのパーテーションがいくつかのブロックを作っている。
そのブロックの中にも低めのパーテーションが立ち並び、そのひとつひとつにデスクがあった。
まるでチェス盤のような肌理の細かさは設計者と管理者の繊細さを思わせた。
アンナは一望してフロアを眺める。
どこに行けばいいのかしらという素振りを見せながらトコトコと歩いていく。
署内の案内板を玄関の右側に見つけるとそれを凝視する仕草を見せた。
エディナもアンナに隠れるように進んで入り、同じように案内板を眺める。
「ここがここね。で、ジムは交通課だったわね。さすがに詳しくは書いてないけど、この辺が怪しいわね……」
アンナはブツブツと小言を言いながらジムのいる部署を探す。
案内板に書かれてあるのは市民が必要とする部署だけ。
遺失物の届出など大まかなことは眼前のカウンターで事が済むようだった。
アンナはフロアーの真ん中あたりで制服と私服に分かれているのに気づいた。
「エディナさん。たぶん左が刑事課よ。そして、右の制服のエリアが交通課ね」
「なんでそんなことわかるんですか?」
「なんとなくだけど、一般的な部署は一階って相場が決まってるでしょ。それにほら、二階への階段は奥にしかないし、一般の人が立ち入るのはこのフロアーだけのようだから……」
「そうね……。道案内とか落とし物とかならこのフロアーかもしれない。でも、ずっとここで何もしないで見てたら怪しまれる」
「ふふ……、とりあえず落とし物をしたってことであのカウンターに行ってみるわ。パーテーションの隙間からじっと探しなさい」
アンナはメインカウンターに向かい落とし物が届いていないかと嘯く。
名前と連絡先を書類に記載して、どこで何を落としたのかを詳細に伝えていく。
カウンターの女性警官は丁寧にアンナの応対をしていた。
エディナはアンナの後ろに身を隠しながら奥のパーテーションをじっと物色していた。
「どうかしました? 後ろの人?」
視線に気づいたのか女性警官は突然声を掛けた。
エディナは焦りながら「いや。警察なんて珍しくて……、つい」と答えた。
女性警官は笑いながら「ここで物色してもロクな男はいないわよ」と言う。
エディナは見抜かれたかと思いながら「そんなんじゃないですよ」とごまかした。
「じゃあ、見つかれば連絡を入れます。さすがにネックレスとか高級なものになると難しいかと思いますが……」
「わかってます。無理を承知で。母の形見なものですから」
「わかりました。それではこれは控えですので取りにくるときには忘れずにお持ちください。見つかれば遺失物係から連絡が入ります」
「ありがとう。お願いしますね」
アンナはそう言うとお辞儀をしてカウンターを離れる。
振り返ると背伸びをして奥を見ている間抜けなエディナがいた。
「あなた、ヘタクソね」アンナはそう言うとエディナの腕を掴んで引きずっていく。
「アンナさん、まだ……」
「あんた、目立ちすぎよ」アンナは振り返ることもなくエディナを引き連れていった。
その時だった。
ボン!! ボン!
何かが爆発する音がした。
咄嗟にふたりは地面に伏せる。
フロアーの両端のガラスが連続した爆発音とともに割れていく。
方々から悲鳴が聞こえ、天井のライトを覆うように砂塵と煙が舞い上がった。
「逃げなきゃ!」
アンナはエディナの手を取って立ち上がろうとする。
だがエディナを動かせない。
逃げようとする市民が伏せたエディナの上に倒れてきたからだ。
「エディナさん!」
アンナの叫びにエディナの声が返ってこない。
アンナは必死でエディナの腕にしがみつく。
だが握り返す力が徐々に抜けてくるのを感じていた。
手を離してはダメだ。
必死に指を絡めて引き寄せようとする。
だがアンナを弾くように怒濤を為した市民が殺到する。
その度に体はのけぞり腕や肩に痛みが走った。
「落ち着いてください!」
煙のどこからか声が聞こえる。
女性の声だ。
おそらくは警察官の声だろう。
それでもその声を掻き消すように爆発音は等間隔に続いた。
連鎖的、それは移動しているように聞こえる。
その音の度に天井から土埃が落ちて辺りを覆い隠していった。
そして、黒煙の中から赤いゆらめきがどんどんと広がっていく。
「火事? 燃えてる!」
アンナが顔を起こしてゆらめきを見つめた。
それを見た市民がまた玄関に向けて殺到する。
その人の流れを止めることも誘導することもできない。
火の手がどんどんと広がってフロアーの両端を赤く染めていった。
カーテンが燃えているようだ。
火が炎に変わってくる。
赤いゆらめきがはっきりと炎だとわかるほどにフロアーを照らしていた。
その時、不意にアンナの手が滑った。
そしてその勢いのままにアンナは人の流れに翻弄されていく。
そこにエディナがいるのに……。
アンナは抵抗できぬまま署外へと放り出されてしまった。
署外には煙を吸って咳込んだ大勢の人が倒れ込んでいる。
市民だけでなく多くの警官ももがき苦しんでいた。
煙まみれのアンナは黒煙を上げて燃え上がる警察署をぼおっと眺めている。
この中にエディナがいる。
でも、自分にはどうすることもできない。
ジムもこの中にいるんだろうか。
アンナの心にいくつもの処理しきれない現実と抑えようのない感情が交錯していく。
「エディナさん……。エディナ……。ここで待ってはいられない!」
アンナは再び署内に戻ろうとする。
だが玄関は人だかりで溢れかえっていた。
弾き飛ばされるようにアンナは地面に叩きつけられた。
どこからともなくサイレンが聞こえてくる。
通報を受けて消防車が向かっているのだろう。
アンナは急に力が抜けてその場に座り込んだ。
どうか無事でいて。
アンナは神に祈らずにはいられなかった。
*****
業火は魂をも燃やし尽くす。
所業の結末に神がもたらした罰なのだろうか。
地獄絵図の喧噪を眺めながら老人は呟く。
地獄の炎は天を目指す龍の如く。すべての希望を餌にする、と。
(第71話につづく)
数人の男が何かを運び出しているようだ。
人気のない午後を見計らって実に大胆な動きを見せている。
二階の奥の、倉庫らしき小屋から運び出された銀色の缶。
大の大人が両手で抱えて運んでいる。
同じものを何個も、ウインドブレーカーに身を包んだ黒ずくめの男たちがそこから持ち出していた。
その後男たちはそれらを建物の柱の死角になるところに置いていく。
置かれていてもただの缶にしか見えず、ありふれた備品にも見えて違和感はなかった。
ただ同じものがいくつもその建物の端々にあるのは奇妙だ。
男たちはそれを置き終わると再び静かな部屋に戻っていく。
そこから今度はコイルのような導線の束を担いできた。
また別の男は小さな機械を持って散らばり、それは缶の陰に設置されていった。
磁石がついているのだろうか。
付ける際にバチっと音がして男は周囲に注意を払っていた。
コイルを担いだ男たちは柱の陰や天井に大きなホッチキスのようなものでそれらを打ち付けて伸ばしていく。
そしてその先端をそれぞれの缶につけた機械に繋いでいく。
実にスムーズな仕事だ。
彼らは声を発することも合図を送ることもなくそれらの作業をものの数分で行った。
そしてまた静かな部屋に消えていった。
その頃、エディナとアンナは玄関をくぐり署内に入ってきていた。
エントランスは広々としていて、役所のようなカウンターがフロアーの真ん中に真横に延びていた。
カウンターで隔たれたその向こうには綺麗に区画整理された大きめのパーテーションがいくつかのブロックを作っている。
そのブロックの中にも低めのパーテーションが立ち並び、そのひとつひとつにデスクがあった。
まるでチェス盤のような肌理の細かさは設計者と管理者の繊細さを思わせた。
アンナは一望してフロアを眺める。
どこに行けばいいのかしらという素振りを見せながらトコトコと歩いていく。
署内の案内板を玄関の右側に見つけるとそれを凝視する仕草を見せた。
エディナもアンナに隠れるように進んで入り、同じように案内板を眺める。
「ここがここね。で、ジムは交通課だったわね。さすがに詳しくは書いてないけど、この辺が怪しいわね……」
アンナはブツブツと小言を言いながらジムのいる部署を探す。
案内板に書かれてあるのは市民が必要とする部署だけ。
遺失物の届出など大まかなことは眼前のカウンターで事が済むようだった。
アンナはフロアーの真ん中あたりで制服と私服に分かれているのに気づいた。
「エディナさん。たぶん左が刑事課よ。そして、右の制服のエリアが交通課ね」
「なんでそんなことわかるんですか?」
「なんとなくだけど、一般的な部署は一階って相場が決まってるでしょ。それにほら、二階への階段は奥にしかないし、一般の人が立ち入るのはこのフロアーだけのようだから……」
「そうね……。道案内とか落とし物とかならこのフロアーかもしれない。でも、ずっとここで何もしないで見てたら怪しまれる」
「ふふ……、とりあえず落とし物をしたってことであのカウンターに行ってみるわ。パーテーションの隙間からじっと探しなさい」
アンナはメインカウンターに向かい落とし物が届いていないかと嘯く。
名前と連絡先を書類に記載して、どこで何を落としたのかを詳細に伝えていく。
カウンターの女性警官は丁寧にアンナの応対をしていた。
エディナはアンナの後ろに身を隠しながら奥のパーテーションをじっと物色していた。
「どうかしました? 後ろの人?」
視線に気づいたのか女性警官は突然声を掛けた。
エディナは焦りながら「いや。警察なんて珍しくて……、つい」と答えた。
女性警官は笑いながら「ここで物色してもロクな男はいないわよ」と言う。
エディナは見抜かれたかと思いながら「そんなんじゃないですよ」とごまかした。
「じゃあ、見つかれば連絡を入れます。さすがにネックレスとか高級なものになると難しいかと思いますが……」
「わかってます。無理を承知で。母の形見なものですから」
「わかりました。それではこれは控えですので取りにくるときには忘れずにお持ちください。見つかれば遺失物係から連絡が入ります」
「ありがとう。お願いしますね」
アンナはそう言うとお辞儀をしてカウンターを離れる。
振り返ると背伸びをして奥を見ている間抜けなエディナがいた。
「あなた、ヘタクソね」アンナはそう言うとエディナの腕を掴んで引きずっていく。
「アンナさん、まだ……」
「あんた、目立ちすぎよ」アンナは振り返ることもなくエディナを引き連れていった。
その時だった。
ボン!! ボン!
何かが爆発する音がした。
咄嗟にふたりは地面に伏せる。
フロアーの両端のガラスが連続した爆発音とともに割れていく。
方々から悲鳴が聞こえ、天井のライトを覆うように砂塵と煙が舞い上がった。
「逃げなきゃ!」
アンナはエディナの手を取って立ち上がろうとする。
だがエディナを動かせない。
逃げようとする市民が伏せたエディナの上に倒れてきたからだ。
「エディナさん!」
アンナの叫びにエディナの声が返ってこない。
アンナは必死でエディナの腕にしがみつく。
だが握り返す力が徐々に抜けてくるのを感じていた。
手を離してはダメだ。
必死に指を絡めて引き寄せようとする。
だがアンナを弾くように怒濤を為した市民が殺到する。
その度に体はのけぞり腕や肩に痛みが走った。
「落ち着いてください!」
煙のどこからか声が聞こえる。
女性の声だ。
おそらくは警察官の声だろう。
それでもその声を掻き消すように爆発音は等間隔に続いた。
連鎖的、それは移動しているように聞こえる。
その音の度に天井から土埃が落ちて辺りを覆い隠していった。
そして、黒煙の中から赤いゆらめきがどんどんと広がっていく。
「火事? 燃えてる!」
アンナが顔を起こしてゆらめきを見つめた。
それを見た市民がまた玄関に向けて殺到する。
その人の流れを止めることも誘導することもできない。
火の手がどんどんと広がってフロアーの両端を赤く染めていった。
カーテンが燃えているようだ。
火が炎に変わってくる。
赤いゆらめきがはっきりと炎だとわかるほどにフロアーを照らしていた。
その時、不意にアンナの手が滑った。
そしてその勢いのままにアンナは人の流れに翻弄されていく。
そこにエディナがいるのに……。
アンナは抵抗できぬまま署外へと放り出されてしまった。
署外には煙を吸って咳込んだ大勢の人が倒れ込んでいる。
市民だけでなく多くの警官ももがき苦しんでいた。
煙まみれのアンナは黒煙を上げて燃え上がる警察署をぼおっと眺めている。
この中にエディナがいる。
でも、自分にはどうすることもできない。
ジムもこの中にいるんだろうか。
アンナの心にいくつもの処理しきれない現実と抑えようのない感情が交錯していく。
「エディナさん……。エディナ……。ここで待ってはいられない!」
アンナは再び署内に戻ろうとする。
だが玄関は人だかりで溢れかえっていた。
弾き飛ばされるようにアンナは地面に叩きつけられた。
どこからともなくサイレンが聞こえてくる。
通報を受けて消防車が向かっているのだろう。
アンナは急に力が抜けてその場に座り込んだ。
どうか無事でいて。
アンナは神に祈らずにはいられなかった。
*****
業火は魂をも燃やし尽くす。
所業の結末に神がもたらした罰なのだろうか。
地獄絵図の喧噪を眺めながら老人は呟く。
地獄の炎は天を目指す龍の如く。すべての希望を餌にする、と。
(第71話につづく)