第26話 遠ざかる未来に雪が降る

文字数 3,914文字

 ジムが署に着くとフラッシュの閃光が辺りを照らしていた。
「俺に何を聞くんだ」とばかりに人混みを押しやって中に入る。
 署員の雑談も和気を失った冷静、張り詰めた空気が刺さる。

 道すがらずっと悩んでいたジムだったがこの空気を味わって迷いが断ち消えた。
 俺は警察官なんだ。
 事件解決が最優先、その為に何かを失っても笑い話になるはずだ。
 ジムは頃合いを見計らって署長室に出向こうと決めた。

 その日のスケジュールは聞き込みの再開と事務仕事、午後には動ける態勢になる。
 コトリーの動向はスケジュールボードを見る限り午前中・出向で午後はここで会議のようだ。
 彼が帰ってくれば署長室で密談が始まるだろう。
 その中でこれを投じてやる。
 ジムは発明の関連品を懐に隠し覚悟を滲ませた。

 聞き込みのペアはいつも通り同僚のトム、移動はパトカーで定期巡回と同時に行われる。
 日頃から彼が運転手でジムが聞き込みに回っていた。
 トムは評判が良くてコトリー他上役の運転手を任されることが多い。
 もっとも運転上手ではなく相槌が上手く喋りが達者と言う理由で重宝されている。

 しかし事件以来コトリーは自宅から本署に直行しているらしく頼まれることが減ったそうだ。
 ジャスティンの旧式が足代わりになっているが「乗り心地や運転を比べられても困るよ」とボヤいている。

 彼がペアだったことはジムにとっては幸運だった。
 コトリーのことをさりげなく聞けたからだ。
 彼はおしゃべり好きだから適当な相槌を打っておけば自然と話が盛り上がる。
 それが欠点でもあるがそのリズムはとても心地よい。

 ジムは交通課外勤なので刑事の捜査チームに加わることはない。
 コトリーのことは噂で聞く程度で直接話したことすらなかった。
 顔つきも怖いし苦手なタイプだ。
「尋問みたいになりそう……」不安だけが先走り、トムの話で楽観視して心の拠り所を探すしかなかった。
 

 午後になって外勤で終えたジムは凍えた体を暖めるためにコーヒーメーカーに直行した。
 ガタガタと震えながらホットコーヒーの暖が体を巡るのを待つ。
 署の奥に設置されたストーブでは外勤帰りの同僚が暖を奪い合っている。
 いつもながらストーブの回りの冬の光景はちょっと滑稽だ。

 ジムが暖を取っていると雪にまみれたコトリーとジャスティンが入ってきた。
 コートと帽子が白く染まっている。
 皆が驚き一斉に外を見ると灰色の空は一面大粒の雪に変わっていた。
 曇りガラスが雪景色を隠していて、玄関のドアが開く度に大粒の雪がエントランスに舞い込んでいる。

 ふたりは真っ直ぐに署長室を目指して歩いていく。
 コトリーは「お疲れ」と声を掛けて回るがジャスティンは帽子で表情を隠したまま。
 周りもお偉いさんが来たとばかりに硬くなって直立不動のまま通路を空けていた。

 そんな二人を目で追いながらジムはタイミングを窺う。
 今から署長室でミーティングがあるのだろう。
 それが終わって落ち着いてから入室しようか。

 ジムは横目で署長室のガラス張りを眺めながらデスクワークに入っていく。
 だが気が散ってなかなか進まず、手を休めては署長室を見つめた。

 それに気付いたのか「おい、あの制服」とジャスティンが呟いた。
 コトリーはジムをチラっと見て「知らん顔だ」と答えた。

「ああ、ジムか。交通課の外勤だよ」署長が気がかりにフォローを入れ「どうしました?」と尋ねた。

「さっきからやたらこっちを気にしているな」

「この部屋の様子を気にするやつはたくさんいますよ」

「その辺の野次馬とは少し違う」

「勘ってやつですか?」

「まあな。彼の視線には意志を感じる」そう言ってジャスティンはジムに視線を合わせた。

 ジムは驚いたが彼を見据え意思を投げやる。

 ジャスティンは口元を緩ませて「あいつを呼んでくれ」と言った。

「わかった」署長は内線で交換を呼び出し「ジムに署長室に来るように」と伝える。
 ほどなくジムの内線が鳴る。
 一呼吸置いてから受話器を取り「わかりました」とだけ答えて署長室へと向かった。


 ノックをして部屋に入ると底意地の悪そうな空気が弾けていた。
 ジムは怖じ気そうな心を奮い立たせて「例の封筒の件でお話ししたいことがあります」とだけ告げた。

「そうか。聞こう」ジャスティンはジムをソファに誘導し組んでいた足を解いた。

 ジムは大きく息を吐いて、懐に忍ばせた一式を応接用のテーブルの上に広げた。

「これで全部か?」ジャスティンは白手袋を填めて言う。

「はい。被害者の元にはなかったものも少々……」

 ジムはこれまでの流れを説明する。
 夢の中での出来事も大まかに話したがジャスティンは興味を示さない。

「ありがとう」ジャスティンはそう呟いて熟考を始める。
 捜査資料と照らし合わせて「被害者の所持品は2通の便箋だけだ。その2通目までに届いたのはこのヘッドセットとマイクロカードで間違いないのだな?」と訊いた。

「はい」

「彼に3通目が届かなかったのは何でだと思う?」

「さあ、もしかしたら出会いがなかったからではないでしょうか?」

「出会い……ねえ」ジャスティンは理解を超える内容に少々戸惑っている様子だ。

 ジムは補足説明と自身の推測を混ぜて話し出す。

「今はもう反応しませんがマイクロカードをパソコンに差すと執事みたいな老人が喋りかけてくるんです。彼の言葉が本当なら夢の中での出会いが現実でも起こる、と。3通目にはミュージアムホールのチケットもありますし、そこで会えるのではないかと考えています」

「この組織の人間と直接話したことは?」

「まったくありません。一方的に喋るだけですから。質問すら受け付けません」

「この封筒が送られてくる心当たりは?」

「ないです。結婚相談所とかに登録した覚えもないですし、SNSの出会い系サイトってやつですか? そんなのを利用したこともありません」

「そうか……。でもどこかで調べて送っているんだろうな」

「どういうことです?」ジムにはジャスティンの思考が読めない。。

「君と被害者の共通点はひとつ。それは独身ということだ。しかも一人暮らしをしている。君が出会った相手がどうかはわからないが話を聞く限り独身だろう」

「そんなことをどこかで調べられるのですか?」

「ほう、君はその手の話には疎いのか。まあ、疎くないとこんな怪しいサイトに登録はしないか……」

「すみません……」

「君も警察官なら危機意識は持った方がいいぞ。いくら切実だとしても」

「いえ、そんな……」

「まあ、いいさ。今の世の中じゃほとんどの個人情報はセキュリティがあっても裸も同然だ。金銭関係はきっちりと管理されているというが他のことについてはされてないのも同然」

「他のこととは?」

「まあ、個人のメールとかブログとかフェイスブックとかツイッターとか……」

 ジムは聞き覚えのない単語が飛び交って困惑したが、かろうじてメールの内容が漏れているというぐらいのことは理解できた。

「でも、私はそんな情報発信はしていませんよ。個人のメールだって友人に送るぐらいで……」

「その内容を解析すれば持ち主の全体像が見えてくるだろ?」

「見えてしまうんですか?」

「見えるね。それをデータベース化することは可能だ」

「でも、住所や名前まで……」

「君は本当に疎いな。1回でもネットで買い物をすればもう漏れていると思ったほうがいいぞ」

「そうなんですか……」

 ジムはネット社会はもっとセリュリティが強いと思っていた。
 突きつけられる現実は想像以上に厳しい。

「話を元に戻そうか」

 ジャスティンは証拠品のデータを本署に送信し話を続けた。

「正直なところ、この組織が直接この事件に関与している可能性はまだ分からない。だが何かのキャンペーンや社会実験だとしても発信者の情報がここまで隠されることはない。誰も参加してくれないからね。でも、それを踏まえた上で君が警察官だと知っていても送りつけている」

「私の職業まで知っていると言うのですか?」

「可能性の話だがね」

「でも、そうなると殺人事件との関わりはさらに遠ざかりませんか?」

「ふふ、面白いな君は。そこがポイントだよ。それに不思議だと思わないか?」

「何をです?」

「どうして君はそんなに夢の中の出来事をしっかりと覚えていられるんだい?」

 ジムはそう訊かれて我に返った。
 文章力があれば書き起こせそうなほどリアルに細部まで覚えている。
 エディナとの時間、彼女の容姿を鮮明に思い出せるのは不思議だ。

「これらの物証を借りてもいいのか?」 不意にジャスティンがジムに訊いた。

 ジムは一瞬躊躇ったが「構いません。捜査の役に立つのなら」と答えた。

「これを科学捜査研究所で分析するよ」

 コトリーはひとつひとつを丁寧にビニール袋に入れていく。
 ジムはそれらが手元から離れることに寂しさを感じる。
 イヴが急速に遠ざかっていく気がした。
 ジャスティンは寂しげなジムを見てそっと肩を叩いて去っていった。

*****

 埋まっていく欠片に意志はない。
 収める場所を決める意志が介在するだけだ。
 雪が撫でた路上の片隅で老人は呟く。
 深みに見える障壁よ。どこまで彼を弄ぶのか、と。

(第27話につづく)
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