第34話 喧騒を支える影が愛おしい

文字数 1,414文字

 ふたりを乗せた旧式は本署の裏に消えていく。
 ジムはそれを確認するとちょうど来たバスに乗り込んだ。
 車窓から空を仰いでいるとビル群が途切れいつもの街が近づいてくる。
 ストリートのデジタル時計は15時になろうとしていた。

 コンサートは19時から。
 まだまだ時間に余裕がある。
 ジムはまだ埋め切れぬ時間をどうしようかと悩んだ。
 このまま直行しようか。
 慣れない時間を過ごすことがこれほど心をそわ立てるとは思いもしない。

 ジムは途中のターミナルで乗り換えて直接ミュージアムホールを目指すことに決めた。
 直行すると早すぎるが自宅に戻っても緊張が途切れそうだ。
 ひとつ手前の停留所で降りてゆっくりと歩いてみるのはどうだろう。
 今日ぐらいはクリスマスマーケットに身を任せてみても面白いかもしれない。

 ひとつ手前の停留所はショップが建ち並ぶ華やかな場所で人の往来も激しかった。
 ジムは波打つような往来に紛れて歩いていく。
 混雑が予想以上で逃げるように路地に入ると一瞬の静けさがジムを包み込んだ。
 なぜか路地裏の空気は妙に居心地がいい。

 路地裏の影では舗装の剥げた道路に雪解けの水が滲んでいた。
 一区画先の通りまでの静寂。
 剥き出しの配管、錆び付いた鉄格子。
 喧騒と無縁に思えてもそれらは彩りを支える影だ。
 自分に似ている、と思った。
 ふと父の後ろ姿を思い出す。
 眩しい光、笑顔で仕事に向かう父。
 送り出す心細さを支える笑顔に塗り替えていた母。
 使命をともにした二人はとても眩しかった。

 ジムはそのまま突き進んで反対側の通りに出る。
 往来も少ない裏通りだが彩りは個性的で微笑ましい。
 ここなら気を遣わずに歩けそうだ、と心を撫で下ろす。
 まばらなショップは適度なアクセント。
 ひとつ通りを違えばこんなに風景が変わるものなのか。
 ジムは落ち着き払ってゆっくりと店頭を見て回った。
 そしてブロックの端まで来ると見覚えのある交差点に出た。
 向かいの路地脇にお洒落なカフェがある。
 そこは夢の中でエディナと一緒に過ごした店だった。
 からかわれたことを思いだし少し照れくさくなる。

 夢の中での出来事だから店員が覚えているはずもない。
 ジムはへんな想像を楽しみながら交差点を素通りする。
 店に寄ろうかとも考えたがひとりでくつろぐ趣味はなかった。


 結局、バスで10分程度の距離をゆっくりと1時間をかけて歩いた。
 散歩はもともと好きで歩くことには慣れている。
 それでもいつもの散歩と気分が違うのは今日が特別な日だからだろうか。
 胸の奥が妙にそわそわする。

 18時を告げる鐘がどこからとも流れてくる。
 かすかな粉雪がチラつき始めて空に色を与えていく。
 粉雪が電飾にキスをしてかたちを変えて空に還っていく。

「空に還るまで」

 言葉になった勇気が心の中で反響する。
 あの夜の自分になれるだろうか。

 ジムは一歩ずつミュージアムホールへと歩き出す。
 雪は少しずつ溶けながらイヴの夜を染めていく。
 そして足跡を隠すようにゆっくりと地上を埋めていった。

*****

 雪は聖夜を染めていく。
 愛に満ちた夜に神の加護は巡るだろうか。
 人影の消えた路地裏の片隅で老人は呟く。
 時は満ちた。若者よ、答えを出すのは君だ、と。

(第35話につづく)
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