第62話 懸念を覆い隠す芳醇

文字数 3,194文字

 エディナを家に招いた翌日、スタッカートはアポイントもなしにESCの本部を訪ねていた。
 玄関の守衛は直立不動と敬礼で彼を通す。
 受付の案内も即座に内線を走らせた。

「ここで待つよ。用件はそうだな……」スタッカートはラウンジのソファに視線を飛ばす。

 スタッカートはヴァンガードが多忙であることは承知していた。
 電撃訪問が伝われば良い。
 それだけでも意味があると考えていた。
 スタッカートが適当な用件を考えながら空を眺めていると「スタッカート様、一番エレベーターへどうぞ」と受付嬢の声が耳を貫いた。

「用意がいいな」スタッカートは軽い足取りで見せかけの杖をくるくると回しながら歩いていく。

 一番エレベーターは社長室を含む最上階直行で社長室の許可がないと動かせない。
 コントロールはすべて最上階の警備室で行われていて全フロアに巡る防犯システムの拠点でもある。

 この警備システムはカーヴォンス警備独自のシステムでESCの本社ビル移転の際に採用されていた。
 スタッカートの本社を含め数々の企業で採用されていて業界での信頼度はとても高い。

 警備がひとり、無言でスタッカートに追従しエレベーターに一緒に乗り込んだ。
 客人の盾となって入り口をガードする警備は監視カメラに目配せをする。
 するとエレベーターは自動で動き出した。
 そのエレベーターには階数ボタンはおろか開閉ボタンすらなく、すべて警備室にて管理されている。

「久しぶりだな、ビリー」

「恐縮です。スタッカート様」

 ビリーは姿勢を崩すことなく、手を後ろに組んで構える。
 会話は制限されておらず、馴染みのビリーは緊張を解いてスタッカートの軽口に付き合う
 ほんの数分の会話だが警備から得られる情報は意外と多い。

「相変わらず堅いな。でも、君たちのおかげで我々の秩序が守られておるからな。感謝しているよ」

「ありがとうございます」

「ところでジョセフ?」

「どうでしょう? ヴァンガード様は執務室におられるはずなので、側に控えているとは思いますが……」

「そうか、ありがとう。別行動をすることはないか」

「そうですね」

 ふたりの会話が終わる頃、エレベーター表示が最上階の35を指した。
 扉が開くとふたりの警備員が待ち構えていた。

「おひさしぶりです。スタッカート様」

「おお。あ、そうだ、今日は荷物はないよ」

「珍しいですね。手ぶらで来訪とは」

「はは、今日は思いつきで寄っただけだから」

 スタッカートは警備に導かれるように深めの絨毯を歩いていく。
 監視カメラの眼光が彼の言動を捕らえて離さない。

 コン……、コン……。

 廊下の突き当たりのドアをノックする警備。
 そして、IDカードを機械に差し込んでドアを開けた。
 部屋の中ではソファーでヴァンガードとジョセフが談笑していた。
 ふたりは彼に気づいて会話を止めた。

 談笑がピタリと止んで、ヴァンガードの視線がソファーに流れた。
 スタッカートは静かに頷いて応接のソファに体を預ける。
 
「世間話は必要か?」スタッカートは臨戦態勢と言わんばかりに解き放つ。
 ふたりの空気が変わっていく。
 ジョセフは傍で立ち構えたまま二人の会話を追っていた。

「ふふ……、いきり立つなよスタッカート」

「わかってはいるがね」

「余興だよ」

「余興? それにしちゃあ、随分と辛口だが」

「ちょうどいいくらいだよ。あの娘には」ヴァンガードはあの夜を意にも介していない。
 スタッカートはあの夜が彼の演出であることを悟った。

「彼では不満か?」

「どういう意味だ」

「選ばれたはずだが」

「そうだな」

「これまで君が選んできた男とは随分と違うようだが……」

「ああ、そう言う意味か」ヴァンガードはふっとため息をついて天井を見上げ、一呼吸置いてから続けた。
「合格だよ。もともとエディナの相手に資産家のボンボンは不釣り合いなのさ。それでもあの娘がこの世界で過ごしていけるかを模索したんだが……」

「それはどういう意味だ」

「あの娘はね、強欲過ぎるんだよ」

「いまいちはっきりしない物言いだな。君にしては」

「そうか? これまであの娘にとってどんな人生が良いのかを探ってきた。誰に似たんだろうな、まるで狂犬のようだ」

「自分の娘を狂犬呼ばわりとは……」

「まあ聞け。あの娘は愛の意味に飢えている。それは本能から感じるものだろう。私から飛び出そうとするのも理解はできるがね」

 スタッカートはヴァンガードのあまりもの回りくどさに嫌気が差してきた。
 いつもなら鋭い直球のような言葉を投げかけてくるのに、と妙な違和感も募り変な気分だ。
 
「君の家庭に口出しする気はないが、あの夜はエディナにもとっても、あの彼にとってもあまりにも過酷だ。あの夜に君のパーティーがあったのは偶然ではあるまい。意図的に日程を被らせておいて強引に呼び戻した。違うか?」

 スタッカートはなおも強引に直球を投げ込んだ。

「人と言うのはな、スタッカート」ヴァンガードがトーンを変えて、静かに重く語り出す。
「どんなことに怒りを感じ、その度合いがどれぐらいのものか。これでだいたいが分かるものだよ」

「それは私も含めてか?」

「ふふ……、君の狼狽は想定外だがね。そんなに入れ込むほどに彼らが心配かね」

「君は相変わらずエディナを突き放すな。どうしてだ?」

「深くつきあえばわかるよ」ヴァンガードは少し遠くを見つめるように目を細めた。
「あの娘の将来を案じているのは君だけじゃないさ。でも娘の夫として、ヴァンガード家の敷居を跨ぐ男はこの眼で確かめたい。父としての当然のことだろ?」

「そうだな」

 ヴァンガードなりの考えがあると感じたのかスタッカートはそれ以上詮索することをやめた。
 ソファに背中を泳がして緊張を解く。
 ヴァンガードも空気が緩むのを感じ同じように緊張を解いた。

「ところでどうだ?」

「なにがだ?」

「アンナだよ」

 唐突に質問がスタッカートのプライベートになる。
 スタッカートは慌てることもなく、「グッドチョイスだよ」と笑った。

「そうか。ならいい」

 ヴァンガードは立ち上がり、ガラスケースからグラスと年代物のワインを取り出した。

「ほれ」ヴァンガードはジョセフにもグラスを手渡す。

「ありがとうございます」ジョセフはワインも受け取ろうとするがヴァンガードは「注がせろ」と拒んだ。
 ほのかな匂いが場を支配していく。

「いいのか? こんな高いワインを」

「こういう時に飲むものさ」ヴァンガードの丸い笑顔がいつになく滑らかに思えた。

「何に祝福したいのだ?」とスタッカートが訊くと「発明の成功に」と言ってヴァンガードはグラスを掲げた。
 スタッカートは小気味よい笑いを浮かべながらグラスを合わせる。
 ジョセフも促されるままにそれを合わせた。

「ジムのことはジョセフから聞いている。心配するな」

 ヴァンガードはそう言うと気持ちよさそうに鼻歌を歌いながら踊るように部屋を歩いた。
 
 ほろ酔いの男の影が部屋で揺れ動く。
 しばらく経つとそれは二つになった。
 ジョセフは笑いをこらえながら良質のワインを喉に浸しふたりを見守る。
 スタッカートは懸念の消失に胸を撫で下ろしながら、ジムがどのように立ち直るのかを見守ろうと思った。

*****

 心に音楽が流れるとき、風がそよぐ気配を感じる。
 ビートが奏でる感情に不協和音は混じらない。
 豪邸の一室で紅茶を嗜みながら老人は呟く。
 音を生み出す鼓動の強さは時に暴力を凌駕する、と。

(第63話につづく)
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