第86話 出会いの先にある未来は希望とは限らない

文字数 4,901文字

 翌日、ジムが仮説分署に出勤すると玄関先ではマスコミと警察官が入り乱れてごった返していた。
 ジムはそれを避けるように裏口に回る。
 何の騒ぎかと思ったが、昨日のハイウェイ事故に関することだろうと解釈する。
 正式には隣町の事件ではあるが、地方紙の扱いも大きくて全国紙の記者が駆けつけてきたんだろう。
 分署火災に続いて、大規模な事故が続くとなると格好の餌食になる。

 その人だかりを嘲笑うかのように旧式が玄関先に滑り込んだ。
 ジャスティンとコトリーが颯爽と姿を表す。
 それに反応したカメラマンが一斉にフラッシュライトを浴びせた。
 ジャスティンは動じることもなく無言で人混みを掻き分けていく。
 コトリーは目深に帽子を被って彼に続いた。

「とにかく後で会見をしますから」広報の叫びが割り込んだ。
 ジャスティンは鳴り止まない雑音に顔色一つ変えない。


「それにしても凄いな。殺人事件でもここまでのことはなかったぞ」
 署内に入るや否やコトリーが汗をハンカチで拭いながら言った。

「仕方ないさ。あれだけ派手なことが続けばね。全国紙が嗅ぎつけてきたようだがそれも仕方ないことだ」
 ジャスティンの冷静さが不思議でならない。

「ああ言うのは慣れているのか?」

「別に。相手にする時間が無駄なだけさ。それに普通を装っていればいい」

「でもわざわざ正面から入らなくても……」

「はは、サービスさ。いい画が取れて満足だろう」

「まったく……。こっちは芸能人じゃないんだぞ」

「まあ、そう言うな。今は憶測が飛び交う時期だ。ある程度のガス抜きをしていれば迂闊なことは書けまい」

 意味ありげなジャスティンの微笑。
 コトリーは思わず、「まさか……」と呟いた。
 ジャスティンは答えることもなく、満足そうに微笑を浮かべていた。

「なんてやつだ」

 コトリーは吐き捨てるように言い、「そうならそうと先に言っておいてくれ」と怒鳴った。

「はは……、すまん。でもサプライズの方が楽しめるだろ」

 ジャスティンはコトリーを受け流して、近くにいた受付案内係に「交通課のジムを会議室まで呼んでくれ」と告げた。

「承知しました」

 コトリーはその声を横目にジャスティンの後を追う。
「ジムを呼んでどうするんだ?」

「なあに、主役が蚊帳の外では話になるまい」

「まさか参加させる気か?」

「ご名答」

「信じられん……」

 コトリーは呆れて言葉を失う。
 刑事課でもない人間を捜査班に入れるなど前代未聞のことだ。


 その頃、ジムは仮設のデスクに座って呆然としていた。
 新品のパソコンが目の前にあるがどこから手をつけていいのかわからない。
 ふと足元を眺めると、ふやけたダンボールが机の側に山積みになっている。

 本日の勤務日程では資料やデータ整理をする日に充てられていた。
 とりあえずは箱の中身の確認だろうか。
 乾いたダンボールのふたを開けてみると、何とも言えない臭いとパサパサになった紙の束が無造作に押し込められていた。

「どうするか……」

 ジムは戸惑いを見せながら他の署員がどうしているかを眺める。
 箱から全部出して分けている者、一束ずつ仕分けしている者、データメモリを確認している者など多種多様だった。

 ジムはため息をつきながら、「こういうときは現状把握だ」と呟いて箱を開けて中身をデスクの上に出した。
 どうやらデータ入力済の書類のようだ。
 入力データの無事を確認せねばならないようだ。

 ジムはおもむろにパソコンを立ち上げようと電源ボタンに手を伸ばした。
 するとそのパソコンの横にもう一つのパソコンがあることに気づいた。
 火災現場から発見されたもののようだ。
 どちらも同じモニターに接続されているようで、電源を入れると画面を二分して左半分が新しいパソコン、右半分が古いパソコンの映像が映し出された。

 疎いジムにはどういうカラクリかはわからなかったが、そのふたつの画面をマウスポインターは自由に行き来している。
 同じ画面で2台のパソコンを同時に操作できることを理解すると、古い方のパソコンのハードディスクを検索してみた。
 カタカタと明らかに不具合のある音が鳴りながら何とかウインドウが開いた。

「動くことは確認済みのようだ」
 ジムは背もたれに体を預けて一息つく。
 するとそこに案内係の女性署員がやってきた。

「ゴードンさん。ジャスティン警部が会議室にお呼びです」

「えっ? ジャスティンさんが?」

「ええ、今こちらに来ておられます。コトリー刑事も一緒でしたよ」

「そうか……、ありがとう。行くよ」

 ジムはそう言うと起動させたパソコンをそのままにタブレットを持って会議室へと向かった。


 二階に上がると部屋から数人の男の声がした。
 会議の最中なんじゃないかと思いながらおそるおそるドアをノックする。

「入れ!」中からジャスティンの声がした。
 ジムはゆっくりとドアを開けて中に入る。
 長机の両サイドに数人の捜査員が座り、一斉に自分を見て焦った。
 ジムはジャスティンの手招きのままにホワイトボードの横に立った。

「さっきから話題になっている男だ」ジャスティンの言葉が意地悪に感じた。

「なんですか、その紹介の仕方は……」

「はは、気にするな」

 ジャスティンは軽い口調のまま、「今日から一緒に捜査を担当するジム・ゴードン君だ」と告げた。
 一同が拍手をして迎える。

「えっ? 何を仰ってるんですか? 私は交通課の人間ですよ。捜査なんてとんでもない」

「気にするな」

「いやいや、そう言う訳には……」

 戸惑うジムにコトリーが「大丈夫。上の許可は取ってあるから」と言う。

「いや、その……、許可とかじゃなくて……」

「大丈夫だよ。素人なりの、そして事件の中心にいる者としての意見を聞かせてくれればいい」

 コトリーの言葉にジムは「本気ですか?」と訊く。

「おまえが必要だよ、ジム」ジャスティンがポンとジムの背中を叩いた。

「わかりました」
 ジムは表情を強ばらせて挨拶をする。
 そして促されるように用意された椅子に座った。
 目の前には見たこともない捜査資料がずらりと並んでいる。


 ジャスティンはここまでの捜査の経緯を説明する。
 捜査員は一項目一項目を確認しメモを取っていた。

「さてと……」
 ジャスティンが一通りの説明を終えたところで緊張感を解す。

「みんなに珈琲を入れてくれ」
 ジャスティンはウィッシュにそう言うと「僕がやりますよ」とジムが遮った。

「大丈夫ですよ、ジムさん。僕の方が年下だから」

「いや、でも、私の方がここでは新参です」

「いいから……」ウィッシュは笑顔でジムを制すると「僕の珈琲は評判がいいんですよ」と言って給湯室に向かっていった。

「いいんですか?」ジムは思わずコトリーに訊く。

「いいんじゃないか」

 コトリーの答えは上の空の投げやりだった。
 ジムは呆れてその場で微妙な時間を過ごした。
 他の捜査員たちはそれぞれ事件について話し合ったり捜査資料を読み直したりしている。
 ジムは何となく捜査資料に目を通し始めた。
 一番上に置かれていたのは被害者の概要だった。

「そう言えば、すっかり……」ジムのその呟きにジャスティンが反応する。

「そうだろ、俺もすっかり忘れていた。迷えば入り口に戻れってな。どうだ? この一連の事象はおまえ流に言えばとある思想の中の範疇か?」

「どうでしょう……。でもこの男の死が軽視されるほどに他の事件のインパクトが強すぎますね。むしろこの事件の風化が狙いにも思えます」

「ほほう、興味深い見解だな」

「だって、これまでの一連の事件の中で犠牲になった一般人は火災の逃げ遅れた人たちとこの男だけです。意図があって殺された一般人はこの男しかいない」

「なるほどな」

「この男は殺されるために発明に選ばれたのでしょうか?」

「なに? どういう意味だ」ジャスティンの声が荒ぶる。

「言い過ぎたでしょうか……。と言うのもこの男もおそらくは私と同じような、何かコンプレックスを持っていて選ばれたのかと思いまして……。そうなると誰かと出会ってるかも知れない。それは本人あるいは発明を管理している組織しか分からないかも知れないけど……。いや……、発明に参加する段階で必ず出会うとは限らないか……」

 ジムは譫言のようにひとりで喋り始めた。
 ジャスティンは傾聴し、彼の思考の行く先を見据えている。

「良き出会いがあって、それが発明の中で結ばれたら現実でも会える。そんなことを言われた覚えがあります。彼は会えたのでしょうか? 会えても結ばれなかったかもしれませんが……。それよりも同じような理由で選ばれたのかどうかもわかりません」

 ジムの言葉にジャスティンが長考する。
 コトリーはふたりの会話の意図を汲めずにいた。

「それに彼が発明に参加した証明はできないですよね。状況的に私と同じ封筒を受け取っていただけにすぎない。それに発明は出会いを保証していないし、未来イコール出会いでもない」

 ジャスティンは長考の末にふと呟いた。

「そうか……、未来を憂う理由がおまえと同じとは限らないってことか」

「はい、まさかとは思いますが、彼にとっての未来の最良のパートナーが死であることは否定できません」

「なんだと!」隣にいたコトリーが叫ぶ。「まさか、この期に及んで自殺だと?」

「それはわかりませんが、彼にとっての最善の未来が実は死ぬことだったなんてことも……」

「そんなことがあり得るのか?」

「わかりません。あくまでも私の考えですし……。本人にも聞けない。裏が取れないただの妄想かも知れません」

 コトリーの狼狽にジムもたじろぐ。
 ジャスティンは長考の狭間でポツリと呟く。

「だが、ないとは言えないぞ……。となるとかなりきな臭い話になるが少しずつ事件の背景の辻褄が合ってくる」

 ジャスティンはなおも頭の中を整理しようと必死だった。

「あなたがここに呼ばれた理由がわかりました」
 不意にジムの後ろから声がした。
 珈琲を携えたウィッシュだ。
 各自に珈琲を配ると、彼はジムの隣に座った。

「この殺された人って、確かESCをクビになった人ですよね。適性によっての出向って、言葉はきれいですけど要はESCでは使えないってことでしょ。ESCって一流企業だし、ESCで働きたくて入った訳だし……。内心ではどう思っていたかなんて誰にもわからないんじゃないでしょうか」

「そうだな。それにしても固定観念って奴は恐ろしいな……」

 ジャスティンはふっと一息ついて珈琲を口にする。
 暖と香がそれぞれを優しく包んでいった。

「自殺幇助になるのかな?」コトリーが訊いた。

「いや、そりゃ無理だろ」ジャスティンは言い切る。
 そして神妙な面持ちで、「ただし、現場に銃はなかった。頼まれて殺した奴、あるいは自殺した銃を持ち去った奴がいる。そっちの方が怖いがな」と続けた。

 捜査員一同は新たな火種の燻りを感じている。
 他殺路線で進めてきた捜査があらぬ方向へ向かおうとしている。
 発明の中身のわからない捜査員は想像で補完する何かを持たない。
 ああ、そうか。
 ウィッシュはジャスティンが彼をここに呼んだ理由を理解し始めていた。
 彼には参加者としての僕らと違う事件の見方ができるんだ。
 ウィッシュは珈琲の香りに身を委ねて、ジムの横顔をじっと見つめていた。

*****

 銃弾が奪ったのは未来なのか不安なのか。
 その答えは銃痕にすら隠されてはいない。
 新しい意識を迎えた部屋を眺めて老人は呟く。
 海上は荒れていても海中がそうだとは限らない、と。

(第87話につづく)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み