第75話 混沌の中に一筋の希望
文字数 2,606文字
「ジムはいないか?」
スタッカートは現場で市民誘導をしている警察官に訊いた。
炎と激務で汗塗れの警察官は悲鳴と怒号の中で何度もスタッカートの言葉を聞き返す。
「いないのか?」
「よく、聞こえない。ジムってのは誰だ?」
「交通課の警官だ。あの建物の一階で勤務をしている!」
「すまんが、まだ署員全員の安否確認はできていない。あのテントが仮設の本部だからそこに問い合わせてくれ!」
「わかった!」
スタッカートは人だかりで溢れる仮設本部を目指す。
同じように署員の安否を気遣う家族たちでごった返していた。
「どうしましょ?」
「行くしかないよ。ここからは私ひとりで行く。時間が掛かるかも知れないが車で待っていてくれ」
アンナは静かに頷いて人混みをかき分けて車まで戻った。
ガラス越しの喧噪。
時折救急車のサイレンが鳴りそれを避けるように道が開く。
いったいどれだけの人が……。
アンナは病院待合いの四色シートを思い出して吐きそうになる。
この町にはもう昨日までの面影がまったく残っていない。
黒く立ち上る煙に紅が混じる。
時折ゆらめいて、放水が煙の行き先を塞いでいく。
アンナは怖くなって目を覆うように伏せて彼を待った。
スタッカートは我先にと仮設本部を目指す群衆の中にいて冷静に順番を待った。
こう言うときに慌てたり、パニックになっては本末転倒だ。
仮設本部の運営を妨げると同時に自身の目的も果たせなくなる。
感情的な市民をよそにスタッカートはやけに冷静だった。
待っている間にアンナの証言を整理する。
パーテーションに区切られた2つのフロア、その右側に制服がたくさんいたと言っていた。
スタッカートは燃え盛る分署を見て、ジムがいたかも知れない1階フロアを見た。
遠目でよくわからないが、炎の勢いが強いのは建物の奥側。
通りに面した玄関側は爆風か何かで窓がなくなっているものの煙が立ち上っているだけだった。
ふたりがいたのは玄関のすぐそば。
逃げる人に押されて外に運ばれそうになった。
倒されたエディナの手を掴んでいたが、逃げようとする人波に押されて離してしまった。
アンナから得た情報を整理しながら、脳内でイメージをする。
そしてふと1階の玄関付近を見た。
10段ほどの階段を上がった先に煙で燻されたドアが見える。
今もなおレスキューの出入りが繰り返されるが被害者らしき人の救出は見られない。
火災からかなりの時間が経っていて、救出よりも鎮火に向かっている感じがした。
「使える人員は使えって感じだな……」
スタッカートは灰まみれの署員が駆り出されていることに気づいた。
救出されて無事が確認されたか、運良く逃げた者たちだろう。
その中にジムもいるのいるのだろうか?
仮設本部の人だかりが徐々に収まってきた。
順番はもうすぐだ。
涙だけを連れて帰る家族を見ると無事だとしても喜べない。
それでも所在だけでもわかれば安心はできる。
そして、ようやくスタッカートの順番が訪れた。
「ここの交通課の署員でジムという男がいる。たしかジム・ゴードンだったと思う。無事かどうかわかりますか?」
仮設本部の女性警官がノートパソコンで検索する。
どうやらここで一元管理して署員の行方を追っているようだ。
「ええ……と、あ! 無事ですね。ここのどこかで避難誘導をしているはずです」
「本当ですか! ありがとうございます!」スタッカートは荷が下りたような表情を見せた。
そして、「お願いがあるのですが……。急ぎませんので、伝言をお願いしたい」とエディナの入院先の病院と病室のメモを女性警官に渡した。
「彼女がここに来ていたようで。先ほど無事に運ばれました。私事で申し訳ありませんが伝えていただければ幸いです」
「承知しました。今はこの有様ですが落ち着けば必ず伝えます」
「ありがとう」
スタッカートはそう言ってその場を後にする。
そして、ヴァンガードに電話をかけた。
「ああ、ヴァンガード。一応報告しとくよ。会えたわけじゃないがジムの無事は確認されているようだ」
続いて病院で待機しているジョセフにも電話を入れる。
「ジョセフか? 今いいか? ジムの無事は確認されたよ。今は会うのは無理だ。この惨事だからね。それと、エディナの居場所を書いたメモを伝言してもらうように伝えてある。落ち着けばそちらに訪れるかもしれない」
スタッカートはそう伝えると足早に車へと戻った。
「どうだった?」
「無事だよ。動けるようで現場で避難誘導にあたっているそうだ」
「今は無理よね」
「さすがにね。だから、エディナの入院先を伝言しておいた」
「心配するでしょうね」
「そうだな。でも連絡の取りようがないからな。心配させるだろうがふたりを会わせるにはこれしかない」
「そうね……」アンナは寂しそうな顔をして俯く。
「どうした?」
「いえ……、ほらエディナさん」アンナは頬をさわるポーズをした。
「そうだな……。でも、そんなことでジムが……」
「大丈夫だと思うけど、エディナさんのほうが心配……」アンナはそう言って車窓を眺める。
スタッカートは静かに車を出した。
ふと通りを見ると、ここに来たときよりも喧噪はマシになっていた。
サイレンの音も緊急車両の出入りも少なくなっている。
通りを埋め尽くしていた大勢の野次馬も次第に家路に向かう割合が増えているように思えた。
「明日いっぱいは大変だろう。仮設の警察署をどうするか。また治安の脆弱さにつけこむ輩がいないとは限らないな」
スタッカートは自分に言い聞かせるように呟くと街頭に照らされたアベニューを行く。
黒煙が星空を埋め尽くしている。
空を見上げても、悲しみを癒す星空に心を委ねられそうにもない。
アンナは遠ざかっていく分署を眺めながら、病床に伏すエディナの容態に想いを馳せた。
*****
灼熱の光は空の癒しだった。
だからと言っててのひらに乗せることはできない。
黒煙に咽ぶ町を眺めながら老人は呟く。
悲しみにまみれた炎の街よ。神が与えた光に跪くが良い、と。
(第76話につづく)
スタッカートは現場で市民誘導をしている警察官に訊いた。
炎と激務で汗塗れの警察官は悲鳴と怒号の中で何度もスタッカートの言葉を聞き返す。
「いないのか?」
「よく、聞こえない。ジムってのは誰だ?」
「交通課の警官だ。あの建物の一階で勤務をしている!」
「すまんが、まだ署員全員の安否確認はできていない。あのテントが仮設の本部だからそこに問い合わせてくれ!」
「わかった!」
スタッカートは人だかりで溢れる仮設本部を目指す。
同じように署員の安否を気遣う家族たちでごった返していた。
「どうしましょ?」
「行くしかないよ。ここからは私ひとりで行く。時間が掛かるかも知れないが車で待っていてくれ」
アンナは静かに頷いて人混みをかき分けて車まで戻った。
ガラス越しの喧噪。
時折救急車のサイレンが鳴りそれを避けるように道が開く。
いったいどれだけの人が……。
アンナは病院待合いの四色シートを思い出して吐きそうになる。
この町にはもう昨日までの面影がまったく残っていない。
黒く立ち上る煙に紅が混じる。
時折ゆらめいて、放水が煙の行き先を塞いでいく。
アンナは怖くなって目を覆うように伏せて彼を待った。
スタッカートは我先にと仮設本部を目指す群衆の中にいて冷静に順番を待った。
こう言うときに慌てたり、パニックになっては本末転倒だ。
仮設本部の運営を妨げると同時に自身の目的も果たせなくなる。
感情的な市民をよそにスタッカートはやけに冷静だった。
待っている間にアンナの証言を整理する。
パーテーションに区切られた2つのフロア、その右側に制服がたくさんいたと言っていた。
スタッカートは燃え盛る分署を見て、ジムがいたかも知れない1階フロアを見た。
遠目でよくわからないが、炎の勢いが強いのは建物の奥側。
通りに面した玄関側は爆風か何かで窓がなくなっているものの煙が立ち上っているだけだった。
ふたりがいたのは玄関のすぐそば。
逃げる人に押されて外に運ばれそうになった。
倒されたエディナの手を掴んでいたが、逃げようとする人波に押されて離してしまった。
アンナから得た情報を整理しながら、脳内でイメージをする。
そしてふと1階の玄関付近を見た。
10段ほどの階段を上がった先に煙で燻されたドアが見える。
今もなおレスキューの出入りが繰り返されるが被害者らしき人の救出は見られない。
火災からかなりの時間が経っていて、救出よりも鎮火に向かっている感じがした。
「使える人員は使えって感じだな……」
スタッカートは灰まみれの署員が駆り出されていることに気づいた。
救出されて無事が確認されたか、運良く逃げた者たちだろう。
その中にジムもいるのいるのだろうか?
仮設本部の人だかりが徐々に収まってきた。
順番はもうすぐだ。
涙だけを連れて帰る家族を見ると無事だとしても喜べない。
それでも所在だけでもわかれば安心はできる。
そして、ようやくスタッカートの順番が訪れた。
「ここの交通課の署員でジムという男がいる。たしかジム・ゴードンだったと思う。無事かどうかわかりますか?」
仮設本部の女性警官がノートパソコンで検索する。
どうやらここで一元管理して署員の行方を追っているようだ。
「ええ……と、あ! 無事ですね。ここのどこかで避難誘導をしているはずです」
「本当ですか! ありがとうございます!」スタッカートは荷が下りたような表情を見せた。
そして、「お願いがあるのですが……。急ぎませんので、伝言をお願いしたい」とエディナの入院先の病院と病室のメモを女性警官に渡した。
「彼女がここに来ていたようで。先ほど無事に運ばれました。私事で申し訳ありませんが伝えていただければ幸いです」
「承知しました。今はこの有様ですが落ち着けば必ず伝えます」
「ありがとう」
スタッカートはそう言ってその場を後にする。
そして、ヴァンガードに電話をかけた。
「ああ、ヴァンガード。一応報告しとくよ。会えたわけじゃないがジムの無事は確認されているようだ」
続いて病院で待機しているジョセフにも電話を入れる。
「ジョセフか? 今いいか? ジムの無事は確認されたよ。今は会うのは無理だ。この惨事だからね。それと、エディナの居場所を書いたメモを伝言してもらうように伝えてある。落ち着けばそちらに訪れるかもしれない」
スタッカートはそう伝えると足早に車へと戻った。
「どうだった?」
「無事だよ。動けるようで現場で避難誘導にあたっているそうだ」
「今は無理よね」
「さすがにね。だから、エディナの入院先を伝言しておいた」
「心配するでしょうね」
「そうだな。でも連絡の取りようがないからな。心配させるだろうがふたりを会わせるにはこれしかない」
「そうね……」アンナは寂しそうな顔をして俯く。
「どうした?」
「いえ……、ほらエディナさん」アンナは頬をさわるポーズをした。
「そうだな……。でも、そんなことでジムが……」
「大丈夫だと思うけど、エディナさんのほうが心配……」アンナはそう言って車窓を眺める。
スタッカートは静かに車を出した。
ふと通りを見ると、ここに来たときよりも喧噪はマシになっていた。
サイレンの音も緊急車両の出入りも少なくなっている。
通りを埋め尽くしていた大勢の野次馬も次第に家路に向かう割合が増えているように思えた。
「明日いっぱいは大変だろう。仮設の警察署をどうするか。また治安の脆弱さにつけこむ輩がいないとは限らないな」
スタッカートは自分に言い聞かせるように呟くと街頭に照らされたアベニューを行く。
黒煙が星空を埋め尽くしている。
空を見上げても、悲しみを癒す星空に心を委ねられそうにもない。
アンナは遠ざかっていく分署を眺めながら、病床に伏すエディナの容態に想いを馳せた。
*****
灼熱の光は空の癒しだった。
だからと言っててのひらに乗せることはできない。
黒煙に咽ぶ町を眺めながら老人は呟く。
悲しみにまみれた炎の街よ。神が与えた光に跪くが良い、と。
(第76話につづく)