第64話 カフェの悪だくみ
文字数 3,543文字
「ふたりで会いましょう」
エディナの元に届いたアンナからのメール。
それが届いたのはエディナが自分の部屋に着いた頃だった。
そしてそこで密かに交わされた約束は翌日の午後に訪れた。
「今日はほら、あの人がいないから」とスタッカートの不在を知らせるアンナ。
「ヴァンガードに聞きたいことがある」そう言った彼の言葉を思い出す。
アンナは「時間がかかりそうね」と心を踊らせてメールを打ち込んだ。
午後のアベニューは灰色の空に時折青空が交じる。
落ち切った枯れ葉は清掃員が片付けてしまってもう地面を埋めてはいない。
エディナはいつもの格好で街に出向き、石畳をヒールで削っていく。
「ちょっとはお洒落してきなさいよ」
アンナの意味不明なメールに応えるようにエディナは明るめの服を選んだ。
薄いピンクのオーバーサイズコート、中は白のブラウスに紺のレギンス。
ぜんぶお気に入りの店で見繕ったものだった。
「ずいぶんと控えめね」
これがアンナの最初のひとことだった。
「そう?」と答えたエディナの前には胸元を大胆にあけて、少しきつく見えるしなやかなローライズにハイヒールのアンナがいた。
スタイルを強調した大人の女性独特の色気を感じる。
「男はこれくらいで悩殺するものよ」
スタッカートの趣味が何となくわかり、エディナは少し複雑な気分でアンナの挑発的な着こなしを眺めていた。
ふたりが待ち合わせたのはショッピングアベニューの一角のカフェレストラン。
先に着いたのはエディナだった。
よく出かけるショッピングストリートにほど近く、石畳の歩道には思い出がたくさん刻まれている。
クリスマスマーケットの名残や息遣いも疎らで、人々は春の訪れを心待ちにしていた。
ひんやりと澄み切った空気に磨きが混じり出す季節は近かった。
エディナはアンナがリザーブしていた席に座る。
約束よりも30分近く早かった。
手持ち無沙汰でどうしようかとスマートフォンで何気なくウェブを散策する。
エディナが専ら閲覧するのはファッションに関するページだった。
冬の着こなしが写真つきで彩られていて何気ない妄想も広がって楽しめた。
アンナはスタッカートがスポーツカーで突進していったのを見計らってハイヤーを呼び寄せた。
時間差を十分に計ってから約束のカフェレストランを目指す。
外出を悟られないように「いかにもこの後も家で過ごしますよ」という格好でスタッカートを送り出したので準備に時間が掛かった。
メイドに「今日の外出は彼には言ってはダメよ」と口止めしてチップを渡す。
そしてどこに行くとも告げずに家を出た。
メイドは詮索することもなく黙々と家事を続ける。
車が急発進する音を二回聞いたあと、やれやれと言った感じでソファに体を投げ出して休息に入った。
アンナが店に着いた頃、エディナはスマートフォンに夢中だった。
木床の音に気づいて見上げると、そこに彼女が立っていた。
アンナは少し口元を緩めて「ずいぶんと控え目ね」と言ってそのまま席に座った。
「アンナさん、大胆ね」
「そう?」
アンナは意にも介さない様子で店員を呼びつけてカプチーノを注文した。
流れるようなアンナの行動に「よく来るお店のようですね」とエディナは笑った。
「わかる?」
アンナはそう言うとエディナのスマートフォンを眺めた。「何をじっと見てるの?」
エディナは「コーディネイトの勉強」と言って画面を見せた。
ふたりはしばらく談笑を続けた。
ファッションの話から過去の恋愛遍歴など。
何気ない話がふたりの時間を埋めていく。
アンナは少しお腹が空いてきたのか、ビスケットとウインナーコーヒーを注文した。
エディナも濃いめのドロップを注文する。
女同士のささいな時間は日頃の鬱憤を解消させていく。
「ねえ、行ってみない?」唐突にアンナが言った。
「えっ?どこに?」意図が汲めずにエディナは目を丸くする。
「決まってるじゃない。彼のと・こ・ろ」
悪戯なアンナの笑顔に「本気だったんですか、あれ」と昨日の会話を思い出した。
「このままじっとしていても仕方ないでしょ」
「でも迷惑だって」
「大丈夫。外から見る分には問題ないでしょ。道を聞きにいくふりをするわ」
「でも……」
「あら、エディナさん。行動派だと思ってたのに」
「そりゃあ……、でも、さすがに……」
「迷惑かけたくない?」
「ええ……。それもあるけど……」
「何かあるの?」
「いや……、その……」
「煮え切らないわね。でもあなたに会えると彼も喜ぶと思うわよ。それに見つけても声かけなきゃいいのよ。合図送って、外で待ってりゃいいの」
「それって」
「さ・く・せ・ん。大人の、ね」
アンナの大胆な発想にエディナも唖然とする。
会うだけなら、職場で声さえ掛けなければ迷惑にもならない。
私に気づいたら、きっと探しにきてくれるかも。
エディナは鼓動が徐々に速くなってくるのを感じていた。
「でもアンナさん、用もないのに警察に行くのはちょっと……」
「警察は嫌い?」
「そりゃあ好きな人はいないでしょ」
「あら、そう。でも悪いことなんて何もしてなくてよ」
「そりゃそうですけど……」
「それとも若い頃にハメを外しすぎたとか?」
「えっ?」
「あら図星!? それだと辛いかもね。若気の至りがバレてしまうわね」
エディナはアンナの鋭さに呆れかえっている。
アンナは頭を抱えて「良い知恵」を探り出すふりをする。
心の中ではどう言いくるめて連れて行こうかと悪知恵を働かせているだけだ。
「そうね……。困ったわねぇ……。でもジムは警察官だし、調べようとすれば調べられるんじゃないの?」
「ジムはそんなことはしないわ」
「あら、どうかしら? それにその自信はどこからくるのかな~」アンナが悪戯っぽく笑う。
エディナは顔を赤らめて「知られることは怖くないの」と強がってみせた。
「じゃあ問題ないんじゃないの?」
「でも会いたくない人もいる」
「会いたくない人? 捕まえた人ってこと?」
「そう……」
「それはキツいわね。『出頭してきたのか』とか言われるかもね」
「私、何もしてませんよ」
「それを私に言ってどうするの~」
アンナは真剣なエディナの言葉に笑いを堪えられなくなっている。
腹を抱えて笑うアンナをよそに、エディナは腕を組んだままアンナを睨みつけていた。
「エディナさん、怖い~。わかったわよ、もう笑わないから」
アンナはそう言ってエディナを軽く小突くと「女は少し悪いくらいほうがモテるのよ」と小声で囁いた。
エディナは呆れ顔のまま「わかったわよ。行くわ」と観念する。
するとアンナは飛び上がりそうな勢いで「若い男にマッチョもいるわね」と騒いだ。
「おじさまに言うわよ」そう言っていたずらな顔をする。
「大丈夫よ~。別に何がある訳じゃないし。私が若い子に乗り換えないように頑張るのが彼の仕事よ」
「アンナさんったら、もう」
サバサバとした恋愛観。
どうしてこの女性を選んだのだろう。
発明が二人を引き寄せたことを思い出す。
若い頃、女関係が派手だったスタッカート。
良からぬ噂も良く聞いたし、それが原因で今は独り身と聞いていた。
最後の奥様は良妻賢母を絵に描いたような女性だったはず。
「どう?」アンナが突然ポーズを決める。
「め……、目立ちすぎじゃない? その胸元……」
「あら、そう。いいんじゃない。若い子にはウケるわよ~」
ミラーグラスを胸元に掛けると、光が反射してさらに谷間を強調させる。
誰もが目を奪われるだろう。
ジムはどうかしら、と拙い自分の胸元を見下ろしてベルトが見え隠れする平坦に落胆した。
「さあ、行くわよ」アンナはチェックボードを掲げて店員を呼んだ。
そして素早く会計を済ませるとエディナの腕を掴んで立ち上がった。
足取りが陽気にゆらめいている。
その動きにつられながらエディナのステップも軽くなっていった。
「まあ、分署のほうだしね……」
エディナは自分に言い聞かせるように口元をギュッと結んだ。
*****
石畳を叩くヒールがふたつ。
思惑の渦に巻き込まれるように核へと向かっていく。
街頭の陽気を笑いながら老人は呟く。
銃弾を受け止める覚悟があれば致命傷にはなりはしない、と。
(第65話へつづく)
エディナの元に届いたアンナからのメール。
それが届いたのはエディナが自分の部屋に着いた頃だった。
そしてそこで密かに交わされた約束は翌日の午後に訪れた。
「今日はほら、あの人がいないから」とスタッカートの不在を知らせるアンナ。
「ヴァンガードに聞きたいことがある」そう言った彼の言葉を思い出す。
アンナは「時間がかかりそうね」と心を踊らせてメールを打ち込んだ。
午後のアベニューは灰色の空に時折青空が交じる。
落ち切った枯れ葉は清掃員が片付けてしまってもう地面を埋めてはいない。
エディナはいつもの格好で街に出向き、石畳をヒールで削っていく。
「ちょっとはお洒落してきなさいよ」
アンナの意味不明なメールに応えるようにエディナは明るめの服を選んだ。
薄いピンクのオーバーサイズコート、中は白のブラウスに紺のレギンス。
ぜんぶお気に入りの店で見繕ったものだった。
「ずいぶんと控えめね」
これがアンナの最初のひとことだった。
「そう?」と答えたエディナの前には胸元を大胆にあけて、少しきつく見えるしなやかなローライズにハイヒールのアンナがいた。
スタイルを強調した大人の女性独特の色気を感じる。
「男はこれくらいで悩殺するものよ」
スタッカートの趣味が何となくわかり、エディナは少し複雑な気分でアンナの挑発的な着こなしを眺めていた。
ふたりが待ち合わせたのはショッピングアベニューの一角のカフェレストラン。
先に着いたのはエディナだった。
よく出かけるショッピングストリートにほど近く、石畳の歩道には思い出がたくさん刻まれている。
クリスマスマーケットの名残や息遣いも疎らで、人々は春の訪れを心待ちにしていた。
ひんやりと澄み切った空気に磨きが混じり出す季節は近かった。
エディナはアンナがリザーブしていた席に座る。
約束よりも30分近く早かった。
手持ち無沙汰でどうしようかとスマートフォンで何気なくウェブを散策する。
エディナが専ら閲覧するのはファッションに関するページだった。
冬の着こなしが写真つきで彩られていて何気ない妄想も広がって楽しめた。
アンナはスタッカートがスポーツカーで突進していったのを見計らってハイヤーを呼び寄せた。
時間差を十分に計ってから約束のカフェレストランを目指す。
外出を悟られないように「いかにもこの後も家で過ごしますよ」という格好でスタッカートを送り出したので準備に時間が掛かった。
メイドに「今日の外出は彼には言ってはダメよ」と口止めしてチップを渡す。
そしてどこに行くとも告げずに家を出た。
メイドは詮索することもなく黙々と家事を続ける。
車が急発進する音を二回聞いたあと、やれやれと言った感じでソファに体を投げ出して休息に入った。
アンナが店に着いた頃、エディナはスマートフォンに夢中だった。
木床の音に気づいて見上げると、そこに彼女が立っていた。
アンナは少し口元を緩めて「ずいぶんと控え目ね」と言ってそのまま席に座った。
「アンナさん、大胆ね」
「そう?」
アンナは意にも介さない様子で店員を呼びつけてカプチーノを注文した。
流れるようなアンナの行動に「よく来るお店のようですね」とエディナは笑った。
「わかる?」
アンナはそう言うとエディナのスマートフォンを眺めた。「何をじっと見てるの?」
エディナは「コーディネイトの勉強」と言って画面を見せた。
ふたりはしばらく談笑を続けた。
ファッションの話から過去の恋愛遍歴など。
何気ない話がふたりの時間を埋めていく。
アンナは少しお腹が空いてきたのか、ビスケットとウインナーコーヒーを注文した。
エディナも濃いめのドロップを注文する。
女同士のささいな時間は日頃の鬱憤を解消させていく。
「ねえ、行ってみない?」唐突にアンナが言った。
「えっ?どこに?」意図が汲めずにエディナは目を丸くする。
「決まってるじゃない。彼のと・こ・ろ」
悪戯なアンナの笑顔に「本気だったんですか、あれ」と昨日の会話を思い出した。
「このままじっとしていても仕方ないでしょ」
「でも迷惑だって」
「大丈夫。外から見る分には問題ないでしょ。道を聞きにいくふりをするわ」
「でも……」
「あら、エディナさん。行動派だと思ってたのに」
「そりゃあ……、でも、さすがに……」
「迷惑かけたくない?」
「ええ……。それもあるけど……」
「何かあるの?」
「いや……、その……」
「煮え切らないわね。でもあなたに会えると彼も喜ぶと思うわよ。それに見つけても声かけなきゃいいのよ。合図送って、外で待ってりゃいいの」
「それって」
「さ・く・せ・ん。大人の、ね」
アンナの大胆な発想にエディナも唖然とする。
会うだけなら、職場で声さえ掛けなければ迷惑にもならない。
私に気づいたら、きっと探しにきてくれるかも。
エディナは鼓動が徐々に速くなってくるのを感じていた。
「でもアンナさん、用もないのに警察に行くのはちょっと……」
「警察は嫌い?」
「そりゃあ好きな人はいないでしょ」
「あら、そう。でも悪いことなんて何もしてなくてよ」
「そりゃそうですけど……」
「それとも若い頃にハメを外しすぎたとか?」
「えっ?」
「あら図星!? それだと辛いかもね。若気の至りがバレてしまうわね」
エディナはアンナの鋭さに呆れかえっている。
アンナは頭を抱えて「良い知恵」を探り出すふりをする。
心の中ではどう言いくるめて連れて行こうかと悪知恵を働かせているだけだ。
「そうね……。困ったわねぇ……。でもジムは警察官だし、調べようとすれば調べられるんじゃないの?」
「ジムはそんなことはしないわ」
「あら、どうかしら? それにその自信はどこからくるのかな~」アンナが悪戯っぽく笑う。
エディナは顔を赤らめて「知られることは怖くないの」と強がってみせた。
「じゃあ問題ないんじゃないの?」
「でも会いたくない人もいる」
「会いたくない人? 捕まえた人ってこと?」
「そう……」
「それはキツいわね。『出頭してきたのか』とか言われるかもね」
「私、何もしてませんよ」
「それを私に言ってどうするの~」
アンナは真剣なエディナの言葉に笑いを堪えられなくなっている。
腹を抱えて笑うアンナをよそに、エディナは腕を組んだままアンナを睨みつけていた。
「エディナさん、怖い~。わかったわよ、もう笑わないから」
アンナはそう言ってエディナを軽く小突くと「女は少し悪いくらいほうがモテるのよ」と小声で囁いた。
エディナは呆れ顔のまま「わかったわよ。行くわ」と観念する。
するとアンナは飛び上がりそうな勢いで「若い男にマッチョもいるわね」と騒いだ。
「おじさまに言うわよ」そう言っていたずらな顔をする。
「大丈夫よ~。別に何がある訳じゃないし。私が若い子に乗り換えないように頑張るのが彼の仕事よ」
「アンナさんったら、もう」
サバサバとした恋愛観。
どうしてこの女性を選んだのだろう。
発明が二人を引き寄せたことを思い出す。
若い頃、女関係が派手だったスタッカート。
良からぬ噂も良く聞いたし、それが原因で今は独り身と聞いていた。
最後の奥様は良妻賢母を絵に描いたような女性だったはず。
「どう?」アンナが突然ポーズを決める。
「め……、目立ちすぎじゃない? その胸元……」
「あら、そう。いいんじゃない。若い子にはウケるわよ~」
ミラーグラスを胸元に掛けると、光が反射してさらに谷間を強調させる。
誰もが目を奪われるだろう。
ジムはどうかしら、と拙い自分の胸元を見下ろしてベルトが見え隠れする平坦に落胆した。
「さあ、行くわよ」アンナはチェックボードを掲げて店員を呼んだ。
そして素早く会計を済ませるとエディナの腕を掴んで立ち上がった。
足取りが陽気にゆらめいている。
その動きにつられながらエディナのステップも軽くなっていった。
「まあ、分署のほうだしね……」
エディナは自分に言い聞かせるように口元をギュッと結んだ。
*****
石畳を叩くヒールがふたつ。
思惑の渦に巻き込まれるように核へと向かっていく。
街頭の陽気を笑いながら老人は呟く。
銃弾を受け止める覚悟があれば致命傷にはなりはしない、と。
(第65話へつづく)