第58話 弛緩の片隅で饒舌は影を踏む

文字数 1,794文字

 ジムの視線の先、恰幅はロングコートに身を包む。
 目深に帽子を被り、鋭い眼光を隠してながら通りを横切ってきた。

 足で稼ぐのはコトリーの専売特許。
 地道な仕事とは言え、有益な情報と言うのは意外なところに転がっているものだ。
 事実との遭遇は鋭い洞察力と直感が必要で、違和感を紡ぎ出せすことが第一歩だ。
 長年の現場感覚、ジャスティンはそれを信頼している。

 事件がだいぶ街に馴染んだ頃、ふたりがそれぞれの管轄署屋に出入りするのを訝しがる声もなくなった。
 緊張感はすっかりと解け、弛緩していく空気は止めようがない。
 数年ぶりに起きた殺人事件ですら今や過去の出来事として捉えられつつあった。

 コトリーは通りを横切る中で進展状況を反芻する。
 ジャスティンが導いた「ある方向性」はとても興味深かったからだ。


「最近だらけて来てるな。こっちも」
 開口一番の嘆きに「そっちもか?」と手を止めてジャスティンは答えた。

「ああ」コトリーは不機嫌そうに言って、煙草の臭いの染み着いたソファに体を預けて続けた。

「それよりも、どうだ。何か見えそうか?」

「いや、何も」無粋に表情を崩さないフリをする。

「そうか……。でも感じるところはあるんだろ? 口元がニヤついているぞ」

「ふふ……。君は相変わらずだな」

 ジャスティンはそう言うと椅子に投げ出していた足を整えてコトリーに向き合った。

「証拠はなし。勘だけの話だから誰にも言うなよ」

「わかった」

 ジャスティンはコトリーの耳元でボソボソと話し始める。
 コトリーの表情から血の気が引いていく。
 ひと通り話が終わるとコトリーはまじまじと彼の顔を見据えた。
 嬉しそうに反応を楽しむ童顔は底意地が悪い。

「いや……、しかし……」コトリーはジャスティンの言葉を整理しながら事件を最初から見つめ直す。

 タブレットを取り出して言葉の意味を詮索しながら事象を追った。
 そして、ハッと気がついたかのように再びジャスティンの顔を見据えた。

「長年の相棒だけはあるな」ジャスティンはコトリーの追尾力に感服する。

「しかし……、よくもまあ、そんなことを……」コトリーは狼狽を隠せないままモニターを凝視し続ける。

「まあ、想像だがね。あくまでも」

「裏は取れそうか?」

「どうだろう? かなり厳しいけどな。でも尻尾を掴めそうだし、泳がせるのもおもしろいんじゃないか?」

 ジャスティンは嬉々とした饒舌を重ねている。
 コトリーは呆れ気味に彼の笑顔を眺めるしかなかった。

 ピピ……。

 微妙な空気を引き裂くようにタブレットの着信ランプが光った。
 コトリーのタブレットに「お迎えは何時頃にいたしましょうか?」とトムの言葉が踊っている。
 ジャスティンに目配せをすると人差し指を立てていた。
 コトリーは頷いて「1時間後に頼む」と返した。

 送信を終えると画面にひとりの男のプロフィールが映し出される。
 ジャスティンの勘が導いたある仮説の中に「彼」はいる。
 コトリーは画面をじっと見つめて表情をさらに険しくさせた。

「どうする?」

「どうもしないさ。でも、今後の展開は楽しめそうだ」

「そうだな。でも、ここからはさらに茨の道だよ。スリリングすぎて吐きそうだ」

「ふふ……、コトリー。君も楽しそうじゃないか。これはある意味、殺人よりもアクロバティックだよ」

「ああ、そうだな。レールが消えてしまわないように慎重に乗るとするよ」

「頼んだよ、コトリー」ジャスティンはそう言って席を立つ。
「どこへ?」と聞くと「一応上には報告しておく」と返ってきた。

「絡んでないだろうか?」

「その反応を確かめる為さ」

「ふっ……、相変わらず性格が悪いな」

 ジャスティンは背中越しに手を振るとドアを開けて署長室に向かった。
 コトリーはひとり残された部屋で一服の煙を取り出す。
 古びたジッポを啼かせて煙で宙を焦がした。
 そしひと息ついた後、再びタブレットの男を睨みつけた。

*****

 真実への扉はいつも視界の中に存在する。
 積み重なる事象はすべてに意味がある。
 ガラス張りのビルの片隅で老人はほくそ笑む。
 ほほう、洞察に優れた鷹が爪を剥き出しにしておるぞ、と。

(第59話へつづく)
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