第53話 出会いは必然か、それとも偶然か

文字数 4,556文字

 邸宅の玄関先ではメイドが待ちかまえていた。
 招かれるままに中に入ると、スタッカートとあの時の女性が奥から出てくる。
 仲むつまじく、女性はスタッカートに寄り添っていた。

 女性は20代後半に見えたが、化粧上手な30代半ばにも見える。
 細身の体に厚めの上品な室内着。
 エディナは一瞬「財産目当て?」などど勘ぐったが、それは単なる思いこみかも知れないと口を噤んだ。

 気立ての良いその女性はすでに妻のような振る舞いを見せている。
 エディナは謙遜に満ちた淑女を演じねばと気後れしてしまった。

「もう籍を?」エディナはそれだけは確認したくて訊いた。
 スタッカートは「開口一番がそれか」と笑いながらも「エディナらしい」と口元を緩ませた。

「もう少し後だよ、エディナ」

「あら? もう奥さんみたいに馴染んでいるじゃないですか?」

「そう見えるのならたいしたものだな」スタッカートは上機嫌でエディナの問いに答える。

 女性はメイドに指示を出して一緒に給仕の手伝いをしていてふたりの話が耳には入っていないようだった。

「あの人も発明に登録したのよね?」エディナは急に小声で話し出す。

「そうだよ。ワシも人生の余興だと思って遊んでみたが、まさかあんな美人と知り合うとは思いもしなかったよ」

 ふたりがコソコソと話していると、「あら、内緒話?」と女性が近づいてきた。

「立ち話も何だから座らない?」

 女性の手招きで応接室のテーブルに移動した。
 高価そうな銀のティーポットに人数分のカップ。
 絢爛な室内がさらに華やかに彩られていた。

 女性はスタッカートの隣で寄り添いながら「この人のことを教えて」とねだるように言った。

「はは……、誤解は無用だよ、アンナ。その前に自己紹介がいるな。この娘はワシのビジネスの友人ヴァンガードの娘さんだよ」

「あら、それは聞いたわよ」

「じゃあ、何を知りたい?」

「どうしてあそこにいたのかを知りたい」

「それは本人に聞けよ」

 艶めかしいやりとりにエディナの顔は紅潮する。
 寄り添うようなふたりはとても羨ましく思えた。

「では改めて。私はアンナ」と手を差し出す。

 エディナもそれに応えて「エディナです。よろしく」と手を添えた。

「ふふ……、キレイな人ね」アンナは不敵に笑う。そしてエディナに直球の質問を投げかけた。

「エディナさん、あなたほどの美人がどうして?」

 エディナは何のことかわからずに困惑する。
 チラっとスタッカートの方を見ると目配せをして口をパクパクさせていた。
 どうやら「発明」のことのようだ。
 エディナは察して「え? あの発明のことですか?」と聞き返した。

「そうよ。裕福で美人、男は捨てるほどいそうなものだけど」

「そうかしら……」

「まあ色々あるんだろうけど、あの時の彼は今までの男に比べると魅力的なのかしら?」

 エディナは不意にジムのことを聞かれて動揺する。
 胸元に手を当てると鼓動が少しずつ速くなってくるのがわかった。

「魅力的よ」震える声でボソッと答える。

「ごめんなさいね、イヤなことも思い出させて」

「いえ」

「でも気になってね。あれからどうしてるの?」

「連絡先を交換する間もなくて……って、どうしてそこまで知っているの?」エディナはふと我に返って訊いた。

「見ていたもの。あなたが厳つい男に連れて行かれるのを。本当にビックリしたわよ。誘拐されたんじゃないかって思って。でもこの人が『問題ない』って言うから……」

 アンナはチラッとスタッカートを見る。
 彼は深く頷いて回想に耽っていた。

「そうね、問題はないわ。だって父の差し金ですもの」エディナは語気を強めて言った。

 アンナは言葉に怒りが混じってくるのを察して、「あら、ごめんなさい。これ以上はナンセンスね」と宥めるように言った。

 そして「色々聞かせてくれてありがとう。じゃあお返しに私の話をさせて」と続けた。

 アンナはそう言うとスタッカートに寄り添いながら話し始める。
 スタッカートは紅茶を嗜みながら静かに深く頷いた。

 
 アンナのルーツは中流家庭だと言う。
 父は産まれる前に他界したと、母から聞かされた。
 母は良家の出のようで中流家庭だった父との結婚はかなり反対されたそうだ。
 半ば駆け落ちのように家を出る形で同棲を始めたがアンナが生まれたことで疎遠が解消されたと言う。
 それは未熟児だったため度々病気になって、その都度祖父母の世話になったからだと聞かされていた。

 その後、アンナは父が残したと言われた財産で高校を卒業する。
 生活費は母が稼いでいたが幼心に母親の後ろに誰かの存在を感じていた。
 10数年前のこと、母の病床にて支援者の男性の存在について知らされた。
 だが、母はその素性については一切打ち明けなかった。
「あなたを支えている人がいる」とだけ告げ、その援助はこれからも続くからと言われた。

 アンナはそんな不思議な話があるわけがないと思っていた。
 母の死後もアンナの口座に毎月のように生活費が送金されてきて嘘ではないことを知る。
 だが素性のわからないお金に手を出すことに躊躇った。
 アンナは自分で大学費用を稼いで進学する。
 それでも卒業までの間ずっと送金はが止まることなかった。

 アンナが30歳になったとき、勤めていた会社の取引先のパーティーに出席することになった。
 その取引先とは新鋭のウェブビジネスに特化した会社で株式を上場するレベルにまで成長していた。
 アンナはそこでひとりの老人に出会う。
 もう70歳にもなろうかという紳士的な老人はパーティー会場の隅のほうで気ままに過ごしていた。
 老人はアンナを一瞥した後、気ままな人間観察を続けていく。
 その様子を見て「変な人だな」と思いながらも、潜在意識の奥底に彼の記憶を残していたように感じていた。
 アンナはすっと近づいて彼を観察した。

 そして「私のおじいさんだったりして」と冗談まじりに呟いた。

 それが聞こえたのか「残念ながらワシにはこんな綺麗な孫はおらんよ」という言葉が返ってきた。
 そして老人はその場からゆっくりとどこかへ立ち去ってしまった。


「それは初耳だな」スタッカートがアンナの告白を聞いて目を丸くする。

「ええ、これは私の人生の中でとてもミステリアスな部分なの」

「でも、さすがに資金援助してきたのが誰かはもうわかっているんだろ?」

「それがね、残念ながらわからないの。銀行に訊いても答えてくれないし」

「個人情報ってやつか。手を回せば色々と……」

 スタッカートの悪ノリに、「いらないわ。いずれわかるでしょうし。でも、できればお金は返したい」とアンナは制した。

「ははは、それは賢明だ。天国からの援助だとわかるまではね」スタッカートの軽口の横でアンナは少し寂しそうな顔をしていた。

 エディナはそれに気づいてこれ以上この話題にふれることはやめたほうがいいと思った。

「それで、アンナさんは何でこの発明に登録したんですか?」エディナは話題を変えようと訊く。

 アンナはその気遣いを察したのかにこやかに話し始めた。「それはね……」

 アンナが話し始めたとき「次は私の話も聞かせたほうがいいかな」とスタッカートがしゃしゃり出てくる。

 エディナは「よせばいいのに」と思いながらも「そうね、わたしたちを語るうえでは外せないかしら。私の知らないあなたを教えてよ」と興味深く笑った。

「ひょっとしたら、私の知らないおじさまを知ることができるかも」とエディナは笑った。


 スタッカートはビジネス街に勤める一介の商社マンだった。
 金融に目覚めたのは30歳を過ぎた頃、頭打ちだった業界に見切りをつけて転職。
 その後、金融業界に追い風が吹いたこともあって一気に資産家への道を歩み始める。
 金融バブルの崩壊を何度も経験しながらも、スタッカートは持ち前の強運と危機回避能力で業界を生き残ってきた。
 アンナと出会う前に何度か結婚もしたが長くは続かなかった。
 最後の離婚が45歳のとき。
 それから10数年は独身貴族を満喫していた。

「あら、それで終わり?」アンナは意地悪に言う。

「昔の恋愛を聞きたいかい?」スタッカートも意地悪に言う。

「破綻した結婚生活は今後の参考になるのかしら?」

「よしてくれよ。なるわけがない。君は今までの女性とは違うよ」

「あら、気味が悪いわね。でも、過去を責めても意味がないわ。私は今のあなたが好きだから」

「おやおや、人前ではしたない」

「こら、そこは『僕もだよ、ハニー』とか言うところじゃなくて?」

「よしてくれよ」

 スタッカートは頬を真っ赤にして照れ笑いで顔を崩している。
 アンナはその表情が好きなのだろうか、とても優しい顔でスタッカートを見つめていた。
 エディナは目のやり場に困ると思いながらも幸せそうなふたりに心が満たされていく。

「ふざけるのはここまでね。じゃあ、ふたりの出会いを話してあげる」アンナはそう言うと、静かに話し始めた。

 ふたりの出会いは発明を介して。
 スタッカート55歳、アンナ35歳のとき。
 それぞれの元に差出人不明の謎の封筒が届いた。

 スタッカートは多忙だったため、それに気づいたのは届いてから1週間が過ぎた頃だった。
 休日になってに郵便物の中から例の封筒を見つけたスタッカートは口元を緩ませながら封を解く。
 そして「これが例の……」と呟きながらマイクロカードをパソコンに差し込んだ。
 
 アンナが気づいたのは到着して間もない頃。
 オフィスから帰宅して郵便受けに無造作に入っていた封筒を見つけた。
 気分転換になりそうだと冒険心が目を覚まして躊躇いなく登録をした。

 そしてふたりは発明の中で出会った。
 ジムやエディナと同じように現実と何ら変わりのない夢の中で偶然の出会いを果たす。

 先に声を掛けたのはスタッカートだった。
 アンナは思いも寄らぬ年上の紳士からのアプローチに放心だったが人柄の良さそうな彼を徐々に受け入れていった。
 ともに偽りのない登録のおかげでミュージアムホールではすぐにお互いを見つけることができた。
 コンサートの音色の中、アンナはまさぐるように皺だらけのスタッカートの手を握りしめた。
 スタッカートはアンナの耳元でそっと「ありがとう」と囁いた。


 ふたりの話し上手はエディナを感心させた。
 時折照れた仕草を見せるふたりはとても微笑ましい。
 このふたりの関係がとても羨ましかった。
 エディナは決意する。
 このふたりになら話せそうだ。
 口を結んで姿勢を正したエディナは徐ろに視線をふたりに向けた。

*****

 神は人を救うだろうか。
 信じるものだけを救うだろうか。
 小高い丘の上から街を眺めて老人は呟く。
 救いの正体は自意識の向きに委ねられる、と。

(第54話へつづく)
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