第61話 闇の中で咲く疑念の芽
文字数 4,647文字
トムはオフィスを出て、人目を気にしながら奥のエリアに続く廊下へと出た。
ずっと後方を気にしたまま、何度も振り返った。
ジムは尾行を悟られまいと間隔を空けて人混みに紛れる。
スマートフォンを眺めながら下を向き、時折わざとブツかるそぶりをする。
トムは彼に気づかないまま、二階へと上がって行った。
踊り場をターンし終え姿が消えたのを見計らってから、ジムは慌てて二階へと駆け上がった。
分署の二階には特殊な事件を担当する部署や会議室、武器庫などがある。
サイバー犯罪に対応する電脳捜査課、麻薬などの取り締まりを受け持つ麻薬捜査課などである。
肩身が狭いのは麻薬捜査課。
ネットでの取引が主な現在、サイバー捜査の手を借りずに済む案件はほとんどなかった。
トムが向かった先はこじんまりとした麻薬捜査課の方だった。
ジムはこんなところに何の用があるのだろうかと訝しがる。
トムはなおも周囲を気にしながら歪んで軋む木の扉を開けて中に消えていく。
ジムは扉の前で聞き耳を立てるが微かな音しか聞こえない。
止むを得ずコトリーに行き先をメールしてデスクへと戻った。
ジムはトムと麻薬捜査課との関係が気になって署内人員配置のページを検索する。
捜査員の一覧にはベテランのアナログっぽい顔をした年輩の刑事がずらっと並んでいて、彼と関係がありそうな人間は一見して分からなかった。
ほどなくしてコトリーからの返信が入る。
「ご苦労」の一言だけ。
ジムはコトリーが何を考えているのかもわからなかった。
蚊帳の外のジムは熟考する。
それでも背景はまったく見えない。
コトリーはなぜトムが不審な動きをすると予測できたのだろうか。
彼のメールには「トムが今からどこかへ行くだろう。その場所を教えてくれ。くれぐれも見つからないように」と書かれていた。
ジムは熟考しても答えが出そうになかったので、「コトリー刑事。どうしてトムの動きがわかったのですか?」とメールを返す。
すると瞬く間に返信が返ってきた。
ジムはそれを読んだあとデスクから立ち上がる。
そして、返信の内容に従ってオフィス奥の取調室へと足を運んだ。
取調室をノックして入るとそこにはコトリーが待っていた。
まるでジムの行動をも予測しているかのようだ。
ジムは一瞬たじろいだ後、パイプ椅子に座ってコトリーと対峙する。
コトリーは薄ら寒い笑顔をしていて背筋が凍る思いで彼を見つめた。
「どうして?」
「ふ……、まあ逸るな」
コトリーはジムの顔色を窺いながら予め用意していた珈琲を差し出す。
ジムはそれに手をつけることもなく、じっと見つめたままだ。
コトリーは構わず珈琲を喉に流し込んだ。
「いい頃合いだ」
コトリーは喉元を過ぎる熱を嗜みながら、なおも薄ら笑いを浮かべている。
ただただ薄気味悪いだけでこれまでの自分の知る彼ではないと感じていた。
「どうして? あらかじめ知っていたように思えましたが……」
「ああ、トムの行動か? そうだよ。想定の範囲内だ」
「何故?」
「ふふふ……」
コトリーはなおも不気味な笑いを堪えている。
ジムは不気味さよりも苛立ちが募ってきた。
視線が鋭く、表情から優しさが消えていく。
「まあ、そう焦るな」感情を見抜くコトリーのジャブ。
「いえ……」悟られまいと平静を装う声が震えている。
「そうだ、ジムよ。今の社会に不満はあるか?」
「社会に不満? ないと言えば嘘になるでしょうが……」
「そうだ。物質的には満たされているだろう」
どうしてこんな回りくどい言い回しをしてくるのか。
言葉の裏が読めずに更に表情が険しくなる。
「でも、どうだ。これだけ便利な世の中にあって、人の欲求は満たされることはない。違うか?」
「えっ? それは人は際限がなく貪欲だからという意味でしょうか?」
「貪欲……ね。まあ、そうとも言える。ジムよ、人の欲の質について考えたことはあるか?」
「欲の質? おっしゃっている意味が……」
「よくわからないか。なら、こう言い換えるとしよう。ジム、君が幸せだと思うときはどんなときだ?」
「幸せ? さあ、何かを達成したときとかでしょうか?」
「駐車違反を捕まえたら幸せを感じるか?」
「いや……、別に……」
「じゃあ犯人を捕まえたらどうだ?」
「あんまり経験はないですが、違反を捕まえるよりは……」
「ふ……、君は正直だな。でも仕事上のことで我々警察官が得る幸せというのは、正直なところ達成感を伴っても幸福感とは無縁だろう。すべてにおいて、誰かのネガティブな感情が入り混じる。自業自得だとしても誰かが結果として不幸になるのだから。そんな状況で幸せを感じるのは一部の人間だけだろう」
コトリーが饒舌になる。
ジムは場の雰囲気が少しづつ変わりつつあると感じた。
「なんとなく理解できますが、そんな話をするために私をここへ呼んだのですか? そんなこととトムの行動との関連がわからない」
「まあ聞け。人間とはバランスを取るものだ。幸せだとしても不幸になるかもしれないという恐怖感を抱き、不幸だとしてもいつか幸せになれるかもしれないと期待を抱く。する必要のない心配をして悩むのが人間ってものだ。違うか?」
「まあ、わからないことはないですが……」
ジムはコトリーの真意がまったく読めない。
この会話の果てにトムの行動の意図が隠されているとはとても思えない。
苛立ちが募るが、彼は無駄な話をする人間でなかったはずだ。
「ジム、君はトムと同じ職場にいる。無味乾燥と言えば聞こえは悪いが、日々がとても長く感じるだろう。我々の刑事課だってあの事件が起きるまではただの暇つぶしで余生を送るところだった。でも警察官としてのプライドや志願した頃の心意気は残っているだろう?」
「そりゃ、もちろん」
「君だって、あの事件の存在には心が躍るだろう?」
「さすがにその質問に『はい』とは答えかねますが……」
「ふふ……、まあいいさ。警察官なんてそんなものだ。誰かの不幸がエサみたいなものさ」
コトリーの意地の悪い質問にジムは顔をひきつらせている。
その表情をコトリーは楽しんでいるようだ。
「ジム、君があの発明に登録したときの気持ちを覚えているかね?」
唐突に具体的な質問がジムを刺した。
「えっ?」
過去を振り返るように、ジムは「あのとき」を思い出す。
「何もない街だ。ここはね。数年前から事件という事件は起こっていない。ビジネス街でたまに起きるいざこざにしろ、秘密裏に行われるサイバー犯罪にしろ、分署の現場志向の我々にはほとんど関係がない。そんな日常に埋没していく中で、何かしらの変化を期待したんじゃないのか?」
ジムはそのコトリーの指摘が心に刺さったように感じた。
何もないことを期待しながらも、何かが起こることで自分の存在に光が射す。
そんな日常が何年も続いていたことを思い出す。
「君が変化をプライベートに求めたように、変化を別のかたちで求めたものもいる」
「えっ? まさか……」
「そうだ。それがトムだよ」
「そんな! あの事件が彼の仕業だって言うのですか!」
ジムの声が自然と大きくなる。
コトリーは指を立てて「静かに」と小声で諭した。
「まだ容疑の段階だが最重要の容疑者であることに変わりはない」
コトリーの告白にジムは頭が真っ白になる。
いつも一緒に行動をともにし、この街を守ってきた同僚のトムが殺人を犯すなんて。
ジムは信じがたい憶測に反抗せざるを得なかった。
「そこまで言われるのなら、具体的な、そう証拠のようなものはあるのですか?」
「それは教えられない。ただし、彼の行動は我々の予測の範疇にある。今日の行動もそうだし、おそらく明日以降さらに動きが活発になるだろう。これはジャスティンの見立てではあるがね」
「そんな……」
「でも思い出したまえ。彼のこれまでの行動を。会話の中で不自然なことがなかったか? 彼の経歴はどうだ?」
「経歴?」
「調べてみたらどうだ。あとでゆっくりとな。まあ、彼には気づかれるなよ」
「気づかれるなって……。今までと同じようになんて、できるかどうか分かりません」
「ふふ……、まあ向こうがこっちに気づいているけどな」
「あの部屋に仲間がいるとでも?」
「可能性は否定しない。だが、あの部屋への目的は別だよ」
「別?」
「それはなんですか?」
「まあ、知らないほうがいいがね。さっきだいぶプレッシャーを掛けたからな。心理的に耐えられなくなってきたのだろう」
「おっしゃってる意味が……」
「ふふ……。まあ、彼の心に何も疚しいことがなければ我々の芝居も無視できるだろうがね。でも、あんな些細なことでも敏感に反応するあたり相当な重圧があるはずだ」
「重圧? それが証拠とか言わないでくださいよ」
「言わないよ、さすがに」
コトリーは言葉を選びながら確信だけは外して話を続けている。
ジムは少しずつ嵌まるピースを繋げるしかなかった。
「ジャスティンの性格の悪さが俺にも移ってきたかもしれんな」
コトリーはそう言うと小声でジムに囁く。
「警察の闇だよ、あそこは。非日常を体験するには……」
コトリーはそう言い残して後ろ手を振りながら取調室を出て行った。
ジムはそれを呆然と眺めながら、同じ分署の中に別世界がある違和感を感じていた。
おそらくは麻薬の横流しなんだろう。
ジムは拙い想像力で彼の言葉から想像を巡らせる。
だとしてもトムがそんな世界に手を染めていたとは信じがたい事実だ。
これまでの彼との時間が崩壊して、そこに新たな意味が書き加えられようとしている。
ひょっとしたらトムはあの発明と繋がりがあるのだろうか。
コトリーは「トムの経歴を調べろ」と言っていた。
それを調べればESCに関連する何かが彼の経歴から見つかるのだろうか。
ジムは逸る心を抑えながら取調室を後にする。
周りを見回して誰かに見られないようにと気を配る。
ふと気になってトムが消えた階上の踊り場にも目を遣るがそこに人影はなかった。
安堵に胸を撫で下ろしながらジムは自分のデスクへと戻っていく。
だが、ジムは気づかずにいた。
階上の踊り場に身を潜めていた影。
影はコトリーとジムがそれぞれ時間をズラして取調室から出てきたのを目撃していた。
それは偶然のことだった。
影は取調室を出るコトリーを見つけて、咄嗟に踊り場に身を潜めた。
後ろ手に手を振り、中に誰かがいると感づく。
そして、その後に出てきたのがジムだった。
息を潜めて、踊り場に伏せて彼を凝視する。
ジムはその視線を察知したのだろう。
影は再び二階へと忍び足で戻る。
そして、麻薬捜査課の扉を再び開けて中へと消えていった。
*****
集中は視界を殺ぎ客観を盲目にする。
客観は視界を開き主観を盲目にする。
暗く堆く積まれた捜査書類の麓で老人は笑う。
闇は絶対的な悪でもなく光と相対する存在でもない、と。
(第62話につづく)
ずっと後方を気にしたまま、何度も振り返った。
ジムは尾行を悟られまいと間隔を空けて人混みに紛れる。
スマートフォンを眺めながら下を向き、時折わざとブツかるそぶりをする。
トムは彼に気づかないまま、二階へと上がって行った。
踊り場をターンし終え姿が消えたのを見計らってから、ジムは慌てて二階へと駆け上がった。
分署の二階には特殊な事件を担当する部署や会議室、武器庫などがある。
サイバー犯罪に対応する電脳捜査課、麻薬などの取り締まりを受け持つ麻薬捜査課などである。
肩身が狭いのは麻薬捜査課。
ネットでの取引が主な現在、サイバー捜査の手を借りずに済む案件はほとんどなかった。
トムが向かった先はこじんまりとした麻薬捜査課の方だった。
ジムはこんなところに何の用があるのだろうかと訝しがる。
トムはなおも周囲を気にしながら歪んで軋む木の扉を開けて中に消えていく。
ジムは扉の前で聞き耳を立てるが微かな音しか聞こえない。
止むを得ずコトリーに行き先をメールしてデスクへと戻った。
ジムはトムと麻薬捜査課との関係が気になって署内人員配置のページを検索する。
捜査員の一覧にはベテランのアナログっぽい顔をした年輩の刑事がずらっと並んでいて、彼と関係がありそうな人間は一見して分からなかった。
ほどなくしてコトリーからの返信が入る。
「ご苦労」の一言だけ。
ジムはコトリーが何を考えているのかもわからなかった。
蚊帳の外のジムは熟考する。
それでも背景はまったく見えない。
コトリーはなぜトムが不審な動きをすると予測できたのだろうか。
彼のメールには「トムが今からどこかへ行くだろう。その場所を教えてくれ。くれぐれも見つからないように」と書かれていた。
ジムは熟考しても答えが出そうになかったので、「コトリー刑事。どうしてトムの動きがわかったのですか?」とメールを返す。
すると瞬く間に返信が返ってきた。
ジムはそれを読んだあとデスクから立ち上がる。
そして、返信の内容に従ってオフィス奥の取調室へと足を運んだ。
取調室をノックして入るとそこにはコトリーが待っていた。
まるでジムの行動をも予測しているかのようだ。
ジムは一瞬たじろいだ後、パイプ椅子に座ってコトリーと対峙する。
コトリーは薄ら寒い笑顔をしていて背筋が凍る思いで彼を見つめた。
「どうして?」
「ふ……、まあ逸るな」
コトリーはジムの顔色を窺いながら予め用意していた珈琲を差し出す。
ジムはそれに手をつけることもなく、じっと見つめたままだ。
コトリーは構わず珈琲を喉に流し込んだ。
「いい頃合いだ」
コトリーは喉元を過ぎる熱を嗜みながら、なおも薄ら笑いを浮かべている。
ただただ薄気味悪いだけでこれまでの自分の知る彼ではないと感じていた。
「どうして? あらかじめ知っていたように思えましたが……」
「ああ、トムの行動か? そうだよ。想定の範囲内だ」
「何故?」
「ふふふ……」
コトリーはなおも不気味な笑いを堪えている。
ジムは不気味さよりも苛立ちが募ってきた。
視線が鋭く、表情から優しさが消えていく。
「まあ、そう焦るな」感情を見抜くコトリーのジャブ。
「いえ……」悟られまいと平静を装う声が震えている。
「そうだ、ジムよ。今の社会に不満はあるか?」
「社会に不満? ないと言えば嘘になるでしょうが……」
「そうだ。物質的には満たされているだろう」
どうしてこんな回りくどい言い回しをしてくるのか。
言葉の裏が読めずに更に表情が険しくなる。
「でも、どうだ。これだけ便利な世の中にあって、人の欲求は満たされることはない。違うか?」
「えっ? それは人は際限がなく貪欲だからという意味でしょうか?」
「貪欲……ね。まあ、そうとも言える。ジムよ、人の欲の質について考えたことはあるか?」
「欲の質? おっしゃっている意味が……」
「よくわからないか。なら、こう言い換えるとしよう。ジム、君が幸せだと思うときはどんなときだ?」
「幸せ? さあ、何かを達成したときとかでしょうか?」
「駐車違反を捕まえたら幸せを感じるか?」
「いや……、別に……」
「じゃあ犯人を捕まえたらどうだ?」
「あんまり経験はないですが、違反を捕まえるよりは……」
「ふ……、君は正直だな。でも仕事上のことで我々警察官が得る幸せというのは、正直なところ達成感を伴っても幸福感とは無縁だろう。すべてにおいて、誰かのネガティブな感情が入り混じる。自業自得だとしても誰かが結果として不幸になるのだから。そんな状況で幸せを感じるのは一部の人間だけだろう」
コトリーが饒舌になる。
ジムは場の雰囲気が少しづつ変わりつつあると感じた。
「なんとなく理解できますが、そんな話をするために私をここへ呼んだのですか? そんなこととトムの行動との関連がわからない」
「まあ聞け。人間とはバランスを取るものだ。幸せだとしても不幸になるかもしれないという恐怖感を抱き、不幸だとしてもいつか幸せになれるかもしれないと期待を抱く。する必要のない心配をして悩むのが人間ってものだ。違うか?」
「まあ、わからないことはないですが……」
ジムはコトリーの真意がまったく読めない。
この会話の果てにトムの行動の意図が隠されているとはとても思えない。
苛立ちが募るが、彼は無駄な話をする人間でなかったはずだ。
「ジム、君はトムと同じ職場にいる。無味乾燥と言えば聞こえは悪いが、日々がとても長く感じるだろう。我々の刑事課だってあの事件が起きるまではただの暇つぶしで余生を送るところだった。でも警察官としてのプライドや志願した頃の心意気は残っているだろう?」
「そりゃ、もちろん」
「君だって、あの事件の存在には心が躍るだろう?」
「さすがにその質問に『はい』とは答えかねますが……」
「ふふ……、まあいいさ。警察官なんてそんなものだ。誰かの不幸がエサみたいなものさ」
コトリーの意地の悪い質問にジムは顔をひきつらせている。
その表情をコトリーは楽しんでいるようだ。
「ジム、君があの発明に登録したときの気持ちを覚えているかね?」
唐突に具体的な質問がジムを刺した。
「えっ?」
過去を振り返るように、ジムは「あのとき」を思い出す。
「何もない街だ。ここはね。数年前から事件という事件は起こっていない。ビジネス街でたまに起きるいざこざにしろ、秘密裏に行われるサイバー犯罪にしろ、分署の現場志向の我々にはほとんど関係がない。そんな日常に埋没していく中で、何かしらの変化を期待したんじゃないのか?」
ジムはそのコトリーの指摘が心に刺さったように感じた。
何もないことを期待しながらも、何かが起こることで自分の存在に光が射す。
そんな日常が何年も続いていたことを思い出す。
「君が変化をプライベートに求めたように、変化を別のかたちで求めたものもいる」
「えっ? まさか……」
「そうだ。それがトムだよ」
「そんな! あの事件が彼の仕業だって言うのですか!」
ジムの声が自然と大きくなる。
コトリーは指を立てて「静かに」と小声で諭した。
「まだ容疑の段階だが最重要の容疑者であることに変わりはない」
コトリーの告白にジムは頭が真っ白になる。
いつも一緒に行動をともにし、この街を守ってきた同僚のトムが殺人を犯すなんて。
ジムは信じがたい憶測に反抗せざるを得なかった。
「そこまで言われるのなら、具体的な、そう証拠のようなものはあるのですか?」
「それは教えられない。ただし、彼の行動は我々の予測の範疇にある。今日の行動もそうだし、おそらく明日以降さらに動きが活発になるだろう。これはジャスティンの見立てではあるがね」
「そんな……」
「でも思い出したまえ。彼のこれまでの行動を。会話の中で不自然なことがなかったか? 彼の経歴はどうだ?」
「経歴?」
「調べてみたらどうだ。あとでゆっくりとな。まあ、彼には気づかれるなよ」
「気づかれるなって……。今までと同じようになんて、できるかどうか分かりません」
「ふふ……、まあ向こうがこっちに気づいているけどな」
「あの部屋に仲間がいるとでも?」
「可能性は否定しない。だが、あの部屋への目的は別だよ」
「別?」
「それはなんですか?」
「まあ、知らないほうがいいがね。さっきだいぶプレッシャーを掛けたからな。心理的に耐えられなくなってきたのだろう」
「おっしゃってる意味が……」
「ふふ……。まあ、彼の心に何も疚しいことがなければ我々の芝居も無視できるだろうがね。でも、あんな些細なことでも敏感に反応するあたり相当な重圧があるはずだ」
「重圧? それが証拠とか言わないでくださいよ」
「言わないよ、さすがに」
コトリーは言葉を選びながら確信だけは外して話を続けている。
ジムは少しずつ嵌まるピースを繋げるしかなかった。
「ジャスティンの性格の悪さが俺にも移ってきたかもしれんな」
コトリーはそう言うと小声でジムに囁く。
「警察の闇だよ、あそこは。非日常を体験するには……」
コトリーはそう言い残して後ろ手を振りながら取調室を出て行った。
ジムはそれを呆然と眺めながら、同じ分署の中に別世界がある違和感を感じていた。
おそらくは麻薬の横流しなんだろう。
ジムは拙い想像力で彼の言葉から想像を巡らせる。
だとしてもトムがそんな世界に手を染めていたとは信じがたい事実だ。
これまでの彼との時間が崩壊して、そこに新たな意味が書き加えられようとしている。
ひょっとしたらトムはあの発明と繋がりがあるのだろうか。
コトリーは「トムの経歴を調べろ」と言っていた。
それを調べればESCに関連する何かが彼の経歴から見つかるのだろうか。
ジムは逸る心を抑えながら取調室を後にする。
周りを見回して誰かに見られないようにと気を配る。
ふと気になってトムが消えた階上の踊り場にも目を遣るがそこに人影はなかった。
安堵に胸を撫で下ろしながらジムは自分のデスクへと戻っていく。
だが、ジムは気づかずにいた。
階上の踊り場に身を潜めていた影。
影はコトリーとジムがそれぞれ時間をズラして取調室から出てきたのを目撃していた。
それは偶然のことだった。
影は取調室を出るコトリーを見つけて、咄嗟に踊り場に身を潜めた。
後ろ手に手を振り、中に誰かがいると感づく。
そして、その後に出てきたのがジムだった。
息を潜めて、踊り場に伏せて彼を凝視する。
ジムはその視線を察知したのだろう。
影は再び二階へと忍び足で戻る。
そして、麻薬捜査課の扉を再び開けて中へと消えていった。
*****
集中は視界を殺ぎ客観を盲目にする。
客観は視界を開き主観を盲目にする。
暗く堆く積まれた捜査書類の麓で老人は笑う。
闇は絶対的な悪でもなく光と相対する存在でもない、と。
(第62話につづく)