第92話 意図された轍の彼方に

文字数 3,949文字

 翌日、久しぶりの陽気が街を包んだ。
 ジムは薄手のウインドブレーカーをアウターにカジュアルなワイシャツをインナーに選んだ。
 明るめのネクタイをしてみると少し軽く見えそうだ。
 春色を包んだハイセンスな紙袋を片手に、慣れないスイーツ専門店で流行りをチョイスしてもらう。

 聞き慣れないスイーツを手にジムはアベニューを歩いていく。
 寒空に支配されていた昨日までとは違って、日差しがある分すべてのものが明るく見える。
 人の表情も穏やかだし、店先もカラフルな彩りを見せている。
 活気に満ちた往来の人だかりも気分を盛り上げてくれていた。


 ジムはアベニューの一角からバスに乗る。
 セントラル病院まで歩けなくもないが時間が惜しかった。
 ちょうど来たバスに反射的に乗り込む。
 空席が目立つ時間帯だったがいつものように最後尾の席に座った。

 車内には子連れの母親と老婆が座っていて数人の学生らしき若者が立ったまま喋っている。
 ジムは微笑ましく彼らを眺めながらこれ以上の惨劇が起きないことを祈っていた。
 特別捜査班に合流して一週間になるが、その最前線に身を起きながらも遅々として進まない捜査に苛立ちもある。
 数多くの資料と証拠を列挙しつつ、決定的なものが何も存在しない。
 この状況では一般捜査員に情報が降りてくるはずもなかった。

 ジャスティンはESCと事件の関連を疑ってはいるが殺害に関してはジョセフの関連を疑っている。
 そのふたつの関係は業務上の連携に見えるのだがその質に疑問を抱いている。
 ジムを含め特別捜査班の一同はその意見に賛同していて、これを立件するに至る証拠探しに奔走している。
 ある程度の状況証拠でもなければ任意で事情を訊くことも難しい。
 憶測で誤った方向へ迷い、時間をロスすることは避けたかった。

 ジムはふと我に返る。
 せっかくの休日なのに頭の中は事件のことだらけだ。
 リフレッシュもまた新しい思考の礎になるはずだと言い聞かせるように頭を振って忘れようとする。
 それでも、沈黙が続けば脳裏に捜査資料が浮かんでくるから厄介だ。


 バスがアベニューを抜けて、ショッピングストリートから灰色のビジネス街へと進路を変える。
 華やかな彩りが一転して暗色に満ちた冷たい景色になった。
 日差しが高いビルで遮られると急に寒くなってきたように感じる。
 ジムは薄着すぎたかなと思いながら、身を縮めるように両腕をさすった。


 バスがビジネス街を抜け、光を取り戻した車内に暖気が再び訪れた頃、通りの向こうにセントラル病院が見えてきた。
 ゆっくりとレンガ造りのロータリーをガタガタと揺れながら入っていくと、プシューという音とともにバスは正面玄関前で停まった。
 ジムはバスを降りて、ふぅと息を吐く。
 見上げるとガラス張りの立派な玄関が威嚇するように聳えている感じがした。

「病院って慣れないな」

 ジムはそう呟いてから意を決して中へと入っていく。
 前に来たときよりも冷静な自分を感じながら受付カウンターに歩いていく。
 まだ昼前で受付は外来診察の患者で混んでいた。
 ふと気づけば看板に面会は午後からと書かれてある。
 ジムはしまったなと思いながら時計を見る。
 あと30分ほど時間を潰さなければならない。
 さすがに時間を無視して病室に行くわけにもいかないので院内カフェで時間を過ごすことに決めた。

 外来診察が終わって人混みがマシになったら改めて尋ねてみよう。
 エディナが逃げていくわけでもあるまいし。
 ジムはエントランスの一角にあるオープンカフェでカフェオレを注文して席に座った。

 そのカフェは10人程度が座れるカウンター席とテラスフロアにテーブル席が4つほどあり、入院患者らしき病衣の人が何人か午後のひとときを過ごしていた。
 比較的動けると暇なんだろうなと思いながら、色んな入院生活があることを知る。
 ふと周りを見回すと、家族とエントランスで談笑したり歩行器で動き回っている患者もいた。
 意外とアクティブだなと思っていると注文のカフェオレが手元に届いて焦った。

 カフェラテの甘い匂いが脳内を刺激する。
 喉を灼く甘さが心地よく、ジムの緊張を少しずつ解していく。
 時間の流れがゆったりと感じられて、夢の中でエディナと訪れたカフェのことを思い出した。
 今度は現実世界であの店にふたりで行きたい。
 あの日解かれた糸を再び絡めるにはきっと縁深い何かが必要なのだろう。


 時計の針が揺れて正午を指した。
 それでもジムはまだ動かなかった。
 午前診の外来の駆け込みはまだまだ衰えてはいない。
 特に急ぐ必要もなかったので気長に待つことにした。
 時折緊急コールや連絡が入っていないかの確認をしながら、徐々に冷たくなっていくカフェオレにつきあう。
 保温の効かない陶器のカップは院内の暖気だけが頼りだ。
 カフェオレは底が近づくにつれて冷たさが勝っていく。
 気がつけば指先に冷たさが走ってきた。
 頃合いかなと思いながら、ジムはそれらを片づけて受付カウンターに向かった。

「あの、ちょっとお尋ねしたいのですが……」

 ジムは後ろ髪を束ねている小柄な女性職員に声を掛ける。
 丁寧な応対で「どうなさいましたか?」と返ってきた。

「こちらに友人が入院していたのですが……。そう、一週間ほど前からです。そのときにこちらに窺った際に……、その面会謝絶と聞きしまして……」

「お調べしますね。患者さんのお名前は?」

「エディナ……、エディナ・ヴァンガードです」

 職員は手元のパソコンで検索する。
 前と同じ答えではないことを祈りながら待った。
 前回のときよりも時間が掛かっていることを訝しがりながらじっと答えを待つ。
 すると職員が奥のスペースに消えていって他の職員と話し始めた。
 まだ解かれていないのだろうか。
 ジムに悲観的な憶測が襲ってきた。

 しばらくして職員が戻ってきた。
 そして、神妙そうな顔つきで「ヴァンガードさんは現在こちらにおられません」と答えた。

 ジムには意味がわからなかった。
 戸惑いの中「おられないって?退院したとでも?」と聞き返す。

「そうですね。でも自宅療養か転院かについてはお答えいたし兼ねます」

「どう言うことですか?」

「これ以上はなんとも……。今は入院患者のリストにはありませんのでそうとしかお答えできません」
 弱々しい答えだがそれ以上の答えが返ってきそうにもない。
 これ以上長居しても無意味だと悟った。

「個人情報ってやつですかね?」

「ええ」

 ジムはやるせない気持ちになる。
 一週間は間を置きすぎたのだろうか。
 それにしても……。

 ジムが思慮に耽っていると、「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」と職員が訊いた。

「なぜ?」ジムには彼女の言葉の意図がわからない。

「男性の方が来たら、と伝言を承っているのですが……」

「そうですか。私はジム、ジム・ゴードンと言います。私宛でしょうか?」

 ジムの言葉を聞いて職員は安心したのか「ゴードン様、スタッカート様より名刺を預かっております」と明るい声が返ってきた。

 ジムは職員から一枚の名刺を受け取る。
 表にはヴィンセンツ・スタッカートと書かれていてウェブにもあった金融会社の名前が彫られていた。
 何気なく裏を見るとメッセージが書いてある。
 あのメモと同じ筆跡だった。

「ジムへ。エディナは訳あって今は会いたくないと言っている。今は自宅で療養中だが命に関わるケガではないから安心をしろ。時を待て。スタッカート」

 何だがよく分からないメッセージだった。
 あんた何者だよと思わざるを得ない文面で、裏を読めば「今は自宅にいるから頑張れ」とも読めてしまう。
 何を考えているんだろうか。
 この男の意図が不明すぎてもやもやする。

「この男性はエディナのお父さん?」思わず職員に聞いてみる。
 知っているとも思えないが、と聞いた自分が恥ずかしくも思った。

「いえ……、さすがにそこまでは……。でも、この方はどこかの会社の人みたいだし、会いに行ってみればいいんじゃないでしょうか?」

 職員が踏み込んで訊いてきたのでジムはハッと我に返った。
 その手があったかと思うが肩書きによれば会長と書いてある。
 会社に行っても会えるものだろうか。

 ジムは名刺の表裏を何度も読み返して手掛かりを探る。
 すると、「ケガ」という文字が妙に印象深く目に飛び込んできた。
 それを見て、たぶんこの人は味方かも知れないと思った。
 言えないまでも色々と情報を発信してくれている。
 ひょっとしたらエディナあるいはその家族が会うことを拒んでいるのだろう。
 だが、この男はヒントを与えて「動け」と言っているように感じた。

「会ってみるか。簡単ではなさそうだが……」

 ジムは職員に一礼をするとそのまま玄関へと向かう。
 名刺を見ながら住所を確認すると見覚えのある住所だった。
 その住所は本署と同区画で番地まで一緒、ここからも近かった。
 ジムは名刺を財布にしまうと、喉元までファスナーを上げてレンガ造りのロータリーを歩いて行った。

*****

 言葉には表層に宿る意味と深層に潜む意図がある。
 書き手と読み手の共通意識がそれを発見させる。
 エントランスの片隅でアールグレイを嗜みながら老人は呟く。
 どんな孤独にも一抹の救いはあるものだ、と。

(第93話につづく)
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