第49話 巡る思考だけが孤独を癒してくれる
文字数 3,488文字
ジムは部屋に戻ると電気もつけずにジャンパーをソファーに投げつけた。
苛立ちと焦燥の中、やり場のない感情が疼き投げやりな自分を増幅させる。
ふと窓の外を見ると闇の中に街並みが溶けていた。
やがて純白に埋もれていくのだろうか。
雑踏の呻きや怨嗟でさえも零下に世界に引きずり込む。
絶望にまみれた純白の重なりは街を静かな眠りへと誘っているように思えた。
ジャンパーが無造作にソファを這い蹲る。
それを横目に、ジムは冷え切った革に身を委ねるように座った。
感情の高ぶりで灼けた肌が徐々に冷やされていった。
そんなジムの視線の先に電源を切り忘れたデスクトップが幾何学的なカラフルに身を捩らせていた。
時折ハードディスクの音が鳴る。
沈黙の空間に棲む音は動悸と無機質な空音だけ。
静寂が孤独を体に刻み込んでいく。
ジムはひとときの沈黙を過ごした後、ケトルに冷水を注ぎ込んだ。
蒸気で部屋が充満する様を眺めながらラテの粉をカップに入れる。
粉はサラサラとカップの縁を舐めるように転がってわずかばかりの冷水に溶けていく。
不意にケトルが泣く。
ジムはカップに熱湯を注ぎ込むと、粉は泡立ちながらベージュへと色を変えた。
フチにしがみついた泡が表面を支配し、ゆっくりと動きを失っていく。
ジムは暖を喉に流し込む。
伝うように、沁みるように熱が身体の中を駆け巡っていく。
ジムは身悶え震えを押さえ込む。
そして一息ついた後、おもむろにデスクトップをノックした。
数秒のロスを置いていつもの初期設定の画面が現れる。
ハードディスクがカタカタと鳴りファンの音が無音の空間を支配し始めると、デスクトップにメール受信の文字が踊った。
ジムは「どうせDMだろう」と無視を決め込んでブラウザを開放する。
現れた画面にはその日に起きた様々なニュースがトップ画面に現れてタスクバーが所狭しと踊っていた。
ジムは検索バーに「ジョセフ・ゴールドマン」と入力してキーを叩く。
数秒のロスの後、様々な検索結果が表示された。
画像や映像も軒並みヒットしたがその中にあの男はいなかった。
どうやら同姓同名の俳優がいるようでその男の写真と映像、ニュースの記事で埋め尽くされている。
ジムは落胆の表情を浮かべながらデスクチェアを軋ませた。
個人情報が筒抜けの今でも限界があるようだ。
ジョセフを知る唯一の手掛かりだと思ったがさすがに一般の検索で浮かび上がるほどの有名人ではなかったようだ。
ジムはしばし天井を仰いでいたが、一息ついた後再び画面を眺めた。
見慣れた俳優のベストショットに苦笑しながら闇に埋もれた真実を知りたいと願う。
おもむろに画面をスクロールさせながら検索結果をなぶるように眺めた。
諦めの悪い指先はマウスを転がし続けたが何一つ琴線にふれるものはなかった。
ジムはふと配給のタブレットを立ち上げる。
ジャスティンに名刺は見せたことを思い出し進展を期待した。
逸る気持ちを抑えながら事件のページを展開させる。
だが、彼に関する更新はなかった。
「まだか……」
ジムはポツリと言葉を吐き流す。
そしてページに踊ったESCメディアカンパニーのロゴを凝視した。
この企業とあの男の関係性は何だろうか。
一見普通の優良企業に見えてあんな裏社会の住人のような男と関わりは奇妙だ。
あの男の出現はジムの中にあるESCメディアカンパニーのイメージを180度変えてしまった。
何もかもが気味悪く思える。
あの社屋を守るガードマン、被害者の転職先の労務事務所。
すべてに何らかの怪しげな意図を結びつけてしまう。
ジムの誇大な妄想は自己都合の解釈に過ぎなかった。
ふと被害者のことに思いを馳せる。
少なくとも被害者は同じような境遇で何らかの救いを求めながらあの発明にアプローチしたはずだ。
ジムは同じ感情を生きた者同士の奇妙な足跡をゆっくりと振り返った。
被害者は独身男性。
ESCメディアカンパニーに就職したが自身の能力が活かせなくて会社側からの提案で資格試験を受け転職している。
被害者に会社への怨念が生じるだろうか。
被害者が転職した先は労務事務所だがそこでの勤務は浅すぎる。
彼の向き不向きに関しては不明だが新しい就職先でのトラブルがあったとしても性急すぎる動きだ。
それはそうと彼は何故選ばれたのか?
そう言えば自分が選ばれた理由もわからない。
勿論、エディナが選ばれた意味も不明だ。
この発明とESCメディアカンパニーとの間に繋がりはあるんだろうか。
無関係か、それとも?
ジムの頭の中に次々と湧き出てくる疑問。
それらの答えは無いに等しい。
無数の推測と仮説。
それらが紡ぎ出す奇妙な糸はまだ絡まったままだ。
そしてこれまでを振り返る。
発明、出会い、ミュージアムホール。
それぞれの場面を思い馳せながら何か見落としていないだろうか。
そしてふとひとりの男を思いだした。
あの男は誰だろうか……。
エディナに声を掛けた男。
そうだ!
スタッカートとエディナが呼んでいた年輩の男だ。
ジムは男の容姿を思い出しながら言葉のひとつひとつを吟味する。
エディナは「スタッカートおじさま」と呼んでいた。
そしてスタッカートはエディナを「ヴァンガード家のお嬢様」と呼んでいた。
となると親族ではなく父親の友人の線が濃いはずだ。
金持ちであることは仕立ての洋服や時計、装飾などから推測できる。
あの男も同じホールから出てきて女性と腕を組んで歩いていた。
離婚して独り身の金持ち、あるいは独身貴族か何かだろうか。
ジムの脳内を巡る信号が活発さを極めていく。
あの男を探せないだろうか。
ジムはタブレットを操作する。
捜査員連絡先の一覧からジャスティンを選ぶと、「スタッカートと言う名の男をご存じでしょうか? 私がホールの中で少し話した男でおそらくは金持ちだと思われますが」と綴ってメールを送信した。
ほどなく着信があって「段上の老紳士のことだな」と返事があった。
「そうです。おそらくESCの社長と関係があるはずです」と送り返した。
ジムはふぅーと溜息を吐き出して返信を待つ。
ラテはいつの間にか冷気に負け甘みは底に沈んでいた。
ジムは今一度ケトルのスイッチを入れる。
ほどなく湯が沸き上がると少しだけカップに足してかき混ぜた。
ラテが生き返りカップの中で踊り出す。
ジムがそれをグイっと飲み干した頃、タブレットの着信音が鳴った。
ジムはメールを開くと添付データのついたジャスティンからの返事があった。
添付されたのはスタッカートの写真データだった。
「つながりはわからんが、財界の大物だよ」というジャスティンのメッセージ。
その後にURLが貼ってあった。
タップして見ると見慣れたロゴの会社のホームページが展開した。
スタッカートは金融情報会社の会長だ。
インターネット取引を主体にする会社を立ち上げ今は悠々自適に隠居生活をしている。
会社の沿革のところに写真があり社の歴史や理念が綴られている。
スタッカートとESCメディアカンパニーとの繋がりは不明だがESC自体が上場したての急先鋒でもあり経営者レベルでは認知があるのかも知れない。
「会う機会もなさそうな御仁だな」
ジムはそう呟くとそっとタブレットの電源を落とす。
そして机の上にそれを置いてソファに身体を委ねた。
皺くちゃになったジャンパーが傍らで泣いている。
ジムはそれに構わずに身を捩らせた。
ソファに委ねられた身体に極度の疲労が舞い降りてくる。
ジムはいつの間にか誘われるように眠りについた。
ケトルから飛び出した蒸気は跡形もなく冷気にまみれて雪景色の窓を曇らせる。
静寂の世界にカラカラとハードディスクの音が響きそこにジムの寝息が重なった。
いつしかデスクトップは呼吸を止め幾何学なカラフルが踊っていた。
*****
そこに存在した証を見つけることは難しい。
存在の証明は難解で客観的な痕跡を必要とする。
吹雪く雪街の片隅で老人は呟く。
因果は巡り続け痕跡を風化させる、と。
(第50話につづく)
苛立ちと焦燥の中、やり場のない感情が疼き投げやりな自分を増幅させる。
ふと窓の外を見ると闇の中に街並みが溶けていた。
やがて純白に埋もれていくのだろうか。
雑踏の呻きや怨嗟でさえも零下に世界に引きずり込む。
絶望にまみれた純白の重なりは街を静かな眠りへと誘っているように思えた。
ジャンパーが無造作にソファを這い蹲る。
それを横目に、ジムは冷え切った革に身を委ねるように座った。
感情の高ぶりで灼けた肌が徐々に冷やされていった。
そんなジムの視線の先に電源を切り忘れたデスクトップが幾何学的なカラフルに身を捩らせていた。
時折ハードディスクの音が鳴る。
沈黙の空間に棲む音は動悸と無機質な空音だけ。
静寂が孤独を体に刻み込んでいく。
ジムはひとときの沈黙を過ごした後、ケトルに冷水を注ぎ込んだ。
蒸気で部屋が充満する様を眺めながらラテの粉をカップに入れる。
粉はサラサラとカップの縁を舐めるように転がってわずかばかりの冷水に溶けていく。
不意にケトルが泣く。
ジムはカップに熱湯を注ぎ込むと、粉は泡立ちながらベージュへと色を変えた。
フチにしがみついた泡が表面を支配し、ゆっくりと動きを失っていく。
ジムは暖を喉に流し込む。
伝うように、沁みるように熱が身体の中を駆け巡っていく。
ジムは身悶え震えを押さえ込む。
そして一息ついた後、おもむろにデスクトップをノックした。
数秒のロスを置いていつもの初期設定の画面が現れる。
ハードディスクがカタカタと鳴りファンの音が無音の空間を支配し始めると、デスクトップにメール受信の文字が踊った。
ジムは「どうせDMだろう」と無視を決め込んでブラウザを開放する。
現れた画面にはその日に起きた様々なニュースがトップ画面に現れてタスクバーが所狭しと踊っていた。
ジムは検索バーに「ジョセフ・ゴールドマン」と入力してキーを叩く。
数秒のロスの後、様々な検索結果が表示された。
画像や映像も軒並みヒットしたがその中にあの男はいなかった。
どうやら同姓同名の俳優がいるようでその男の写真と映像、ニュースの記事で埋め尽くされている。
ジムは落胆の表情を浮かべながらデスクチェアを軋ませた。
個人情報が筒抜けの今でも限界があるようだ。
ジョセフを知る唯一の手掛かりだと思ったがさすがに一般の検索で浮かび上がるほどの有名人ではなかったようだ。
ジムはしばし天井を仰いでいたが、一息ついた後再び画面を眺めた。
見慣れた俳優のベストショットに苦笑しながら闇に埋もれた真実を知りたいと願う。
おもむろに画面をスクロールさせながら検索結果をなぶるように眺めた。
諦めの悪い指先はマウスを転がし続けたが何一つ琴線にふれるものはなかった。
ジムはふと配給のタブレットを立ち上げる。
ジャスティンに名刺は見せたことを思い出し進展を期待した。
逸る気持ちを抑えながら事件のページを展開させる。
だが、彼に関する更新はなかった。
「まだか……」
ジムはポツリと言葉を吐き流す。
そしてページに踊ったESCメディアカンパニーのロゴを凝視した。
この企業とあの男の関係性は何だろうか。
一見普通の優良企業に見えてあんな裏社会の住人のような男と関わりは奇妙だ。
あの男の出現はジムの中にあるESCメディアカンパニーのイメージを180度変えてしまった。
何もかもが気味悪く思える。
あの社屋を守るガードマン、被害者の転職先の労務事務所。
すべてに何らかの怪しげな意図を結びつけてしまう。
ジムの誇大な妄想は自己都合の解釈に過ぎなかった。
ふと被害者のことに思いを馳せる。
少なくとも被害者は同じような境遇で何らかの救いを求めながらあの発明にアプローチしたはずだ。
ジムは同じ感情を生きた者同士の奇妙な足跡をゆっくりと振り返った。
被害者は独身男性。
ESCメディアカンパニーに就職したが自身の能力が活かせなくて会社側からの提案で資格試験を受け転職している。
被害者に会社への怨念が生じるだろうか。
被害者が転職した先は労務事務所だがそこでの勤務は浅すぎる。
彼の向き不向きに関しては不明だが新しい就職先でのトラブルがあったとしても性急すぎる動きだ。
それはそうと彼は何故選ばれたのか?
そう言えば自分が選ばれた理由もわからない。
勿論、エディナが選ばれた意味も不明だ。
この発明とESCメディアカンパニーとの間に繋がりはあるんだろうか。
無関係か、それとも?
ジムの頭の中に次々と湧き出てくる疑問。
それらの答えは無いに等しい。
無数の推測と仮説。
それらが紡ぎ出す奇妙な糸はまだ絡まったままだ。
そしてこれまでを振り返る。
発明、出会い、ミュージアムホール。
それぞれの場面を思い馳せながら何か見落としていないだろうか。
そしてふとひとりの男を思いだした。
あの男は誰だろうか……。
エディナに声を掛けた男。
そうだ!
スタッカートとエディナが呼んでいた年輩の男だ。
ジムは男の容姿を思い出しながら言葉のひとつひとつを吟味する。
エディナは「スタッカートおじさま」と呼んでいた。
そしてスタッカートはエディナを「ヴァンガード家のお嬢様」と呼んでいた。
となると親族ではなく父親の友人の線が濃いはずだ。
金持ちであることは仕立ての洋服や時計、装飾などから推測できる。
あの男も同じホールから出てきて女性と腕を組んで歩いていた。
離婚して独り身の金持ち、あるいは独身貴族か何かだろうか。
ジムの脳内を巡る信号が活発さを極めていく。
あの男を探せないだろうか。
ジムはタブレットを操作する。
捜査員連絡先の一覧からジャスティンを選ぶと、「スタッカートと言う名の男をご存じでしょうか? 私がホールの中で少し話した男でおそらくは金持ちだと思われますが」と綴ってメールを送信した。
ほどなく着信があって「段上の老紳士のことだな」と返事があった。
「そうです。おそらくESCの社長と関係があるはずです」と送り返した。
ジムはふぅーと溜息を吐き出して返信を待つ。
ラテはいつの間にか冷気に負け甘みは底に沈んでいた。
ジムは今一度ケトルのスイッチを入れる。
ほどなく湯が沸き上がると少しだけカップに足してかき混ぜた。
ラテが生き返りカップの中で踊り出す。
ジムがそれをグイっと飲み干した頃、タブレットの着信音が鳴った。
ジムはメールを開くと添付データのついたジャスティンからの返事があった。
添付されたのはスタッカートの写真データだった。
「つながりはわからんが、財界の大物だよ」というジャスティンのメッセージ。
その後にURLが貼ってあった。
タップして見ると見慣れたロゴの会社のホームページが展開した。
スタッカートは金融情報会社の会長だ。
インターネット取引を主体にする会社を立ち上げ今は悠々自適に隠居生活をしている。
会社の沿革のところに写真があり社の歴史や理念が綴られている。
スタッカートとESCメディアカンパニーとの繋がりは不明だがESC自体が上場したての急先鋒でもあり経営者レベルでは認知があるのかも知れない。
「会う機会もなさそうな御仁だな」
ジムはそう呟くとそっとタブレットの電源を落とす。
そして机の上にそれを置いてソファに身体を委ねた。
皺くちゃになったジャンパーが傍らで泣いている。
ジムはそれに構わずに身を捩らせた。
ソファに委ねられた身体に極度の疲労が舞い降りてくる。
ジムはいつの間にか誘われるように眠りについた。
ケトルから飛び出した蒸気は跡形もなく冷気にまみれて雪景色の窓を曇らせる。
静寂の世界にカラカラとハードディスクの音が響きそこにジムの寝息が重なった。
いつしかデスクトップは呼吸を止め幾何学なカラフルが踊っていた。
*****
そこに存在した証を見つけることは難しい。
存在の証明は難解で客観的な痕跡を必要とする。
吹雪く雪街の片隅で老人は呟く。
因果は巡り続け痕跡を風化させる、と。
(第50話につづく)