第76話 再建の道標に疑念は深まっていく

文字数 4,480文字

 火事は21時頃に鎮火し、その後は消防隊による実況見分が行われた。
 ひとまずは休養を取れとの指示があり、ジムは泥まみれの制服を脱ぎ捨てて自宅へとたどり着いた。

 シャワーで全身の汚れを落とし、湯船で疲れを流す。
 そして食事も忘れてソファで眠りに耽った。
 インスタント麺は開封されたまま、暖房の風に晒されている。


 翌朝、これまでにない疲労感の中、目を覚ましたジム。
 転がるようにソファから落ちて、軋む筋肉がさらに悲鳴を上げていく。
 這うようにテーブルにつき、昨夕の残り香に湯を注いで命を吹き込んだ。
 麺をすすりながらふと思う。
 今日はどこに出勤すればいいのだろう。
 タブレットを確認すると、いつの間にかメールが届いていた。

「勤務日に関わらず全員出勤するように」

 その文言が事の重大さを物語っている。
 メールには分署の近くの民間のビルをオーナーが貸し出してくれたこと、そこに仮設分署を設置することなどが書かれていた。。
 鎮火後は本署や他地区からの応援で作業が行われ、非番の署員などが召集されたようだ。
 本署の管理下に入り、今後の配属や業務が割り当てられる。
 多方面から掻き集めた備品や物品の振り分け、分署跡の立ち入り禁止区域の設定や警護など。
 経験したことのないような業務がびっしりと書き詰められている。
 めまいがする。
 ジムは業務命令のメールを閉じ天井を見上げた。

 そして、一呼吸してからスマートフォンを確認する。
 コトリーやジャスティンからの着信履歴で通知が埋まっていた。
 ほとんが昨日の日付。
 ジムが時計に目を遣るとまだ午前6時過ぎだった。

「さすがに早すぎるな」独り言が音になる。
 ジムは仕方なく、朝のルーティンに戻っていった。


 ジムが仮設分署に到着すると、やけに人数が少ないことに違和感を覚えた。
 まさかと思いながら本署主任の登場を待つ。
 昨日の火災の陣頭指揮を行なったのも彼だと聞く。
 分署署長に連絡が取れなくなった段階で本署の決定で主任が代理署長の命を受けていたようだ。

 仮設分署の入り口には本日のスケジュールが貼ってあった。
 この後、昨日の報告を兼ねた朝礼が行われる。
 同じ掲示板に館内図があって、それを頼りに進むと少し広めの会議室のような場所にたどり着いた。

 室内に入って中を見渡すと、疲れ切った馴染みの顔がいてアイコンタクトを取る。
 コトリーはそこにはいなかった。
 ふと思い立ってトムとレイを捜すと会議室の端で何やら小声で話している。
 やはり無事かと思う。
 安堵よりも疑念が先立って仕方がない。

 ジムはコトリーとの密談からどうしても彼らが火災に関わっているとしか思えなかった。
 無論、証拠は何もない。
 クレジットカードで灯油缶を買ってたから逮捕という訳にもいかない。
 ジムは遠目でふたりを眺めながら、最後に彼らをどこで見たかを思い出そうとする。
 豪炎の記憶だけが甦り気分が悪くなってくる。
 それでも懸命に記憶を辿り、ふたりとも1階フロアにはいなかったことを思い出した。

「確か2階に……。いや、でもその後コトリーさんと会っていたからな……」

 昨日のことなのに、と曖昧すぎる記憶がジムを混乱させた。
 取りあえず朝礼の後にそれとなく聞いてみよう。
 何か掴めるかもしれない。
 そんなことを考えていると、会議室の奥のドアが開いて本署の主任含め数名の署員が中に入ってきた。

「皆さん、昨日はご苦労さまでした」

 主任はそう言うと淡々と状況説明を始めた。
 火元は検証中だが二階の武器庫周辺と推測されること。
 炎の色や臭い、燃えカスなどの鑑識の結果、爆発物を伴う科学反応が報告されているなど。

「テロですか?」誰かが訊いた。

「現段階では事故と事件の両面で捜査を開始する」

 冷静な答えに署員一同はどよめきを見せた。

「それと……」主任は話しづらそうに咽びながら続けた。
 おそらくは犠牲者の報告だろう。
 誰もが空気を読み、その場が急速に静まり返った。

「犠牲になった市民は3名。いずれも1階待合にいた高齢者と推測されている。不明者や捜索願などと照らし合わせているが、まだ身元が確定していない。署員の犠牲者は2階武器庫内で3名の遺体を発見。2階会議室にて5名、電脳捜査室にて15名、麻薬捜査課にて7名の遺体が確認されている。いずれも遺体の損傷はかなり激しい。次に1階部分では署長室から2名。こちらは署長と副署長であることが確認された。後は刑事課にて3名、交通課にて2名、いずれも火元に近い奥のフロアーにいた者たちだ。犠牲になった署員は合計37名。身元が判明した署員に関しては家族に連絡を入れてこちらに向かってもらっている」

 主任の淡々とした報告にジムは寒気を覚えた。

「署長、副署長以下みんなには気の毒なことになった。だが、今はいかにして分署を再生するかを念頭に置かねばならない。君らの無念は私の無念でもある。どうか協力してほしい。また事件性も含まれることからこの事件に関しての捜査は本署の特別班にて行う。以上だ」

 主任は話し終えると全員の顔を眺めた。
 それぞれが顔を見合わせながら「何かを聞かなければ……」と様子を窺っている。

「ここにいない者は犠牲になった……という事でしょうか?」誰かが訊いた。

 主任は一呼吸置いて、「本署に出向している者が数名いるが、無事な署員はここにいる者で全てだ」と答えた。
 見慣れた顔が激減していることに署員の動揺が広がっていく。

「捜査は事件として……、テロ行為として考えていますか?」再び誰かの声が響いた。

「無論、その可能性は高いが現段階では声明も要求もない」

「怨恨の線は?」

「怨恨? それにしては規模がデカすぎるだろう」

「まさか事故で処理ってことにはならないですよね?」その誰かの一言が主任の表情を憤怒に変えた。

「こちらも全力で捜査にあたる。余計な詮索で現場を混乱させるのはやめろ! 意図不明だからと言って無闇に事故でカタをつける気はさらさらない!」

 語気を荒げて主任は叫んだ。

「まあ、いずれにせよ。君らは犯人探しをしなくてもよい。事故であれ意図的なものであっても、だ。まずはこの地域の治安と市民の為、署の再建に全力を注ぎたまえ。以上だ!」

 主任たちはそう言い残して奥の部屋に戻っていく。
 途端に緊張が切れて、場の空気が緩んでいった。

 ジムは空気の弛緩を感じて行動を起こす。
 トムとレイの談笑を凝視しながら距離を詰めて、そして大きく息を吐いてから声を掛けた。

「無事だったかふたりとも」

「ああ、おまえも大丈夫だったか?」レイが素っ気なく答えた。

「ああ、署の外で一服してたからな」ジムは咄嗟に嘘を混ぜた。
 コトリーの依頼でトムの足取り捜査をしていたとは言えるはずもない。

「とにかく爆音で驚いて戻ろうとしたがいきなり炎が上がったからな。仕方なく正面に回って消防隊の指示に従ったよ」
 ジムは時系列を歪めて事実を伝えた。

「そうか、それは大変だったな」トムがようやく口を開いた。

「そっちはどうだった?」ジムは何気なく足取りを追う。

「ああ、俺とレイは1階のオフィスにいたんだがいきなり爆音がして床に伏せたわ。それから這うように入り口を目指した。いきなり煙が充満して市民の誘導まで手が回らなかったよ。自分が生き延びなければと……。こういう時は本性が出るのかな」

「そんなことはないさ。あの火災なら仕方のないことだ。その場にいたら俺でもビビって逃げ出すよ」

 ジムはそう言ってふたりの肩を叩いた。
 それから他の人にも同じ事を言って無事を喜ぶ素振りを続ける。

 ふたりはジムが遠ざかったのを確認するとまた小声で話し始めた。

「外に出よう。あいつは無事だったようだ」

「そうだな」

 ふたりは人混みに紛れて会議室の外に出る。
 ジムはそれに気づかないふりをしながら素振りを続けた。

「やはり、何かあるのか?」

 益々疑念が深くなるのを感じる。
 彼らはあの最中にいてケガひとつしていない。
 這って逃げたというが擦り傷ひとつない。
 本当にあの現場にいたのか疑われるほどだ。

 ジムの脳内をアドレナリンが駆けめぐる。
 この違和感はなんだろう。
 他の署員との空気感があのふたりはまるで違う感じがする。
 ジムはふとコトリーの言葉を思い出す。

 そう言えばカーヴォンス出身は他にもいたな。
 周りを睨むような目で見てその存在を確認する。
 刑事課のミラー、健在だな。
 電脳捜査課のオズワルトはここにはいない。
 と言うよりは電脳捜査課自体が不在だ。
 麻薬捜査課のチャールズの姿も見えないが聞くところによると麻薬捜査課は全滅だと言う。
 カーヴォンス出身が全員無事とは限らないのか。
 それとも、何か見落としてはいないだろうか。
 思い過ごしはないだろうか。
 ジムは違和感の正体を突き止めるのに必死になった。

 しばらくすると今後の指針と銘打たれた書類の束が回ってきた。
 今後のスケジュールと各自の任務についてまとめられたものだ。
 仕事が速いなとふと思った。
 そして自分に振り分けられた任務を確認すると巡回強化班に分けられていた。

 カーヴォンス出身が気になって確認すると、それぞれが元の持ち場のままその部署の立て直しを命じられている。
 ジムを含めた何名だけが特別にそれぞれの部署の強化班に挙げられていた。

「トムとのペアは解消なのかな?」

 配置一覧を見ると「巡回サポート:内勤」の欄にトムの名前があった。
 行動が別になると監視は難しい。

 この配置に思惑はあるのだろうか。
 誰かが裏で操っている?
 この編成を決定したのは本署で、その中にも共犯者はいるのだろうか。
 誇大な妄想が過ぎり、それを否定する冷静な自分に安堵を感じる。

「ようジム、よろしくな」不意に声を掛けられた。
 同じ強化班に抜擢されたフェルナンデスだった。
 3年ほど先輩、気さくでトークが上手く女性受けする男だ。
 自分の不得手が得意という何とも意図的にも思える配置だった。

「お願いします。フェルナンデスさん」

「堅い挨拶は抜きだぜ~」

 相変わらずついていけない軽さだ、と思った。
 ジムは苦笑を禁じ得ない。
 この雰囲気の中にいてひとり浮いているようにも思える。
 編成は何を考えて彼を自分のパートナーにしたのか。
 不可解な意図を詮索する自分はいつまで経っても消えずにいた。

*****

 補完し合う魂の欠片。
 その源は自分の魂の一部だ。
 仮設の重苦しい空気を見上げながら老人は呟く。
 乖離した魂は望郷の果てに、元の魂に引き寄せられる、と。

(第77話につづく)
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