第95話 試練の先にある思惑

文字数 4,411文字

 チェスの駒が優雅に動く。
 昼下がりの天上階でジョセフと対峙するヴァンガード。
 考えが煮詰まったとき、ヴァンガードはいつもジョセフを相手に指名する。
 何かに集中していると考えがよく纏まるのだからだ。
 ジョセフは特段構えて相手をする訳でもなく自然体で駒を進める。
 手加減はお互い嫌いで、それが見え透いてしまうときは心に邪念がある証拠だった。
 そして、その日は珍しく両方に邪念があった。

 ふたりの邪念は共通していた。
 エディナのことだ。
 自分たちの敷いたレールの中に突如として紛れ込んだ意志は想像を超えた未来をもたらした。
 残酷なのは神なのか、人なのか。
 ふたりは放心のまま、昼下がりを過ごしている。

 ピー!

 内線電話が鳴る。
 瞬時に反応したのはジョセフの方だった。

「どうした? なに? わかった。ちょっと待たせておけ」

 先走るようなジョセフの台詞。

「ヴァンガード様、来客ですよ。来客」ジョセフの口元が緩んでいる。

「おや? 予定にはないはずだが……」

「想定にはありましたがね」

 ヴァンガードにはまだ来客の姿が見えてこない。
 ただジョセフがとても楽しそうに見えてもしやと思う。

「ちょっと下の階に遊びにいってきます」

「わかった。ズルはせんから安心しておけ」

「信じてますよ。社長の潔白はあのカメラの向こうが証明してくれますから」

 ジョセフはそう言い残して部屋を出る。
 そしてエレベーターに駆け込んで地上階を目指した。


 地上階に着くと、悠然とソファに鎮座する男の背中が見えた。
 ジョセフは歩み寄って背中越しに声を掛ける。

「来ると思っていたよ」

「そうか、なら話は早い」

「まあ、落ち着け。急かしても良い結果は得られんぞ、ジム」

「急かすつもりはないさ。手繰り寄せた糸をわざわざ切る奴はいない」

 ジムは心で負けてはいけないと虚勢を張る。
 ジョセフは怖い男だ。
 あの日の迫力には底知れぬ怖さが潜んでいた。

 ジョセフはジムの対面に座ると胸元のポケットから煙草を取り出す。
「吸うか?」という仕草を見せるがジムは首を横に振った。

 煙がフロアに消えていく。
 高級そうな金のジッポを泣かせて仕舞うと大胆に足を組んで見せた。

「用件はなんだ?」

「エディナの居場所を知りたい」

「ほう……」

 ジョセフはなおも威圧的に煙を吐く。
 ジムは怖じ気付くこともなく肘を立ててジョセフを見つめた。

「エディナ様は今自宅で療養中だ。誰にも会いたくないと言っておられる」

「それは聞いた。でも、自分で確かめたい。家の前まで言って、それで断られるなら仕方ない」

「度胸は買うが無意味だ」

「無意味でも結構。行くことに意義がある」

「そうか……。スタッカート様からどこまで聞いている?」

「顔に火傷を負ったとまでは聞いている。左頬に……」
 ジムはそう言うと頬をさわって大きさ示してみせた。

「そこまでか?」

「それ以上があるとでも?」

 心理戦が展開される中、ジムはふたつの違和感を持つ。
 ひとつはジョセフとスタッカートの関係。
「様」と呼ぶからには、ヴァンガードと同じ関係の可能性はある。
 ふたつめはエディナには火傷以外に会いたくない理由が存在するということだった。

「覚悟はあるのだな。未来が消えるかも知れんぞ?」

「この程度で消える未来なら構いはしない。エディナが消すなら本望だ」

「わかった。ついてこい」

 ジョセフは煙草を消して立ち上がるとエレベーターへと歩いていく。
 ジムは無言で彼を追った。


 エレベーターに乗り込み、ふたりは無言で立ち並ぶ。
 筋肉質なふたりが並ぶ様は異様で醸し出される殺気が室内を漂っていた。


 しばらくすると扉が開いてジョセフが先導する。
 その先には何があるのか?
 おそらくはエディナの父、ヴァンガードがいるのだろう。
 ジムはそう思った。

 絨毯敷きの廊下の先にドアがある。
 ジョセフは軽くノックして開けると「来客を連れてきました」と言って中に入った。
 そして半開きのドアから顔を覗かせて「入れ」とだけ告げた。


 ジムは促されるように部屋に入る。
 高級な質感の重いドア、室内は映画で見るような応接セットに重厚な木製の机があった。
 ヴァンガードは応接のソファでチェス盤を前に駒を睨みつけていた。

「私の手番のようですね」

「ああ、続きが打てるかは知らんがな……」

「どれ……」

 ジムを余所にふたりはチェスボードに集中している。
 ジムはふたりの時間を奪うつもりはなかった。
 壁の絵画や机の上の置物などを注視していく。
 ヴァンガードの人間性が見えるかも知れないと思っていた。

 ふたりは何手か進めた後、落胆と歓喜に分かれた。
 どうやら勝ったのはヴァンガードのようだった。

「待たせたね、ジムくん」

 風景画と対峙して時間を過ごしていたジムはその声に応えるようにソファの元に歩み寄る。
 そして、「はじめまして、ジム・ゴードンです」と挨拶をした。

「聞いているよ、ナイスガイ」

 ヴァンガードは座るようにジムを手招きする。
 ジムは浅くソファに座ると、前のめりにヴァンガードと対峙した。

「はは、怖い顔をするな」

 ジムの心の中にはESCに対する不信感があった。
 一連の事件に関与している可能性もある。
 それは隣で立っているジョセフ率いるカーヴォンス警備も同様だった。
 事件の渦中のおそらくは最重要参考人が前にいる。
 そう思うと、雑念にまみれそれを払拭することができなかった。
 今はただエディナのことを聞ければいい。
 その思いで雑念を覆い隠そうとした。

「エディナに会いたいそうだね」ヴァンガードは静かに話し出した。

「ええ……。とても心残りな別れ方をしたものですから」

「そうか。でも知っているとは思うが、エディナは今ケガの療養中だし本人は会いたくないと言っている」

「それは存じております。でも、会って話したいことがある」

「それは君の一方的な願望だな」

「承知しています」

「ではエディナの父として君の本心を聞こう。エディナをどうするつもりだ?」
 ジムに一つ目の壁が立ちはだかる。

「どう……、それは将来をという意味でしたら正直そこまでの関係ではありません。まだ現実世界で気持ちを確かめ合うことすら許されていませんから」

「ほほう、そうだな」ヴァンガードの意地悪な性格が垣間見えた。
 口元の緩みにそれが現れている。

「夢の中ではどうだ?」

「それはご存じなのでは?」

 ジムは誘導に近い質問を投げかけて見る。
 ESCと発明の関連を少しでも感じられればと思った。
 ヴァンガードは口を滑らすだろうか。

「君は勘がいいようだな。だが個々のことは他人にはわからんシステムになっている」

「そうですか、てっきり……」

「はは、そこまで人を動かせるわけじゃあない。潜在意識下と言えどもね。だが、あの子と分かちあえたのなら、それは私たちにとっても収穫があったということだな」

「実験は成功ということですか?」

「実験? ふふ……、まあそんなとこだ」ヴァンガードは妙に嬉しそうに話している。
 その愉しみの正体がジムには見えなかった。
 ジムは兼ねてからの疑問をぶつけてみる。

「なぜ私は選ばれたのでしょう?」

「それはわからない。選ばれたのではなく導かれただけだ。お互いの潜在意識にね」

 ジムは妄想が現実に近づきつつある中で動揺を隠せない。
 それでも兼ねてからの疑問を訊かざるを得ない。

「そうですか……。では、私は何故この発明に呼ばれたのでしょうか?」

 ヴァンガードは不敵な笑みを見せる。
 目配せをしてジョセフを隣に座らせた。

「因果は巡るのさ。我々がエディナを護るように、君も何かに護られている」

「言っている意味が……」

「ふっ……、これ以上は機密事項だから君にお話することはできない。でもそれでは納得しそうにもないからヒントだけはやろう。因果は巡るのさ。現在は過去の産物に過ぎない。そして、個人の因果だけが未来を創りはしない。我々は共鳴しあっているからな」

 ジムはジョセフの謎解きに苦悶する。
 だが、直感的にジャスティンの言葉を思い出す。
 潜在意識は答えを知っているかのような反応を示している。

「親父が……?」ジムのその呟きにジョセフの口元が緩む。
 だが、言葉はなかった。

 沈黙の時間が流れる。
 堰を切ったのはヴァンガードだった。

「どうしてもエディナに会いたいか?」

 ジムは無言で頷き、まっすぐにヴァンガードを見つめた。

「やはり合格のようだな、ジョセフ」

「ええ、間違いありません」

 ふたりの緊張が解けていくのをジムは感じていた。
 ジョセフはサイドボードからワインを取り出すと人数分のグラスに注いだ。
 ジムの手元にも香りの凝縮された濃厚な芳醇が訪れる。
 眩暈を誘うような強烈な香りが漂っていた。

「ジム、改めて言おう。エディナに会ってやってくれ。あの子は今絶望の淵にいる。それを救ってやれるのはおまえしかいない」

 ヴァンガードは深々とジムに頭を下げた。
 ジムはまさかお願いされるとは思いもせずに恐縮する。

「そんな……」

「ジム、エディナの過去も未来も背負ってあげてくれ」ジョセフが優しそうな目をしている。
 ジムはあらためてエディナは色んな人に愛されていることを知った。

「ふたりとも気が早いですよ」

 ジムがそう言うとふたりはお互いを見合って笑った。

「心配はしてないさ。さあ、飲め」

 ジムは促されるようにワインを喉に滑らせる。
 これまでに味わったことのない芳醇でいて高貴な濃縮だった。

「ふふ……、今宵の酒は特別な酒だ。だが、酒の味がわからん男はつまらんからな」

 ヴァンガードはそう言うと、机の上から便箋を取り出して住所を書いた。
 そしてそれを折り込んで封筒に入れた。
 どこかで見たようなデザインの封筒だった。

「これがエディナのいるところだ」

 ジムはそれを受け取って胸ポケットに入れると、「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
 ふたりは口々に「エディナを頼むよ」と言う。
 ジムはその言葉を胸に部屋を後にした。

*****

 過去と未来の重さは同じだろうか。
 今どこにいるかで、その価値も変わるだろうか。
 別室のソファでひとりチェスボードを眺めて老人は呟く。
 愛の名のもとに想いは収束していくのだろうか、と。

(第96話につづく)
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