第79話 サヨナラは黒煙の彼方に

文字数 6,480文字

 配置転換が発表された翌日、仮設分署には各方面から備品の搬入があった。
 トラックの出入りしが慌ただしく、数え切れないほどの荷物が運び込まれた。
 そんな中でも仮設分署の使用期間は2ヶ月程度だろうと言われていた。
 火災を受けた分署の復旧が急ピッチで進んでいたからだった。

 2階部分は現場検証を含め時間が掛かるが1階部分の延焼は少なかった。
 書類やデータの大部分が電子化されていて、そのバックアップを外部に設置していたことも早期復旧の要因のひとつだった。
 あとは火災の爪痕を消すだけ。
 中身を総ざらいした後、施工業者が急ピッチで作業を急いでいた.


 その日、トムとレイは過去の機密文書や機器などをまとめて本署別館に移送する任務にあたっていた。
 地下の保管庫には火が回らなかったが、放水の影響でとりあえずは移動させようと言う話だった。

 移送用の警察車両に堆く詰め込まれた文書や機器を眺めて「爽快だが、犯罪の歴史というのは重いな」とトムが嘯いた。
 レイは「これを届けたらちょっとのんびりしたいな」と後方の扉の鍵を閉めてキーをトムに投げる。

「俺が運転かよ」

「得意だろ」レイはそう言うと警護班にルートの指示を出した。

「見かけない顔だな」トムが耳元で囁く。
 レイは警護班をチラっと見て、「本署からの応援だろ」と意にも介さなかった。

 出発の時間。
 トラックの前後を挟むように無音サイレンのパトカーが先導追従する。
 今回の荷は主に文書類であり、これが公に晒されると市民のプライバシーに関わる。
 かと言ってこれを強奪して何かに利用するというのはリアルではなかった。
 そのため、ふたりの危機感は薄れていた。

「まあ、仕方ねえんじゃねえの? さすがにこいつらを業者任せって訳にはいかんだろう」レイが背もたれに体を投げ打って呟いた。

「でもさ、警護がいるんだから、わざわざ俺らが運転する必要はないんじゃねえの?」

「言えてる。こんなものを誰が欲しがるってんんだ」

「そうだよなぁ」

「まあ、仕方ないけどな。行こうか」

 レイは愚痴るトムを遮るように警護班に合図を送る。
 先導車は一度だけサイレンを鳴らすと無音の回転灯を回し始めた。
 車庫脇にいた警官が進路を開けて先導車はゆっくりと動き出す。
 それほど車間を開けることなくトムはアクセルを踏んだ。
 後続車もゆっくりと回転灯を回しながらついてくる。


 公道に出るとまだ黄色いテープがところどころに張られて通行規制が敷かれていた。
 それを横目に見ながらアベニューを進んでいく。
 目的の本署別館までは数10キロほど。
 住宅街からビジネス街までの主要ルート上に危険な裏道などなかった。
 主要幹線道路を使い、ハイウェイに続く基幹道路の交通量が多いくらいだった。

「運転よりは荷物を下ろすほうが厄介」

 堆く積まれたダンボールの山を見てトムが呟く。
 バックミラーには小窓にはみ出すようにダンボールが立ち並んでいる。
 ゆうに数100個ほどはある。
 向こうに着けば人員はいると聞くが、慣れない肉体労働に体はすでに悲鳴を上げていた。

 トムはおもむろに警察無線を切って無線ラジオを流した。
 レイは「いいのか? バレたら……」と促すがトムは聞く耳を持たない。

「輸送中の俺らに何の指示が入るんだよ」

 トムはパワーステアリングを軽快に捌きながらハイウェイへと続く基幹道路に合流する。
 途端に流れが速くなって先導車との間に他の車が入ってくる。
 後続車との間にも何台かの車が詰まってきた。
 渋滞気味の幹線道路はそれまでの軽快を一変させていく。

「仕方ねぇな」トムが投げやりに言う。

「通行規制のせいだろう。まあ、急ぐ必要もないし、のんびり行けばいいだろう」

「ああ、わかっているよ。でも嫌いなんだよ」

「何が?」

「渋滞に決まってんだろ。小刻みにアクセルやらブレーキやら面倒でかなわん」

「言っても始まらん。荒い運転はやめてくれよ」

「するかよ」

 トムは追い越しの中央車線に車を流す。
 それに気づいた先導車と後続車が後追いで車線変更をする。
 タイミングの差でトムの運転するトラックが先頭に立った。
 中央車線は比較的流れていて、トムはアクセルを踏み込む。

「おいおい、先導車を待て」

「大丈夫だよ。いずれ追いついてくるさ。近くに来たらまた元に戻せばいいだろ」

 トムは流れに任せるようにスピードを上げていく。
 回転灯との距離が次第に開いてきて、追従のパトカーとの間に車線変更したトレーラーが入ってきた。
 大型の長距離輸送車がバックミラーから回転灯を消す。
 前にもハイウェイを目指すトレーラーが入ってきた。

「間違っても入るなよ」

「はは。大丈夫だよ。心配するな」

 前後をトレーラーに挟まれたトラックはトレーラーの速度に合わせるようにスピードを上げる。
 なだらかな直線コースの脇に「ハイウェイまで2マイル」の表示が見えた。

「中央車線からそのままハイウェイに合流するみたいだな」

 そこまで来ればまた視界が開けて快適なドライブに戻る。
 トムはそんなことを考えながら流れに身を任せた。
 この先は3車線になる。
 トレーラーは左車線へと移っていくだろう。
 このまま中央車線をまっすぐに行けばビジネス街へと続く幹線道路に入るはずだ。
 ハイウェイへの分かれ道の先に信号があったはず。
 トムはルートを思い出しながらトレーラーの車線変更を待った。

「随分遠くから来てるんだな」不意にレイが言う。

「何が?」

「いや……、前のトレーラー。ほら、ナンバーがさ……」

 この町から数百マイルも離れた土地から来ているようだった。

「おお……、珍しいな。ハイウェイで戻るところかな」

「かもな」

 ナンバーに気を取られていると、途端に3車線に広がった。
 いよいよ視界が広がるぞとトムは勢いづくが前方のトレーラーが進路を変える気配はない。
 後続の一般車両が次々に車線変更をして追い抜いていく。

「変だな……。見込み違いか? これから荷を下ろすのか?」

 トムが訝しがっていると前方のトレーラーが急ブレーキをかけた。
 トムも思わずブレーキを踏む。
 交差点に差し掛かったようだ。

「危ねぇ……。慣れてない奴の後は怖いぜ」

「接近しすぎるからだろ。それに警護車が視界から消えたぞ」

 トムはしばしの休息にラジオの音を大きくする。
 軽快な音楽が車内に広がっていく。
 レイは呆れながらバックミラーを覗き込むと、後続のトレーラーがじりじりと近づいてくるように見えた。
 後も前と同じ行き先かと視線を切る。
 前を見るとトレーラーの脇の僅かな隙間から横断する幹線道路の車の流れが見えた。
 左折車が反対車線を経由してハイウェイに入っていく。
 ずいぶんと交通量の多いところだと思った。

「車線変更できねぇかな」

「えっ?」音に掻き消されたトムの独り言はレイには聞こえなかった。

 トムは隊列が動き出して交差点に差し掛かると、隣のレーンが空いているのを確認してウインカーを出す。
 そして、車線変更するタイミングを窺う。
 後続のトレーラーが思った以上に接近していて後方が見えづらい。
 トムは窓を開けて後方を確認する。
 できるだけ車線の際にトラックを寄せてトレーラー越しに後方を覗き込んだ。

 すると、いきなりトムの視界に別のトレーラーが入ってきた。
 さらに後ろにもう一台いたのだろうか。
 驚いたトムは窓から顔を引いて迫り来るトレーラーを避ける。
 風圧が車内を駆けめぐり、レイもバランスを崩して窓に体をぶつけていた。
 トレーラーはスピードを調節してトムたちの横につけた。
 同じくらいの速度を維持しながら幹線道路を併走していく。
 ちょうど前後と右側にトレーラーに挟まれ、いつの間にか左側には中央分離帯が連なっていた。
 気がつけばハイウェイへの分岐は終了して2車線に戻っていた。

 逃げ場がない、とレイは瞬時に思った。

「なんとなく、嫌な予感がするんだが……」

 レイはトムに話しかけるがラジオが邪魔して聞こえていない。
 それでもトムの必死の形相を見てこの異常事態に気づいているのはわかった。
 トムは前後の車間がほとんどない中で高速運転に集中する。
 気を抜けばどこかのトレーラーに接触するかも。
 そんな恐怖心も入り混じっていた。

 じりじりと上がるスピードは半マイルを超えてきた。
 速度制限をはるかにオーバーしているが周囲のトレーラーは減速する様子はなかった。
 このまま直進したら目的地にはたどり着けない。

「次の交差点で無理矢理曲がるか? いや対向車が来る可能性は高い。そうなると避けようもない。どうするか……」

 トムはブツブツと何かを呟いている。
 レイはそれに気づいてラジオの音を消した。

「無線連絡をする」レイの言葉にトムは無言で頷いた。
 レイは本署への無線回線をオープンにする。
 だがノイズに続く交換手の声が聞こえない。

「おかしい……。どうする?」レイが訊く。

「どうするもない。ぶつからないようについていくだけだ」

「でも……」

「悪い。静かにしていてくれ。集中できない」

 トムのその言葉を受けてレイは言葉を止めた。
 そして周囲のトレーラーをつぶさにチェックする。
 前方車両の特徴、ナンバープレート、それらをスマホの写真に収め本署宛にメールを送信する。
 後方を確認しようとするが荷物のせいで見えず、窓から体を乗り出すのも危険なスピードだった。
 隣も側面しか見えず、高い位置にある運転席を窺いようもなかった。
 ただトレーラーの無慈悲な荷台が圧迫してくるだけだった。

 ピピピ……!
 突然レイのスマホが鳴った。
 レイが電話に出ると相手は無言のままだった。

「誰だ?」答えはない。
 ただ静かな時間だけが流れる。
 レイは何度も「誰だ?」「話せ!」と叫ぶが音は聞こえてこない。

「どうした?」レイの叫びを聞いてトムが訊いた。

「いたずらなのか?」

「何だと? どういうことだ!」

「わからん!」

 その時だった。
 ドガン!という轟音とともに、前方のトレーラーの荷台が視界から消えるように下に移動した。
 垂直に落ちて、荷台が道路に当たって火花が散った。
 そして一気に速度が落ちた。
 タイヤがパンクしたのだろうか? 
 トムは動きに併せて減速するが火花がフロントガラスに弾けて思うように車間距離を測れない。
 何度も小刻みにブレーキを踏んで後続車両に合図をする。
 だが気づいていないのか、みるみると後方のトレーラーとの車間距離が縮まってきた。

 もうだめだ。
 トムは観念したかのようにブレーキを深く踏む。
 赤色ランプが激しく光れば、後方のトレーラーはブレーキを踏むはず。
 トムは祈るようにブレーキを踏みしめた。

 前方のトレーラーはなおも火花を散らしながら自然に減速をしていく。
 後続のトレーラーがトムのトラックの後部を押さえ込むように激突してくる。
 併走トレーラーも幅寄せをして側面に衝突してきた。
 トラックの車体がトレーラーに押されて悲鳴を上げていく。
 フロントガラスが圧に負けて弾け飛ぶと、火花が車内に入り込んできた。
 トムは全力でハンドルを切ろうとするが、押されて浮いているのだろうかまったく動く気配がない。
 レイはただただ無言の電話を耳に当てたまま硬直していた。

「バイ……」

 突然、誰かの声がレイの耳を貫いた。
 レイは全身から血の気が引いていくのを感じていた。
 聞き覚えのあるような声……。
 そして、前方のトレーラーはその声が合図かのように急ブレーキを掛ける。
 ギギギギ……!! と聞いたこともないような轟音とともにトラックは前後のトレーラーに挟まれていく。
 ガソリンタンクからの引火だろうか。
 トラックの後方から炎が上がり出した。
 そしてみるみるうちに火まみれになっていく。
 業火の中で前後の圧に潰されていくふたり。
 しばらくすると前方のトレーラーが自然に停止し、後方のトレーラーは勢いに任せてトラックを潰すようにして止まった。
 併走のトレーラーはその動きに併せて停車する。

 4台は煙に包まれて中央分離帯にしがみついている。
 それを避けるように後続車が走り去っていく。
 警護車の姿は消え、黒煙を上げた4台は置き去りにされたままだった。

 しばらくして車の流れが落ち着いたところで前後のトレーラーから数人の男が降りてきた。
 全身黒ずくめのライダー姿にフルフェイスのヘルメットを被っていた。
 併走トレーラーがじりじりと炎から離れるように動き出して車道を埋めるように横断して停まる。
 そこからも同じような格好をした男たちが降りてきた。

 男たちは合流し何かを確認するように話した後、それぞれのトレーラーの下に何かを設置する。
 数にして各トレーラーに3、4個、機械の箱のようだった。
 設置が終わると、ひとりの男が時計をチェックする仕草を見せた。
 他の男たちは併走トラックの荷台を開けて中に乗り込むと、中から一本の長い板を出して地面に滑り台のように置いた。
 低いエンジン音が鳴り響く。
 そして、ブルン!! と音を立てて、勢いよく3台のオフロードタイプのバイクが飛び出してきた。

 信号が変わって、後続車が蜃気楼のように流れ込む。
 排気音とエンジン音が迫ってくる。
 距離にして100メートルもない。

 だが車群は道を塞いでいるトレーラーを見つけ急ブレーキをかけて十数メートル手前のところで停まった。
 事態を把握できない後続車両のクラクションが鳴り響く。
 男たちはそれを眺めながらバイクのエンジンを吹かした。
 そして、合図ともに後続車群を縫うように走り去っていく。
 呆気に取られたドライバーたちはバイクの群に視線を奪われていた。

 数秒後。
 耳を貫く轟音が後続車両のフロントガラスを揺らした。
 後方を注視していたドライバーたちは振り返って轟音の正体を探る。
 前を向くと、真っ赤な炎が黒い煙にまみれて聳え立っていた。

 トレーラーの下に設置されのは起爆剤だった。
 それが爆発し、トレーラー3台に引火したようだ。
 異臭が辺りに立ちこめ後続車両のところまで充満してくると、後続ドライバーたちは弾けるように縦横無尽に逃げていく。
 次の爆発が起こるかもしれない。
 その恐怖心と回避本能がそうさせている。
 方々に法規を無視した車が旋回を終えた頃、連鎖的に大きな爆発が起こった。
 その勢いでトレーラーが一瞬浮き、落ちる際に轟音を伴って地面をえぐっていった。

 誰かが通報したのだろう。
 けたたましい数のサイレンが響く。
 その炎を取り囲むかのようにパトカー他消防車両、救急車が集結した。
 誰もがこの中で人が生き残っているとは思いもしない。
 そして誰もが思う、これは事故じゃないと。

 その思惑が狂気で満ちあふれていることが判明したのは、鎮火後トレーラーに潰された警察車両を発見したときだった。
 誰もが無言でそれを見つめた。
 とてもトラックとは思えない棲惨な鉄の塊。
 僅かな隙間から覗く、見覚えのある制服の断片と焦げ付いた腕章がそこにあった。

*****

 さよならはどんなときに言うだろう。
 その言葉の中に再び会おうという意志があるのだろうか。
 炎上する幹線道路を睨み見て老人は呟く。
 さよならを返せない人は別れを覚悟しているのだろうか、と。

(第80話につづく)
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