第100話 自己愛を語る求めし分身
文字数 2,837文字
夕暮れの分署では、ジャスティンらが掻き集めた資料に耽っていた。
ウィッシュに調べさせたスタッカートとヴァンガードの関係は表面的なものしか得られず、つきあいの長いビジネスパートナーという結論に至った。
カーヴォンスを紹介したのはどうやらスタッカートのようだが、それよりも以前に二人は旧知の仲だったようだ。
それよりもジャスティンが気になったのはヴァンガードの政界財界を含めた交友の広さだった。
スタッカートを通じてというものもあるが彼自身が開拓したものも多い。
関係省庁にも友人がいて、無論警察組織の上層部にも知人はずらりといる。
さすがにその領域には踏み込めないが交友関係は目立つほどに積極的に思えた。
ジムが調べ続けたミュージアムホールの聴衆に関してはそれほど目立った痕跡はなかった。
ウィッシュからの情報を元に照らし合わせても著名な政財界からの参加というものはない。
スタッカートだけが唯一富裕層からの参加で極めて異例な人選だった。
だが、ジムには拭い切れない違和感があった。
それは、ミュージアムホールのショットのほとんどが男女もしくは同性のカップルだったことだ。
発明の中で誰かと出会った者しかここには訪れていないという妄想は現実のものになりつつあった。
被害者にはやはりチケットが届かなかったのだろうか……。
そんな思いがジムの心を過ぎる。
ジムはその違和感を明確なものにする為に被害者の身辺を存分に洗ってみた。
押収された物品やパソコンの履歴などから彼自身をつぶさに見る。
同じ時間を共有した人間にだけわかる何かを見つけられると思っていた。
彼の蔵書から自己啓発に関する本がたくさん見受けられた。
ビジネス本もたくさんあり、ジムには縁のない本ばかりだった。
上昇志向の強い努力家という側面は感じられていたがそれだけで内面が知れる訳もない。
同じ本を読んだ者が共通認識を得ることは稀であり、その理解に相互作用もない。
ジムは逆説的に考えてみた。
これだけの努力家が得られた未来とは何か。
彼はESCに望んで入社し、明るい将来のために努力をした。
それでも現実は非情なものですべての努力を肯定してくれるとは限らない。
彼に突きつけられた現実はたとえ好意的なものであったとしても、それは地獄の断罪に他あるまい。
それでも、そんな日常を打破する答えがあの発明にあるとは思えない。
「やはり参加した理由も、出会った目的も俺とは違う」
捜査資料に埋もれたジムの呟きが不意に漏れ聞こえた。
「やはりそこか?」ジャスティンが呼応するように訊いた。
「私もこの男もコンプレックスやら悩みやらを持っていた。そんな人間はごまんといるしそれ事態が珍しくはないでしょう」
「いかにも」
「仮に発明での体験が未来を見せてくれたとして、自分に足りない何かを補完するものだとしたら、彼は一体何を見て誰に出会ったというのでしょう。推測にしか過ぎない彼の内面から見ても女性に安らぎを求めたとは思えない」
「それは論理の飛躍になりやしないか」
「あくまで想像の産物でしかありませんが、なんと言いましょうか……、その……」
「はっきりと言ってもいいぞ。ここで君の発言を笑うやつはいない」
「彼の悩みは彼自身しか解決できないのではないでしょうか?」
「彼自身?」
「ええ、助けを求めても結局のところ他人と環境は変えられません。この発明が本人にとっての精神的な補完を行うとするならば、彼は発明の中で自分自身に会っていたのかも知れません」
「それは何とも言えないな……。言っていることはわからんでもないが……」
「証明はできません。でも、もし彼が自殺だったとしたら、発明の中で自分自身に会ってしまってそれで発狂したって線はないですかね?」
「どうだろう? 仮説としては面白いが……」
ジャスティンは熟考する。
果たしてそんなことがあり得るのだろうか。
それでESCが得る利益なんてものが存在するのだろうか。
様々な憶測がシナプスを駆け巡っている。
そのジャスティンにきっかけを与えたのはコトリーの一言だった。
「自殺の取り扱いの増減を調べてみたらどうだ。彼は拳銃自殺だったが凶器が現場にないことから事件扱いになったんだろう? もし手元に銃があればおそらくは自殺で処理された。 違うか?」
「それはそうだが……。だが、それが何の役に立つ?」
「ジムと同じような出会いが多くあるように、彼と同じように自分自身に出会うことが目的だった人間も多く要るかもしれない」
「それは否定はしないが……」
ジャスティンが珍しくコトリーの言葉を追っている。
「ならば、同じようなきっかけで自殺した者が急増したとは考えられないか?」
「まあ、面白そうだ。君にしては珍しい切り口だが……」
ジャスティンはたじろぎながら方針を展開せざるを得ない状況になったと感じていた。
「自殺者の増減とともに、忍びないが彼らの身辺を洗ってみるか。家族にとっては過去の揺り戻しになるかも知れんが……」
「まずは客観的な数字を集めましょう。そうすれば何か見えてくるかもしれません」
ウィッシュの提案にジャスティンが頷く。
ウィッシュは何人かの捜査員を連れて部屋を出ていった。
「ジムよ……、仮説が正しくても彼の死は事件のままだ。それはどう説明する?」
「そうなんですよね。彼が現実で自分自身と会うなんてことは……。いや……、でもそこにESCの最後の仕掛けがありませんかね」
「最後の仕掛け? 意味がさっぱりわからん」
「だって彼が相手を自分自身だと錯覚するとか。彼に似た背格好の人間なんて数多くいるし、その錯乱の中で何かを見たとすれば……」
「おいおいジム、それは先走り過ぎだよ」
「ええ、わかっているんですが、同じ道を歩むのならきっと……」
「同じ道?」
「一貫した思想の中で我々は泳いでいる。そう考えると、目的はひとつかと」
「君とエディナを現実で引き合わせるコンサートを開いたように、現実で自分自身と錯覚する相手を引き合わせた。そう言うことか、ジム?」
「はい。なんとなくですが……」
「ふふ……、君のなんとなくは怖いな。ただしこれは裏を取りようのない妄想だな。否定はせんが……」
「そうなんですよね。それはわかってるんですが……」
ジムは現実で起こり得ることと自分の思考の乖離に悩む。
どこまでが真実でどこまでが暴走なのだろうか。
その答えはまだ見つかりそうになかった。
*****
夢は語る。潜在意識に潜む衝動を。
現は語る。潜在意識の成れの果てを。
紐解かれゆく事実を鑑みながら老人は呟く。
夢と現のその間で苦悩の種は発芽する、と。
(第101話へつづく)
ウィッシュに調べさせたスタッカートとヴァンガードの関係は表面的なものしか得られず、つきあいの長いビジネスパートナーという結論に至った。
カーヴォンスを紹介したのはどうやらスタッカートのようだが、それよりも以前に二人は旧知の仲だったようだ。
それよりもジャスティンが気になったのはヴァンガードの政界財界を含めた交友の広さだった。
スタッカートを通じてというものもあるが彼自身が開拓したものも多い。
関係省庁にも友人がいて、無論警察組織の上層部にも知人はずらりといる。
さすがにその領域には踏み込めないが交友関係は目立つほどに積極的に思えた。
ジムが調べ続けたミュージアムホールの聴衆に関してはそれほど目立った痕跡はなかった。
ウィッシュからの情報を元に照らし合わせても著名な政財界からの参加というものはない。
スタッカートだけが唯一富裕層からの参加で極めて異例な人選だった。
だが、ジムには拭い切れない違和感があった。
それは、ミュージアムホールのショットのほとんどが男女もしくは同性のカップルだったことだ。
発明の中で誰かと出会った者しかここには訪れていないという妄想は現実のものになりつつあった。
被害者にはやはりチケットが届かなかったのだろうか……。
そんな思いがジムの心を過ぎる。
ジムはその違和感を明確なものにする為に被害者の身辺を存分に洗ってみた。
押収された物品やパソコンの履歴などから彼自身をつぶさに見る。
同じ時間を共有した人間にだけわかる何かを見つけられると思っていた。
彼の蔵書から自己啓発に関する本がたくさん見受けられた。
ビジネス本もたくさんあり、ジムには縁のない本ばかりだった。
上昇志向の強い努力家という側面は感じられていたがそれだけで内面が知れる訳もない。
同じ本を読んだ者が共通認識を得ることは稀であり、その理解に相互作用もない。
ジムは逆説的に考えてみた。
これだけの努力家が得られた未来とは何か。
彼はESCに望んで入社し、明るい将来のために努力をした。
それでも現実は非情なものですべての努力を肯定してくれるとは限らない。
彼に突きつけられた現実はたとえ好意的なものであったとしても、それは地獄の断罪に他あるまい。
それでも、そんな日常を打破する答えがあの発明にあるとは思えない。
「やはり参加した理由も、出会った目的も俺とは違う」
捜査資料に埋もれたジムの呟きが不意に漏れ聞こえた。
「やはりそこか?」ジャスティンが呼応するように訊いた。
「私もこの男もコンプレックスやら悩みやらを持っていた。そんな人間はごまんといるしそれ事態が珍しくはないでしょう」
「いかにも」
「仮に発明での体験が未来を見せてくれたとして、自分に足りない何かを補完するものだとしたら、彼は一体何を見て誰に出会ったというのでしょう。推測にしか過ぎない彼の内面から見ても女性に安らぎを求めたとは思えない」
「それは論理の飛躍になりやしないか」
「あくまで想像の産物でしかありませんが、なんと言いましょうか……、その……」
「はっきりと言ってもいいぞ。ここで君の発言を笑うやつはいない」
「彼の悩みは彼自身しか解決できないのではないでしょうか?」
「彼自身?」
「ええ、助けを求めても結局のところ他人と環境は変えられません。この発明が本人にとっての精神的な補完を行うとするならば、彼は発明の中で自分自身に会っていたのかも知れません」
「それは何とも言えないな……。言っていることはわからんでもないが……」
「証明はできません。でも、もし彼が自殺だったとしたら、発明の中で自分自身に会ってしまってそれで発狂したって線はないですかね?」
「どうだろう? 仮説としては面白いが……」
ジャスティンは熟考する。
果たしてそんなことがあり得るのだろうか。
それでESCが得る利益なんてものが存在するのだろうか。
様々な憶測がシナプスを駆け巡っている。
そのジャスティンにきっかけを与えたのはコトリーの一言だった。
「自殺の取り扱いの増減を調べてみたらどうだ。彼は拳銃自殺だったが凶器が現場にないことから事件扱いになったんだろう? もし手元に銃があればおそらくは自殺で処理された。 違うか?」
「それはそうだが……。だが、それが何の役に立つ?」
「ジムと同じような出会いが多くあるように、彼と同じように自分自身に出会うことが目的だった人間も多く要るかもしれない」
「それは否定はしないが……」
ジャスティンが珍しくコトリーの言葉を追っている。
「ならば、同じようなきっかけで自殺した者が急増したとは考えられないか?」
「まあ、面白そうだ。君にしては珍しい切り口だが……」
ジャスティンはたじろぎながら方針を展開せざるを得ない状況になったと感じていた。
「自殺者の増減とともに、忍びないが彼らの身辺を洗ってみるか。家族にとっては過去の揺り戻しになるかも知れんが……」
「まずは客観的な数字を集めましょう。そうすれば何か見えてくるかもしれません」
ウィッシュの提案にジャスティンが頷く。
ウィッシュは何人かの捜査員を連れて部屋を出ていった。
「ジムよ……、仮説が正しくても彼の死は事件のままだ。それはどう説明する?」
「そうなんですよね。彼が現実で自分自身と会うなんてことは……。いや……、でもそこにESCの最後の仕掛けがありませんかね」
「最後の仕掛け? 意味がさっぱりわからん」
「だって彼が相手を自分自身だと錯覚するとか。彼に似た背格好の人間なんて数多くいるし、その錯乱の中で何かを見たとすれば……」
「おいおいジム、それは先走り過ぎだよ」
「ええ、わかっているんですが、同じ道を歩むのならきっと……」
「同じ道?」
「一貫した思想の中で我々は泳いでいる。そう考えると、目的はひとつかと」
「君とエディナを現実で引き合わせるコンサートを開いたように、現実で自分自身と錯覚する相手を引き合わせた。そう言うことか、ジム?」
「はい。なんとなくですが……」
「ふふ……、君のなんとなくは怖いな。ただしこれは裏を取りようのない妄想だな。否定はせんが……」
「そうなんですよね。それはわかってるんですが……」
ジムは現実で起こり得ることと自分の思考の乖離に悩む。
どこまでが真実でどこまでが暴走なのだろうか。
その答えはまだ見つかりそうになかった。
*****
夢は語る。潜在意識に潜む衝動を。
現は語る。潜在意識の成れの果てを。
紐解かれゆく事実を鑑みながら老人は呟く。
夢と現のその間で苦悩の種は発芽する、と。
(第101話へつづく)